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四代ミステリランキングを完全制覇した作品がポンコツ読者に犯人が特定される理由

『黒牢城』(米澤穂信)を上記と同じタイトルでAmazonにレビューを書きました。以下が本文になります。加筆修正はありません。

 黒牢城ーかの米澤穂信が2021年に四大ミステリランキングを完全制覇した輝ける作品、なのだが同時に、筆者のようなポンコツな読者がはじめてまともに犯人を特定できた記念碑的な作品でもある。米澤からすればそれこそ渾身を込めた初の戦国歴史小説なのに、ろくに当てたことのない読者にはじめて犯人を当てられた作品になったというのは、あくまで史実のせいであって、とばっちりもいいとこなのかもしれない。
 正直に言うと、筆者は米澤穂信の愛読者ではない。読みたいと思っている作品は何冊かはあるしいつかは読もうと思っている作家の一人ではあるが、未だに一作も読んでいないくらいの未来の読者だった。
 それなのに何故この作品を完読しようと思ったのは、犯人を特定出来るかもしれないという、ささやかな野心が生まれたからである。厳密に言えば概要を見て犯人が思い浮かんだクチだ。
尤も作中で姿を現したときから犯人であると確信したのだが、最初からバイアスをかけてしまっているのでそこは仕方がない。

 「信長に叛旗を翻し有岡城に立て篭もった荒木村重と、織田側の使者として単身で城に乗り込んだ結果、村重に幽閉された黒田官兵衛が、城内で起った不可解な難事件を解決しよう」というような概要も、単なる戦国ミステリーの紹介に過ぎないのだが、この時点で犯人が浮かんだのは筆者だけではないだろう。村重が比較的知名度が高い理由は、なんといっても信長に叛旗を翻したからである。村重を説得しようと試みた官兵衛は幽閉され、その挙句に官兵衛の息子松寿丸(黒田長政)を預かっていた秀吉は、信長に松寿丸を殺せと命じられる羽目になる。この一連が繰り返し大河ドラマ等で繰り広げられるわけで、脇役とはいえ、村重の名は誰も知らないというほどでもないのだ。歴男歴女が、村重を擁護出来ないところは信長に叛旗を翻したことよりも、妻子や家臣や民までも置き去りにして有岡城を出奔したこと(毛利軍へ援軍要請に向かったとも言えるのだが)なのだろうとは思うが、この概要に目を通すと、村重が有岡城を出奔したことにある程度弁解の余地があることが浮かんでくる。そうなると誰が犯人かというのは薄々分かってしまうのである。
 村重を主人公として描くのはおそらく非常に困難を極めるだろう。むしろ斎藤道三や松永久秀のように派手な梟雄と思われている人物の方が使いやすいといえば使いやすいのだが、この出奔はある意味梟雄よりもイメージが悪くなっているのである。

 これまで村重視点で描かれた作品はほんのわずかしかなく、印象として残っているのは遠藤周作の『反逆』くらいである。考えることは皆同じであり、本作にあたることで『反逆』を読み直した読者は少なくなかった。『反逆』にも『黒牢城』の犯人は登場するが、遠藤はその人物に大変肩入れしているし、作中にも「筆者はこの〇〇に愛着があるので」とはっきり記している。そもそも『黒牢城』のように、荒木家中に殺人事件が起きているわけでもなく、村重出奔後においても史実を覆すこともしていない。
 それでも『黒牢城』には遠藤の『反逆』へのオマージュを僅かながら感じる。それはその人物への肩入れである。自作の犯人を決して貶めることはなく、むしろ村重よりも官兵衛よりもはるかに強い輝きを放つような表現になっているし、その分主役なのに村重は割を食ってしまった格好になっている。本作自体が村重の名誉回復になっているのかもしれないが、逆に官兵衛に騙された(騙されたふりをした)男としてさらに評判は悪くなったのかもしれない。
 この村重は現代からワープした人間にも見える。何しろ戦国大名にあるまじき人権派大名になっていて優先順位は自分のイメージなのである。

 こんなことを書いてしまうと、薄々どころか益々本作の犯人が分かってしまうのでこれきりにしておく。
米澤は、村重のことを擁護することもなければ非難することもなくフラットさを保って筆を走らせているが、村重が官兵衛や他の人質のことを殺さないことが益々状況を悪くしている事実を淡々と暴いている。他作品では見かけないことだ。並の歴史小説家であれば、人質を殺すことなど当時の常識では当たり前のことなので、わざわざ言及などしない。
 人質というものは戦国ものには当たり前のもの、悪くいえばのちの天下人になる竹千代すら添え物のように描かれていることもあるのだ。たとえば秀吉や官兵衛が主人公だったりすると、松寿丸を助けるためにねねや半兵衛を巻き込んでてんやわんやをするのがお約束となっており、本作からすると非常に牧歌的だったとも言えよう。

 だが著者初の戦国歴史小説としてデビューした米澤が取り上げることによって、テーマが斬新に映るのだ。
本作ははじめて人質の存在意義を主題として描かれた作品であり、相手と敵対してしまったにもかかわらず人質を開放もせず殺しもせず幽閉などしてしまうとどんなことになるかが丁寧に描かれている。官兵衛の嫡子松寿丸が助かることは読者も分かりきってはいるが、それは稀なことであり奇跡だったことに、米澤は改めて読者に提示しているのだ。 


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