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お兄ちゃんになったきみと「虹」

おひさしぶりです、お元気でしょうか。
詩のソムリエが子育てをしながら味わい直す、詩のはなし「こどもと詩」。
久しぶりの更新になりました。

緑薫る五月に、第二子となる女の子を出産しまして、はや半年。
気になるのは、赤ちゃんのことはもとより、お兄ちゃんとなった第一子の心のケアです。まだ二歳の息子の、葛藤やいかに…。
二児の母になって、ハッとさせられた詩をひとつ紹介します。まど・みちおさんの「にじ」という作品です。

お兄ちゃんになるということ

第二子を出産後(おかげさまで安産でした)、ドキドキするのが、上の子と赤ちゃんの初対面。
どんな反応なのかな。赤ちゃん返りするのかな…?とハラハラしましたが、親の心配はよそに、息子は寝ている赤ちゃんを見て、「あ!赤ちゃんだよ〜」と指差し、「よーし、よーし」とそっと頭をなでてくれました。
ホッと一安心!二児の母になった実感もわいてきた瞬間でした。

おっぱいをあげていると、「妹ちゃん、どいて〜」と泣きそうな顔で言ってくることはあるけれど、赤ちゃん返りもなく、赤ちゃんをいじめることもなく、いたって朗らかに過ごしています。(彼の性分なのかな。ありがたい限りです)

そんなある日、ふと、まど・みちおさんの『人生処方詩集』を読んでいて「にじ」という詩に目が止まり、ぽろっと涙が出てしまいました。

「にじ」

にじ にじ にじ
ママ あの ちょうど したにすわって
あかちゃんに
おっぱい あげて

詩を読んでいると、息子が「ママー!妹ちゃんが泣いてるよ〜。だっこちてあげて」と言いながら駆けてくる姿が重なってきます。娘が大泣きしていると、息子がそのように言うのです。「おっぱいあげれば、いいんじゃないかねぇ?」と言うときもあり、その老成ぶりがおかしいやら、泣けるやら。でも、やっぱり、我慢もしているのかしらと胸がきゅっとなります。
また、息子がきらきらとした目で、「虹だよ!」というときのはずんだ声も聞こえくるようです。

それにしても、みじかい詩でありながら、兄・姉となった小さな子の、健気で、純粋な世界がぎゅっとつまった、美しい作品です。
忘れかけていた、人の性分のもっともきれいなところ。きれいなものをよろこび、パパ・ママが大好きで、でも痛みをともなうやさしさも、覚えはじめた―小さな子どもをそばで見ていると感じる光景が、そっくりそのまま、この詩にあらわれているように感じます。

詩と子どもが教えてくれること

まど・みちおさんは「にじ」の詩に関して、エッセイ『百歳日記』のなかでこんな言葉を残しています。

虹は本当に素晴らしい。その真下に赤ちゃんを抱っこしたお母さんがいるとなお素晴らしいなと私は思います。そういう、お母さんが子どもにおっぱいをあげているようなやさしさというのは、人間だれしもが持っているはずです。

まど・みちお『百歳日記』


詩には、「人間だれしもが持っているはず」の、やさしさであったり、シンプルな喜びの感情であったり、忘れたくないものがつまっています。
普段、仕事や家事育児に追われて忘れかけてしまう、やわらかい心。
たまには立ち止まって取り出してあげてもいいな、と思います。

望んでお兄ちゃんになったわけではない息子に、兄という役割を押し付けないようにと思いながらも、つい「兄」として見てしまうとき。
息子ががまんしていることを、見落としてしまうとき。
ぎゅっと抱きしめるように、この「にじ」をまた読み返そうと思います。

虹といえば…"The Child is father of the Man"

そうそう、虹といえば。イギリスのワーズワースという詩人のThe Rainbowという詩が有名です。

My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old
Or let me die!
The Child is father of the Man :
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

私の心は躍る、
大空に 虹がかかるのを見たときに。
幼い頃もそうだった、
大人になった今もそうなのだ、
年老いたときでもそうありたい、
でなければ、生きている意味はない。
子供は大人の父親なのだ。
願わくば、私のこれからの一日一日が、
自然への畏敬の念によって 貫かれんことを。

くわしい解説はこちら↓

はじめてこの詩を読んだのは20歳頃、イギリス詩の授業。朗読のテストがあったので、手帳に書き込んで一生懸命練習した詩です。その頃からずっと、"The Child is father of the Man"(子供は大人の父親なのだ)という意味がよくわからず、ひっかかっていました。

でも、親となって2年半、つくづく、子どもに教わることが多く、この詩句が腑に落ちるように。
たとえば、子どもが「ママ!」と顔を輝かせる姿を見ていると、大切な人がそこにいるということが、最上級の喜びになることを思い知ります。
そして、こんなに小さいのに、自分より小さい妹の世話をするのを見ると、なんてえらいんだろう、としみじみ感動します。

これからも、詩に、子どもに、教わることがたくさんありそうです。

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