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現代アート研究

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現代アートを学び始めた外資系IT企業のプリセールス。 難解な現代アートを探求する学びの記録。
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#写真

葉山でアレック・ソスを見た次の週にサンフランシスコに行った

神奈川県立近代美術館の葉山館でアレック・ソスの展覧会をやっている。夏頃に聞いたような気がして、10月まで会期があるから、そのうち行くだろうと思っていた。気がついたら会期終了まで一週間、慌てて予定を組んでいく。 風景、人物、建物、そこに居る人を想像させるベッドや、食器や、写真や、植物。様々な感情が湧き立つような展示だった。 メランコリック 館内のテキストで印象に残った。感情を表すこと、写真に写っているのは過去だが、鑑賞している自分自身の感情を動かす。 音楽、歌は一曲の中

伊藤雅浩「絶対写真論 アルゴリズム・オブジェクトとしての写真へ」読書メモ

写真は、かくも深遠なものなのか。 何が写真となるのか。写真を取り巻く技術や考え方の変遷を捉える。 伊藤雅浩の絶対写真論 カメラでの撮影、現像、プリントが技術の進化や、アナログからデジタルへのシフトよって、技術から操作へと変遷してきた。撮影にあたり専門スキルが必要ではなくなる。つまり、デスキリングが行われた。 フルッサーの言葉を引用し、カメラの操作者(いわゆるカメラマン)ではなく、カメラを作った技術者がアーティストと呼べるのではないかと問題提起する。そこに疑問を持ち、それ

写真とテキストあるいは絵画

名古屋駅から徒歩7分程度のところに鮮魚を扱う市場がある。それほど広くないけれど、台車に魚を積んで運ぶ様子はとても活気がある。卸が主体ではあるけれど、食堂もあるし、お昼近くの閉店時間になると小売りもしてくれるのではないかなと思う。ただ、旅先で生魚を買うわけにはいかないので、試したことはないけれど。 そんな魚市場のすぐ近くにFlowがある。現代アート写真をメインに取り扱うギャラリーであり、開廊して1年程になる。そこで石本陽の個展を行った。石本は一貫して音と視覚との関係性を探求し

ピエール・ユイグ 《Cerro Indio Muerto》(2016)

ピエール・ユイグの《Cerro Indio Muerto》(2016)という作品は、写真であり、縦は70cmほど、横は1mくらいであり、画面のほとんどは砂漠の地面であり、遠くに三角形の山あるいは丘が見える。画面手前の左寄りにうつ伏せになった骸骨が横たわる。砂漠といっても、石の多い場所であり、骸骨の頭蓋骨と同じくらいの大きさの石がそこかしこにある。砂漠の中には水が流れたような痕跡があり、あるいは道だったのだろうか。砂埃が立つ様子は、ここが乾燥している大地であることが想像される。

【青秀祐、江川純太】二人展「色相は8月の冗談でした」鑑賞メモ

eitoeiko で開催していた二人展を見に行った。出かける前に、Facebookページで、作品画像を見ていた。下のリンクの4枚の写真の左下の写真が特に印象に残っていた。 この作品《Assembly/001-A》(2021)であり、前述の写真を見た感じではプラスティックか、何か固い材質を使った立体作品だと思っていた。 ギャラリーの扉を開けると、すぐに作品と対面する。 一目見て、これは布のようなものだと理解した。合皮を使って作られている。そうした意味ではハンドバッグと呼べ

小瀬村真美 『Classic – 絵画の輪郭/Outline of a Painting –』 @kenakian 鑑賞メモ

佐賀に硬派な現代アートギャラリーが開廊した。 佐賀駅からバスで20分ほどの立地、周辺は広大な駐車場を抱えるコンビニエンスストアとドラッグストアがある。夕方の時間帯になると高校生が自転車で下校していく。どこにでもあるような地方都市の郊外、そんな場所にkenakianがある。 二階建ての広大なスペースは、天井が高く、一階と二階とで趣が異なる。自然光の入る二階の展示室は、大きな窓が開口しており、展示室とその先の空間が接続しているかのような錯覚に陥る。一階は暗転させることも可能で

桑迫伽奈&イイダユキ 写真展『夜になりすます。』@PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA 鑑賞メモ

名古屋の柳橋中央市場にオープンした現代アート写真ギャラリー、FLOWの開廊展覧会に出かけてみた。 年期の入ったビルの2階、一番奥のスペースに隠れ家のようにオープンしたギャラリー、このビルが味わいがあって、ビルの中なのに廊下にカーブがかかっていたり、交換手が待機している電話が設置されていたり、消火栓の扉が黄色に塗られている。 ビルの内廊下にも関わらず、窓があるあたり、増築したのではないかと思われる。このビルの来歴にばかり気を取られていられない。 名古屋で現代アート写真を取

