ポカQ

雑文書きです

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最近の記事

マイノリティの強者はどうしても四面楚歌になる

 マイノリティの強者はどうしても四面楚歌になるのだなとつくづく思う。『虎に翼』のことだ。全話どころか半分も見ていない視聴者だったので本格的に論じる資格はないが、一作品でこれほどまでに分断が広がってしまうことに少し絶望感を感じた。良くも悪くもマイノリティ讃歌ではあるが、あそこまで「ポリコレ」作品と揶揄されるのかとも思った。  制作者からしても、“当時は問題視されていなかったマイノリティに光が当たるのはおかしい”、“リアリティを感じない”などといった反応は予想通りだったのだろう。

    • 「劣等民族」発言の行方

       説明責任しろとまでは言わないが、取ってつけたような謝罪ではなくせめて自分の言葉で自己弁護でもいいから返答をしてほしかった。無論「劣等民族」発言で炎上させた青木理のことである。  案の定、2週に1度だけのレギュラーであったTBS『サンデーモーニング』から前触れもなく姿を消した。  『サンデー毎日』の自身の連続コラム「抵抗の拠点」の中ですら「劣等民族」の「れ」の字すらなく、唯一微かな形跡が窺えるのは『月刊サイゾー』(2024年11月号)での元『噂の眞相』副編集長川端幹人との対談

      • それでも供託金制度は廃止した方がいいと思う

         情報が多いほど、消化も早い今現在、もう誰も振り返ることすらなくなったあの荒れに荒れた7月の東京都知事選、一体なんだったのだろうかと時々ふと思うのだ。?  こんなことを言うと都民は怒るかもしれないが、筆者はまだ供託金制度は廃止した方がいいという考えは捨てきれていないし、過去最多となる56人が立候補したこと自体はむしろ健全だと思っている。藤岡利充氏(2013年の映画『立候補』で毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞を受賞)と同様、ポスター騒動に関して何の問題もないとまでは言

        • 『ルックバック』は最後の「マンガ家マンガ」なのか?

           『ルックバック』が話題になると、どうしても原作者藤本タツキの半自伝的作品であること、そして京都アニメーション放火殺人事件が影を落としていることに触れないわけにはいかない。  漫画家が主人公である以上、本作は「マンガ家マンガ」に違いない。だから堂々と”自伝もの”と銘打っておきたいのだが、”半自伝”に留めざるを得ない理由がある。確かに、あの『チェンソーマン』の作者でもある藤本タツキは、本作の主人公たちとルーツが近いことを考えれば”自伝もの”でいいのかもしれないが、藤本に恥ずか

          四代ミステリランキングを完全制覇した作品がポンコツ読者に犯人が特定される理由

          『黒牢城』(米澤穂信)を上記と同じタイトルでAmazonにレビューを書きました。以下が本文になります。加筆修正はありません。  黒牢城ーかの米澤穂信が2021年に四大ミステリランキングを完全制覇した輝ける作品、なのだが同時に、筆者のようなポンコツな読者がはじめてまともに犯人を特定できた記念碑的な作品でもある。米澤からすればそれこそ渾身を込めた初の戦国歴史小説なのに、ろくに当てたことのない読者にはじめて犯人を当てられた作品になったというのは、あくまで史実のせいであって、とばっ

          四代ミステリランキングを完全制覇した作品がポンコツ読者に犯人が特定される理由

          「残念ながら不採用になりましたが、あなたの応募作品のアイデアの一部を参考にさせていただきます」という一筆は要という意見に同意する

           『令和元年のテロリズム』(磯部涼)を上記と同じタイトルでAmazonにレビューを書きました。以下が本文になります。加筆修正はありません。  本書の購入を決めた理由は、3年前に刊行された単行本版『令和元年のテロリズム』に「令和三年と四年のテロリズム」という追章が加えられたことで拍車がかかったからである。  最初に言っておくと、実はこの『令和元年のテロリズム』というタイトルを元ネタに、2年前にある雑誌に載った読者投稿に使わせてもらったことがある。  そのタイトルは「令和4年の

          「残念ながら不採用になりましたが、あなたの応募作品のアイデアの一部を参考にさせていただきます」という一筆は要という意見に同意する

          どうせなら最後まで理想論とやらを貫いてほしい

           『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』(福嶋聡)を上記と同じタイトルでAmazonにレビューを書きました。以下が本文になります。加筆修正はありません。  「明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか」、このタイトルを見てしまった時点で、武田砂鉄あたりが何か言ってくるだろうなとは思ったが、その予感は当たってしまった。その内容は『AERA』’24.4.1号の「今週のわだかまり」という武田の連載コラムに載っている。珍しく持って回ったような言い方で肯定とも否定とも

          どうせなら最後まで理想論とやらを貫いてほしい

          じゃあアンタが雇ってくれるのか?

           『アンチヒーロー』の初回を最初の約1時間までは横になりながら何気なく視聴していたが、気になる音声が入ってきた。APDー聴覚情報処理障害である。  まさか、「この世界の片隅」に過ぎなかったAPDがドラマで取り上げられるとは思いもよらなかった。快挙かもしれないと一瞬思った。 ほとんど知られていなかった「APD」と「聴覚情報処理障害」の両方に『アンチヒーロー』を含め結構な量のハッシュタグがついてくるのだ。特に当事者からの反響が大きかった。  説明するまでもないが、初回にAPD

          じゃあアンタが雇ってくれるのか?

