【詩を食べる】ふらんすへ行きたしと思へども(萩原朔太郎)/パリジャン弁当
風薫り、旅心ふくらむ5月。そんなとき、こんな詩はいかが?
声に出してみると、さわやかで心地よい詩だ。フランス、でもなく仏蘭西、でもなくひらがなの「ふらんす」。やわらかい霧のなかにある憧れの国。
一行目「思へども」とある時点で、行けないことは明白なのに、二行目の「あまりに遠し」に嘆きは感じられず、むしろ明るくのんびりとした諦念が漂う。
「汽車が山道をゆくとき/みづいろの窓によりかかりて/われひとりうれしきことをおもはむ」なんて、とてもかわいい。「しののめ(東雲)」は明け方、または明け方にたなびく雲のこと。五月の早朝はなにもかもが「はじまり」のムード。若草の萌えいづる心まかせに・・・と車窓からの風景と旅心のふくらみが響き合う、のびやかな余韻。
「ふらんす」の醸し出すマリー・ローランサンの絵のような淡い色調が全体を包み込み、みづいろの車窓、そして若草…と色彩も美しい作品だ。
この詩は少年時代の朔太郎が書いた作品をまとめた『純情小曲集』(1925)におさめられている。自序では「やさしい純情にみちた過去の日を記念するため」に作られたもので、「この頃の詩風はふしぎに典雅であつて、何となくあやめ香水の匂ひがする」といっている。
あやめはアイリス。花や実ではなく根茎からとれる希少な香りで、採油までに6年もかかるらしい。少年時代に書き、30代になって世に出て香りはじめた詩は、やさしく香り高い。
ふらんすへの憧れ
さて、世界規模のパンデミックで「旅に出られない」という状況になって久しい。しかし思えば、パンデミックでなくても、その状態のほうがふつうなんじゃないだろうか。「旅に出たい」という生理的欲求にも近い想いがありながら、仕事やお金や子育てなどの理由で、そう自由には旅には行けない。ましてや、朔太郎の時代は船旅で1ヶ月以上かかる。「ふらんす」はあまりに遠いのだ。
それにしても、そんななかで「せめては新しき背廣をきて/きままなる旅に」出てみようというのは詩的でおもしろい。キャッチーで心に残る。
旅に出るのに「背広」、しかも新しいとはいかに。当時の「ふらんす」に対する文化人の憧れを考えると、「きままな旅」であっても服装はピリッと決めたいところなのだろうか。
ちなみに、永井荷風がフランスから帰国し、『ふらんす物語』を上梓したのは1909年。「フランスに来て初めて自分はフランスの気候が如何に感覚的であるかを知った──」この作品は日本人がフランスに憧れを抱くきっかけとなった。
パリに向かう汽車からの色彩の描写が印象的で、朔太郎の「汽車」の描写はこの文章を意識してのものだったかも。
せめては新しきエプロンをきて
憧れの国へ行けないとき、わたしだったら何をするかな…と考えてみる。朔太郎は国内の汽車旅に切り替えたが、それすらできないともなれば。そうだ、せめては新しきエプロンをきて、きままなるパリジャン弁当をつくらん。
わたしが昔、憧れに胸を膨らませて行ったパリで驚いたのは、サンドイッチのそっけなさ!バゲットにはさまれているのは、ハムだけ、チーズだけ、もしくはハムとチーズ。レタスの葉っぱ一枚はさんだらよかろうに…。当時10代ながら、「パリの人たちは、栄養が偏らないのかなぁ」と心配になった。
日本のサンドイッチは、レタスがぎゅうぎゅうに入っていたり、トマトやきゅうりが入っているものが多い。家庭科実習でサンドイッチを作った時も、サラダ菜を洗ってキッチンペーパーでそっとふき、パンに野菜の水分が染みないようにバターもしくはマヨネーズを薄く塗って…と教えられた。それだけ手間がかかるにせよ、なかば強制観念のように「野菜」は入れるものと思っていた。それが、食の都・パリのサンドイッチのシンプルさよ!
しかし野菜をはさまないぶん、バゲットのクラスト(皮)の香ばしさや小麦の味わい深さはダイレクトに伝わり、パン、ハム、チーズが渾然とまじりあう旨みは格別だ。
今回も「きままなる旅」にもっていくきままなるパリジャン弁当だもの、それでいきましょう。パリジャンサンドイッチはバゲットが本流だけど、旅に出かけられない分、クロワッサンにはさむという贅沢くらいは許されよう。
うやうやしく紙袋から取り出したクロワッサンに切れ目をいれてトーストし、ハムとチーズをはさんだらできあがり、の、きままなお弁当です。
かみしめるたび、パンとハム、チーズが一体にまじりあう。朝からスパークリングワインでも飲んじゃおうか。
大学生でふたたびフランスを訪れた時は、ローカル列車にゆられながら、スーパーや市場で買った白カビチーズをチコリーですくいながら昼食がわりにしたっけ。
コロナがおさまったら、また旅をしたいな。
作者についての後書き
萩原朔太郎(はぎわらさくたろう、1886-1942)、群馬県生まれ。
この詩はあまりにもポピュラーなので、誰の作品かも忘れていて、「朔太郎なのか」と改めて不思議な思いがした。萩原朔太郎といえば、「月に吠える」などすこし病んだような、切実なイメージの詩句を操る人。しかしこの詩には彼特有の毒も、「せんちめんたる」も鋭さもなく、楽しげだ。
時期的なものではなく、読み返すとこの詩の前後の詩は切なげだったり打ちひしがれていたりで、この詩だけがリラックスしてのびのび書かれているような感じがある。
本人も気に入っていたようで、「南の海へ行きます」(「侏儒」第6号・大正4年2月号収載)という詩のなかでも「れいの背広」と自ら本歌取りのようなことをしている。
朔太郎さんにとって、「いっさいのもの」と断ち切り、あくがれいづるときに着る「背広」とはどんなものだったんだろう。麻のベージュの軽い背広を想像した。