#13.ウイグル語
まず言いたい。
私はウイグルの専門家ではないし、ヘッダー画像には東トルキスタンの画像を貼ったが、別に東トルキスタンの独立を支持しているわけでもない。ここでは、あくまでウイグルらしさがあるシンボルを探した結果、キョク・バイラク(東トルキスタンの旗)を選択しただけだ。ウイグルの現代性を示す、という意味で、これ以外に選択の余地があるだろうか。
しかしながら、黒田先生の『世界の言語入門』が出た頃と比べると随分とウイグル人たちへの弾圧はひどくなったものだと思う。私自身もウイグル人と交流があるが、彼らが話してくれる中国のウイグル人の境遇の話はひどくて聞くに堪えない。今こそ人間の、あるいは国際世論の人道主義が試されている。
ところで、個人的にはそれなりにウイグル文化と縁がある。実は好きな料理の一つはウイグルうどんのラグマンだ。ウズベキスタンに行っても、目ぼしいものがなければウイグル・ラグマンを注文した。
ウイグル人の惨状について、ウイグル人が報告する国際会議のような場所にも顔を出したこともある。一応、学術的な会議はずだった。しかしながら、発表者もウイグル人だし、聴講者の大部分もウイグル人だ。プレゼンターは泣きながら発表し、聴講者はすすり泣きながら犠牲者についての発表を聞く、という状態となった。その最後に、つい感情的になって「日本人は君たちと共にあるぞ〜!」と思わず言ってしまったのだが、口をついで出たのはウイグル語ではなくウズベク語だった。でも場が白けることなく拍手を頂いた。
ウイグル語とウズベク語
なぜ聴衆はわかってくれたのか。実は、テュルク諸語はチュヴァシ語以外、総じて似ている。そして、その中でもウイグル語とウズベク語は特に似ている。それぞれ属している国が違うせいで語彙が違うことが多々あるが、基本的な言葉の文法は同じだし、民族的な宗教も同じイスラムだ。そのため、まず第一に民族的な文化感覚が近い。それに加え、言語も近い。日本でいう関西弁と関東弁の違いに近いが、その関係よりも少し遠めだと思う。
例えば例を見てみよう。下記は二つの言語で「私はバザールに行った」という文だ。まずウイグル語は『現代ウイグル語四週間』から例文を借りることにする。
🇨🇳ウイグル語:
Män bazarğa barğan(1).
これをウズベク語に訳すと、次のようになるだろう。
🇺🇿ウズベク語
Men bozorga borganman.
尚、『現代ウイグル語四週間』によれば、ウイグル語は連体形において人称は示さないとのこと(2)。
文字が分かつ言葉
「中学生のある時、ある日先生が黒板に見たこともない文字を書き始めました。そして、こう言ったのです。『これは新しい文字です!これを覚えないとあなたたちは学校を卒業できません!!』」
これは「学校にラテン文字がやってきた」時の話らしい。これは中年のウイグル人の人から聞いた話である。
ウイグル語を含め、中央アジアのテュルク系言語は文字改革が複数回行われている。例えばお隣のウズベク語はソ連以前はアラビア文字だった。次にソ連時代を通してキリル文字が導入され、独立後にはラテン文字が普及された。そのため、全ての文字のウズベク語を読解できるウズベク人のご老人もいるくらいだ。
冒頭のお話のように、ウイグル語も似たような運命を迎えた。もともとウイグル語はアラビア(ペルシア)文字を使っていたが、一度ラテン文字に切り替えるということが起こった。そして、その後どういうわけか新しく改良したアラビア語にもう一度戻したのである。
新しく改良した文字では中東の影響が色濃い、伝統的な子音重視、あるいはペルシア的な綴りが、母音を強調した「よりウイグルらしい」スペリングにチューンナップされた。例えばイスラム圏でよく見られる「ハサン」という人名はアラビア文字で書くと下記のようになる。
حسن
これをラテン文字に転写すると"Hsn"と書いてある。しかしながら、新しくしたウイグルのアラビア文字では下記のようになった:
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