
「らしさ」を伝えていくとは の話。
【※この記事は保育士として働いていた頃に書いた記事です。】
今年度は業務上、少し気持ちに余裕があります。(といっても、今だけかもしれませんが)
気持ちの余裕は視界を広げる・・・、新人のとき以来、熱心に勉強しています。「勉強」と言っても、興味関心があることに対しての情報収集、業務上必要または活用できる文献を読む・・・程度ですが。
自己紹介の文章にも書きましたが、ジェンダーにとらわれない保育に関心があります。
いきなり大それた文献などは読めないですし、読んでいると眠ってしまうので(※意欲の問題)、保育雑誌に手を出してみました。
『エデュカーレ』(2022年5月号)
特集記事がドンピシャの【ジェンダーにとらわれない保育って】というもの。
全てを読んでみて、自身が感じたり考えたことをいつか言葉にしたいと思ってはいますが・・・とりあえず気になった投稿がありました。
女の子がまたを広げて座って座っていたので「女の子なんだから恥ずかしいよ。女の子らしく座らないとね」と声をかけてしまった保育者。自身でも「性差別か?」とドキッとしたとのこと。一方でその保育者自身は男の子らしさ、女の子らしさを伝えていくのも大切なことだと思っている。
・・・という内容。
確かに、ついうっかり「女の子が足を広げて座らない!」って、言っちゃいますよね。わかります。
私自身も「あ〜…、足閉じた方がいいよぉ…」と、女性を見かけて思ってしまうこともあります。
でも、これって「女の子(女性)」だから、足を広げて座ってはいけないのでしょうか?
足を閉じて座るのは、時と場合によって人間みんなにおけるマナーではないでしょうか。
電車でドカーンと足を広げて座っている女性には「女性なんだから、足を閉じて座りなさい!」、男性には「男性だから、しょうがないか…」・・・とは、ならないですよね?
人間は社会の中で生きています。生活しています。様々な人たちと関わりを持ち、生きている中では、時と場合に応じたマナーやルール、気遣いが必要です。
だから、
「女の子だから、足を広げて座らないの」
ではなく、
「(その場に即した理由を伝えて)足、キュッとして座っといて〜」
という感じなら、ベターだったのかな?・・・と思ったり。
ジェンダーフリーの環境で、ジェンダーフリーの保育ができたら、それはすごくいいな〜と思います。
けれど、一方で、保育に関するあらゆることに「ジェンダーフリー!!!」っていうフィルターをかけて、そのフィルターに引っかかるものを除外していくと、濾過されてくるものは思っていたより少ないのかも・・・とも思ったり。身動き取れなくなっちゃいそうとも思ったり。
「男の子らしさ」「女の子らしさ」
性差による特徴を伝えていくことは大切です。
でも、それと同じくらい?それ以上に、
「その子らしさ」
この世にたった一人しかいないその子の個性を伝えていくことも(は)忘れずにいたいですね。