人々はなぜそこまでして城を見に行くのか?
古い写真を整理する度に思うことがあるのです。
「人々はなぜそこまでして城を見に行くのか?」ということについて。
以前、伯祖父の写真を整理していたのですが映る人が変わっても、とにかくみんな何度も城に足を運んでいました。
今回は、そんな「城」のことについて考えてみました。
城の写真がいっぱい
うちは親戚にヨーロッパ人がいるのですが、日本へ帰国し外国人の友達を連れては城へ出向いていると聞きました。
前回の日本旅行では、たった5日間のうちに3か所もの城を見に行ったのだとか。
そんな城ばかりだと、カメラの中は城の写真しかないのでは?
以前、伯祖父の遺した写真10000枚 という記事の中で写真を整理した話をしましたが、その際もやはり城の写真ばかり出てきました。
そこでふと「なぜそこまでして城を見に行くのか」ということについて疑問を抱き、考えるようになったのです。
人々はなぜ城を見に行くのか
なぜ城を見に行くのかということについて考えました。
・城が好きだから
・観光名所を考えた時に城が思い浮かぶから
・知り合いに聞いたから行くことになった
このあたりが理由になっているのではないでしょうか。
ただし日本の場合、外国とは異なり
歴史的建造物の美術館や博物館、聖堂などの宗教建築があまり有名ではない分、城に足を運ぶ傾向があるのではないかとは思っています。
みなさんは、外国人の知り合いを日本へご招待するとして、どこへ案内しようと考えますか?
なぜこんなことを考えてしまったのか
私個人の考えとして「また城。ほかの所ないの?」とつい思ってしまうのには理由がありました。
というのも私が住んでいる土地の感覚からしてみると、
電車を少し乗り継ぎさえすればいくつも城があるのです。
城が好きであるという方には申し訳ないのですが、正直なところ
城=電車から少し見える建物という感覚が昔からありました。
日常風景なので、地元民は見えても城のことについてあまり触れません。
だから城に特別な感覚を抱けないのかもしれないな、と思いました。
ですがここ数年の出来事として、4年前に熊本城が自然災害により被害を受けたり、昨年は首里城が火災に遭いました。
昨年、友達がノートルダム大聖堂が火災に遭ったニュースを見てショックを受けていたのですが、
私が「でもさ、〇〇城(近所の城)が、もし火災に遭って全焼したところを想像してみると、悲しいね」。という話をしたところ、
友達が「確かに〇〇城(近所の城)が火災に遭ったりなんかしたら、ちょっとやそっとの悲しみでは済まない」。といったことを言っていました。
今改めて考えてみると、これがもしや“日本の心”というものではないかということに気付かされたのと同時に、そこまでして城を見に行くという意味を少し見い出せたような気がしました。
当たり前の日常になってしまうと色々なものを見失いがちですが、今行きたい場所があればやはり早めに行っておくべきですね。
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