サイコパス社長の仕事を辞めたその後
「サイコパス社長に出会い、逃げるまでの100日間の話」を第一章から最終章まで6回に渡り公開いたしました。
その後、私と友達はどうなったのかということについてお話しします。
私も友達も、すぐに次の仕事に復帰することはできませんでした。
サイコパスが毎日のように吐いていた暴言を何度も思い出し
「自分はダメな人間なんだ」
「自分のせいであんな風になったんだ」
「またサイコパスに出会ったらどうしよう」
といったことが頭の中でループして行き、不安になり、自らを否定しました。
今、残る社員二人はどうなっているのだろうかという余計な心配もしてしまいます。私たち二人に向けていたストレスは、間違いなく残る二人に向けられています。(私と友達が仕事を始めてからは社員へストレスをぶつける頻度がかなり減っていたと聞いていました)。
社長に出会い、自分はあまりにも人と関わる能力が無いことを深く痛感しました。
親に相談したところ、あんたが弱いからである、情けないと言われてしまう始末です。
経験した人にしかわからないと言ってしまえばそこまでなのですが、唯一の救いとして今回は友達がいます。
友達は、唯一社長がどのような人物であったのかを知っています。
仕事を辞めた後も何に苦しんだのか、何が悲しかったのかといった話を共有し、何をすれば以前のように戻れるかと意見しお互い心を落ちつけようとしました。
そして社長がサイコパスではないかということに真っ先に気付いたのは友達です。
この友達は元々心理学に興味があったのか、発達障害のことなどについて昔からよく知っていました。
サイコパスに出会ってからはより心理学への関心が深まったようで、最近は専門書を読んだり情報収集に励んでいるそうです。
私はサイコパスの言葉を思い出すとツライのですが、時間や行動など何をするにも1日中縛られていた生活を思うと解放され、今は少し気が楽になってきたように思います。
◆ ◆ ◆
実は友達は数年前に発達障害の診断を病院で受け、障がいの疑いがあるという診断結果が出されたそうです。
彼女は私に対しても発達障害を疑っていたようでしたが、私は単に「自分は性格が発達障害に似ているだけである」。と思って診断を受けに行くことはせず、放ったらかしにしてきました。
というのも、苦手な人がむやみに関わって来ず、極端にやりたくないことを強制されなければ、一人で過ごすことで心身ともに元気であり、生活を送る分には何ら困ったことが無かったからです。
しかし、女性社員と男性社員の二人は社長の言うことを素直に聞けていたという部分が今回はポイントになっています。
いくらサイコパスであるとはいっても、この社員二人は耐えて社会で仕事が続けられているのに対し、私にはそれができなかった。
この差は大きいと思います。
社長が話していることに対し、「どう返事をすれば納得してもらえるのか?」ということを働いていた時には社員に教えてもらったりしていましたが、あまりにもざっくりとした受け答えの方法で驚きました。
そんな簡単な方法でいいのかと。批判や追求されたりしないのかと疑問でした。
そして同じ返事の方法を私が試しましたが、そう上手くはいかず失敗が続きました。
返事の方法まで人に聞かなければならないほどコミュニケーション能力が低い。常に会話することを求められ、プライベートに関わって来られると窮屈。電話の音も電話に出るのもダメで、他に何もできなくなってしまう。特にこの社長は私の苦手とする事全てを振りかざして来るようなタイプでした。
そこでやはり私は発達障害なのだろうかと、最近ようやく疑うようになったのです。
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文章はデータとは異なり、独りよがりなものです。
特にこの話は実在する「私」が主人公として進行していくノンフィクションであるため、私の応答の仕方や考えそのものに関しても偏りがあります。
読み手の性格が「私」とかけ離れている場合、自分と照らし合わせ重なる部分が無ければ、話に入り込みづらいと思ったのではないでしょうか。
「サイコパス以前に、この執筆した本人の性格も如何なものか?」
「執筆した本人、友達いずれも融通が利かないのが仇となり、自業自得なのでは?」
「社会ではこれくらい普通では?」
といった意見もあると思います。
本当にそうだと思います。
この6回分の文章を書いていく中で気づいたことと言えば、私と友達は何をするにも融通が利いていないということです。
(彼女を巻き込んで悪いですが)。
日常のちょっとしたことで済ませられたはずの出来事に対し、いちいち騒動を大きくしてしまっています。
なぜこんなことになってしまうのか?
“人の言うことを素直に聞くことが、どうしてもできないから”
であると私は考えました。
仕事であるのだから社会人として「はい、承知しました」。と答えるだけ。やってのけるだけ。それができないのです。
素直に自らのスマートフォンにGPSをダウンロードし、用意された部屋に住まわせてもらい、社長に付き合い話を聞き、出張もこなせば、人間同士の摩擦は少なく済み、こんな文章に起こす必要は無かった話です。
ところが私たち二人であるからこそ、この摩擦は起こってしまった。
まず、社長は他の社員には部屋やその他諸々を用意しませんでした。
なぜか明け方まで電話することも無かったそうです。
社長は常に話しができる人材を求めており、自らの言うことを聞かない人が大嫌いです。
社長から、よりサイコパス性を引き出してしまったのは私のせいでもあるのではないかということを、自分の中から嫌々ながら引き出してきてしまいました。
ある人から見ればくだらない話でも、私から見れば文章に書き起こして遺しておこうと思う、人間相関図が出来上がってしまいました。
こんな自分にはもう、うんざりしてしまいます。
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おまけの話をしましょう。
素直に全てが受け入れられるわけではないこの性格の中で、よかったと思うことがひとつあります。
それはマルチ商法系のビジネスや心理を操る物事にハマるといった、“洗脳”はされなかったことです。
第二章で出てきたと思いますが、社長はスピリチュアルにハマっており、宗教関係のことについても度々話すことがありました。
社長はこれらについて「君にとって大事な話をしているのだからよく聞け」。と強く理解を求めていました。
また、この仕事に携わっていた時期は、別件でマルチ商法系ビジネスの話がまわってきたこともありました。
私も友達も、まったくもってこれらの内容が頭に入ってこなかったのは、やはり“人の言うことを素直に聞くことが、どうしてもできないから”であり、自我が邪魔したからだと思います。
ピュアで受け入れる心を持っていれば、話はすんなり自分の中に入ってきていたでしょう。
それらに関して自分自身が興味を持って取り組むならいいと思います。
しかし無理矢理相手を誘い込もうとし、
「自分の話していることは良い事なのになぜ受け入れないのだ」。
と問い詰めてくるようであれば、そんな押しつけがましい自己中心な人の話は聞き入れる必要は無いと私は思っています。
自分の反発心が、この時ばかりは少し役に立ちました。
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私には、発達障害、精神病などの項目は当て嵌まるのでしょうか。
文章上だけで判断するのは難しいと思いますが、心理学に詳しい方、何か思い当たる事がございましたらご連絡をいただけると幸いです。