          「妾でもいい」発言は平安女子の身近な悩みだが、大河ドラマとして本当に画期的なのは初の「側室」ヒロインが誕生したことである。

           「妾でもいい あの人以外の妻にはなれない」  大河ドラマ『光る君へ』の第12話「思いの果て」での主人公まひろ(紫式部:吉高由里子)が放つ衝撃的な台詞はトレンド入りするくらいの反響だった。 「妾でもいい」という強いインパクトのある台詞は一見不道徳のようにも聞こえてしまいそうなのだが、現在のような愛人色が強いというわけではない。むしろ平安女子の身近な悩みを訴えかけているといってもいいだろう。作中での読み方でも「めかけ」ではなく「しょう」という読み方だ。この時代の貴族の世界ではや

          「妾でもいい」発言は平安女子の身近な悩みだが、大河ドラマとして本当に画期的なのは初の「側室」ヒロインが誕生したことである。

          「キックバック」の廃止という発言こそ俄かに信じがたい

           裏金事件の幕引きは、処分をめぐって水面下で行われたようで、案の定「手打ち」という虚しい結末を迎えた。  そもそも事件の幕引きがあそこまで収拾がつかなくなったのは、安倍晋三元首相の「遺言」である「キックバック」の廃止が、安倍派幹部を超えて自民党の至上命題になってしまったことである。タテマエ上では、政治資金パーティー券の販売ノルマを超えた収入が所属議員側にキックバックされていたことを、安倍氏がやめさせた、ということになっているようだが、一体誰が信じているのか?  大体生前あ

          「キックバック」の廃止という発言こそ俄かに信じがたい

          マスクコウモリ

           新型コロナウイルス感染症の位置付けが「2類相当」から「5類」に移行して、はや10ヶ月も経ったが、筆者は未だ「マスクコウモリ」である。日常は「あごマスク」として棲息する「マスクコウモリ」は、周囲を見て瞬時につけ外しをしてしまう哀しい習性の持ち主だが、決して少なくはない種族だ。ちなみに「マスクコウモリ」とは筆者の造語だ。 「マスクコウモリ」は、交通機関や商業施設では外すことは滅多にない。町中では外しているが、自分の前を通る人が継続派なら着用する。外していても咳やくしゃみが出そう

          マスクコウモリ

          なぜ失言大王よりも当事者になった上川陽子の対応に波紋が広がるのか?

           なぜ失言大王よりも当事者になった上川陽子外相の対応に波紋が広がるのか?  麻生太郎副総裁のルッキング発言から端を発し、当人の上川氏の対応を巡って、「大人の対応」、「抗議すべき」と意見が割れてしまうこと自体に相当根深いものがあると思う。 「なぜ抗議をしないのか?」、「毅然とした対応をして欲しかった」 確かに上川氏のようにかわしたり受け流したりすることがベストな選択ではないことぐらいは分かるが、非難が当人に向かってしまうのには釈然としないものがある。  「自分が我慢したことで

          なぜ失言大王よりも当事者になった上川陽子の対応に波紋が広がるのか?

          2年半以内に出してくれてありがとう、でも

           『BLACK LAGOON』13巻を上記と同じタイトルでAmazonにレビューを書きました。以下が本文になります。加筆修正はありません。  上記のようなタイトルを付けたのは理由がある。実は、12巻へのレビューを書いたときに、「せめて2年半内に13巻を出してもらいたいものだ」と思わず口走ってしまったからだ。実際にその期待に応え本巻は2年4ヶ月で刊行してくれたので、それにつられてタイトルも「2年半内に出してくれてありがとう」にしておいた。出来ればそこで締めたかったのだが、「で

          2年半以内に出してくれてありがとう、でも

          たけし映画の『首』は『戦メリ』の首を解体出来たのか?

           お蔵入りになると思われていた映画『首』を観た。  確かにたけしによる大島渚(黒澤明も)へのリスペクトは感じたが、その裏には大島との距離も微かながら感じてしまう。”衆道”を題材の一つにしていることは『戦場のメリークリスマス』(83)や『御法度』(99)と同様だが、叛旗を翻しているようにも受け取れたからだ。前2作でのたけしは出演者の立場ながら、”衆道”というものから徹底して背を向けている。  それはたけしが望んでいたことでもあるが、その決定権はたけしにはなく、大島にあるので、

          たけし映画の『首』は『戦メリ』の首を解体出来たのか?

          味方忍者と敵方忍者の扱いの違いとは?

           関ヶ原の前哨戦で4万の大軍をわずか2千程で10日間以上持ち堪えていたという凄絶な伏見城の戦い、その直前での家康と忠臣である鳥居元忠との別れは繰り返し語り継がれている世にいう「伏見城の別れ」である。  TBSの『関ヶ原』(1981)では、森繁久弥と芦田伸介が、NHK大河ドラマ『葵 徳川三代』(2000)では津川雅彦と笹野高史が演じているが、これを超えるのは至難の技だ。  そこで思い付いたのだろう。『どうする家康』では、武田のくのいちだったはずの千代(古川琴音)を急遽元忠(音尾

          味方忍者と敵方忍者の扱いの違いとは?

          市川沙央と植松聖

           『「ハンチバック』(文春e−book)を上記と同じタイトルでAmazonにレビューを書きました。以下が本文になります。数箇所を太字にしたのはnoteで加筆した部分です。  「紙の本を憎んでいた」発言は、既に本作からひとり歩きしてしまった格好になっているが、正直なところ市川沙央に先を越された、借りを作ってしまったという気持ちがある。  書き手側の方はまるではじめて聞いたように、あたかも無知で傲慢な書き手である読書家の心にグサリと刺さった、耳が痛い、胸がしくしくと痛んだ、鋭く

          市川沙央と植松聖