黄金色のベールに包まれて 【ショートストーリー4】
まるでフランス映画のワンシーンのような
美しいメタセコイア並木は
遠近法で描かれた絵画のようで吸い込まれそうだった
果ての消失点までは3㎞ほどあるだろうか
真っすぐに伸びた一本道を
両側から覆うように伸びたレンガ色の枝葉が
陽の光を浴びて黄金色に光り輝いていた
枝葉が日差しを遮りほの暗くなった一本道を歩いていると
柔らかい黄金色のベールに
ふわっと包まれているかのように心が落ち着いた
玖々実は今日会社をずる休みし
車を走らせここにやってきた
玖々実には学生時代から定期的にこんな日がやって来る
二・三か月に一度
これと言った理由もなく学校を休みたくなる日が来るのだ
そんな日は学校のある駅を乗り越して終点の駅まで行き
そこで逆方面の電車に乗り換え帰ってくる
往復で2時間半
車窓を流れる景色をただ眺めているだけで気持ちが楽になった
それは社会人になった今でも変わらずやってきた
いつ訪れるか分からないこの原因不明の「逃げ出したい病」のために
有給休暇を残しておかなければならない
柔らかい黄金色のベールに包まれ
心が溶きほぐれていくのを感じなが歩いていた玖々実は
だれでも休憩が取れるようにと置かれた小さなベンチに
淡い山吹色のショールを羽織ったおばあさんが
座っているのに気が付いた
おばあさんが握っているリードの先では
黒っぽい子犬が落ち葉の上を飛び跳ねるように
遊んでいた
玖々実は引っ張られるように
おばあさんの隣に座っておばあさんと子犬に挨拶をした
「こんにちは 可愛いワンちゃんですね」
「こんにちは クーちゃんって言うんですよ」
淡い山吹色のショールのせいなのか
並木の黄金色のベールのせいなのか
おばあさんの優しい笑顔に靄がかかっているようで
どこかしら不確かなものに見えた
玖々実はこれまで
自分から見ず知らずの人に話しかけたことなど一度も無いし
ましてや見ず知らずの人に近寄って
狭いベンチに座ることなど考えられなかったが
このときはなぜか自然とそうした
就職して一人暮らしを始めるまで実家で一緒に暮らしていたおばあちゃんと
犬の散歩をしているかのような気持ちになって
「そうそう クーって名前は私が考えたんだよね」と言いそうになって
慌てて口を押えた
実際実家で飼っていた犬はゴールデンレトリバーの「ケン太」だから
似ても似つかないのに
このクーちゃんをずっと飼っていたかのように
「クーちゃんおいで―」と
膝をついて手を伸ばしている自分に少し驚いた
「クーちゃん 今日また会社サボっちゃったよー」
「ダメだねぇ 根性なしでさ」
「いやぁ怠け者なのかなぁ とくに嫌なこともないのにサボっちゃうから」
玖々実はそう言ってクーちゃんを抱き上げベンチに座りなおした
クーちゃんは玖々実の顔をペロペロ舐めて
「大丈夫だよ」と言ってくれているようだった
玖々実がつい愚痴を言ってしまったのは
クーちゃんが何も言わないからなのかもしれない
今の玖々実はどんな言葉も聞きたくなかった
「会社サボってどうするの」と厳しい言葉も聞きたくないし
「分かるよ」とか「たまにはそんな時もあるよ」とか
「大丈夫だよ」とか
そんな優しい言葉も聞きたくなかったのだ
今の玖々実にはどれもこれも
自分に投げかけられるすべての言葉が
はっきりとした輪郭を持って
勢いよく自分に向かってくるように思えた
ストレスを抱えながらも頑張っている人たちが
根性なしで意気地なしで怠け者の自分を
冷ややかな目で非難し
言っているとしか思えなかった
そんな風に思ってしまう自分が
なお情けないのだ
自分だけでなく誰もがみな
ストレスを抱えながら頑張っているのも分かっているし
毎日の暮らしにほんの少しずつある
小さな我慢が辛いのならば
それを解消する方法を考えればいいのも分かっている
そんなことは分かっている
分かっていても何もできずに頑張ることも放棄して
「逃げ出したい病」にかかっている自分が本当に嫌だった
さらに情けないのは
何も言わないクーちゃんに愚痴をこぼしているところだ
そう思うと泣きたいくらいの気持ちになった
黄金色のベールに包まれて少し気持ちが楽になったのに
あっという間に元に戻ってしまった
「嫌だねぇクーちゃん」
大きなため息をつきクーちゃんをギュッと抱きしめた
少しきつく抱きしめてしまったのか
クーちゃんは玖々実の腕から逃げ出して
また落ち葉で遊び始めた
しばらくの沈黙の後おばあさんは私の方を見ずに言った
「休み休み進めばいいよ」
「人生は長いからね」
「トンネルの出口までどれだけ時間かけても
その先にはまだまだ時間はある」
ずっと続く並木道の果ての消失点を見つめながらそう言った
「焦らず 休み休みね」
「悩みながらでも一歩ずつ進めば 何故か楽になるときが必ず来るから」
そう言って私の方を見て優しく微笑んだ
「ゆっくりでも進んでいれば不思議と必ず来るのよ」
「休み休み自分を騙しながらゆっくりと進めばいいよ」
靄がかかったようで不確かなおばあさんの笑顔は
黄金色のベールのように優しく玖々実を包んだ
柔らかく静かに届くおばあさんの言葉は
玖々実の強張った心にジワーっと染みていった
それはゆっくりと氷が解けていくほど少しずつ染みて
強張った心が解きほぐれていった