感情の下駄
時々、心のなかの声なのか、本当に空気を伝って音声にしているのか分からないことがある。
実際には大切なのは言葉じゃなくてバイブス(気分)らしい。死にたいって自分が言うことでバイブスが上がるなら、それで良いらしい。
パパンも、一緒に暮らしている間には、3秒に一回くらい死にたいって口にしていたけど、まだ一度も死んでない。みんながみんな、言葉で真実を語ってないってことについて、もっと早く知っていればよかった。
いつからか、どんな言葉もアガペーもタナトスも機能しなくなって、あたしたちは別の単語を探し始めた。
投げやりで、どうでもいいとき、どうしようもない、行き場のない、やり場のない、エゴい自分の全てを許し、受け止めるコトバ。
愛は、もう機能しないのです。愛を語る言葉はもう無効になってしまった。あたしたちはあまりにも愛と神と宇宙の誤用の多用の過激な蛍光灯の白光に、眼を、身を、心を焼き尽くされて、もはや気分の悪さしか感じることが出来ない。
観念から全力で逃げるための武器も、秋川渓谷に捨ててきた。重いから。
どうかあたしたちがどこにも回収されませんように、その為の一言が必要なのです、それは役に立たないものでなくてはいけない。
下駄みたいなものです。
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