『分裂と融合 post / photography 2011-2021 3.11から10年目の、写真の今と未来展』@銀座奥野ビル 306号室 鑑賞メモ

3.11から10年。あの年に生まれた次女は今年の9月に10歳になる。父親が秋田出身、そのためか親族に東北出身者が多かったような印象がある。母親は東京出身というか、いくらか事情がある。 確かな話は確認のしようが無いけれど、母親の親世代、父が代官の家系で母が豪農の家系、明治に変わるかどうかの頃合いだったのか結婚が許されず、駆け落ちして東京にやってきた。 東京で始めた運送業の商売が軌道に乗り、成功したので親に許しをもらい、東京に呼び寄せた。運送業といっても、その当時は馬車であり

スーザン・ソンタグ『写真論』読書メモ

今だからこそ、この本を通常の読書のスピードで読めるような気がする。 おおよそ2年間の大学院修士課程、現代アート研究が、身に着いたということだろう。写真とは何かという点について確認しておきたいと考えている。 本書は恐らく読むたびに新たな発見が得られると思う。この書籍では沢山の事例が取り上げられている。写真家、美術家、詩家。そうした人達の作品、写真集や、何をしたのか、そうしたことを参照しつつ紐解きながら読み進めていくべき本だった。 スーザン・ソンタグの写真論 写真産業が、

『Wolfgang Tillmans How does it feel?』@WAKO WORKS OF ART 六本木周辺の展覧会 鑑賞メモ

六本木のWAKO WORKS OF ARTで開催されているティルマンスの個展、6年ぶりの開催ということ。展示は完全予約制で、週末は早々に満席になってしまう。早めに予定を立てるようにするといいと思う。 様々な作品が展示されている。入り口の部屋には、ピン止めされた作品が、目線の高さで、白い壁を埋め尽くしている。様々な構図、写っているモデルやモノ、ある種、無造作に見える写真の提示。フレームの中にオーバーレイで表現されている。フレームの中にあるフレームは、フレームそのものを考えさせ

『写真とファッション90年代以降の関係性を探る』 @ 東京都写真美術館 鑑賞メモ

東京都写真美術館の写真とファッション展、ファッション写真というのは、商業写真の一分野だと思う。ただ、僕が知っているのはECでの話。1990年代は雑誌が隆盛を極めていた頃、今とはファッションの写真の需要と求められていることが違うだろうと思う。 ECで服を売る。 とても重要なことは、商品写真。ドコモ傘下になったファッションECモールのマガシークは、物流費用低減のために倉庫を地方に作ったが、モデル、カメラマン(未だにカメラマンなんだよね、カメラパーソンとは聞いたことがない。)の

『森山大道の東京 ongoing』 @ 東京都写真美術館 鑑賞メモ

TOP MUSEUMにきた。森山大道の東京を見ようと思った。 作品の大きさ、入り口近くにあったシルクスクリーンへのプリント、写真というよりも抽象画的な雰囲気があり、こうした表現もできるのだと。唇の反復にしても写真というよりも絵画のような印象を受けた。 この唇の写真は、展覧会のポスターにもなっている。 着色した唇とモノクロの唇、紅を乗せられたという表現がしっくりくる重ね合わせ。それが壁面全体に反復していた。 広い展示室にうつる。 スナップ。 様々な街角の切り取りが提

『フィールド⇔ワーク展 日々のアトリエに生きている』展 @ 東京都渋谷公園通りギャラリー 鑑賞メモ

アール・ブリュットあるいは独学でアートを学んだアーティストと写真家 齋藤 陽道氏との交流を作品と記録写真から提示する試み。 展覧会のページにキャノンと表記があるけど、正しくはキヤノンであり、ヤは小さな文字にならない。富士フイルムも同様に、イは小さくならない。これは間違えそうだけど、東海地方の某企業向けの書類で東海を倒壊と誤変換したままにしてしまい、その後取引停止になった事例を知っている。 ろうの写真家、齋藤 陽道氏。プロレスラーでもある。 彼の世界に音はない。うたはただ

渋谷 典子 原宿1980 ─日曜日のヒ-ロ-たち─ @ Place M 鑑賞メモ

ベトナム戦争と学生運動の70年代。 バブル経済崩壊、東西冷戦終結と湾岸戦争の90年代。 その時代の狭間、1980年代を写す渋谷典子の写真展。緊急事態宣言解除を受けて、Place Mで一週間だけオープンしていた。こんな時期だからアーティストは不在だったけれど、雄弁な写真にこの年代のパワーを感じた。 1980年代は、ベトナム戦争は終わったけれどイラン・イラク戦争が始まった。ワイドショーではスカッドミサイルのことをしきりに報じていたような気がする。身の回りの問題といえば、トヨ