小豆煮日和
久しぶりの平日休み。
年末あたりからずっとぜんざいを作りたいと思っていて、それをやっと実行する日だ。
私は数ヶ月に一度、なんか手のかかることがやりたいなと思う波が来るのだが、それはだいたい料理によって昇華される。今まではよく、鯛のあら炊きを作っていた。あの荒々しい姿でパック詰めされた魚の頭や皮が、おいしい煮物になるってすばらしい!手のかかることがやりたい期の時、私は手っ取り早く魔法使いになりたいのかもしれない。ちょっとやそっとではおいしく食べられない代物である、ってことが大事。
てなわけで休日の朝6時に起きて、ぜんざいを作った。はじめて作ってみて楽しかったので、その記録。ぼくさんのレシピによれば2時間ほどでできるとのことだった。
まずは小豆をしゃらしゃら洗う。たぶんぜんざいやあんこを作る人はみんなここで「小豆洗いだ…」と思うんだろうな。
それから水をじゃばーと加えて、茹でこぼす というのを2回やる。
茹でこぼれるまでに意外と時間がかかったので、台所の窓を開けて外を眺めてみる。
まだ外は暗く、むちゃくちゃ寒いうえに雨がぱらついていて、しめっているけどキンとした空気のにおいがした。冬の雨の朝でも自転車で朝練に行っていた高校生の頃を思い出して懐かしくなる。毎日寒い中で練習して、あの頃の私達は強かったし何も疑わなさすぎだった。
朝の雨のにおい、夕暮れのほこりっぽいようなにおい。そういうものはけっきょくぜんぶ、学生時代に私を引き戻させる材料になる。
茹でこぼしが終わると、小豆もだいぶとふっくらしてきた。そこにたっぷりの水を入れてアクを取りつつ1時間ほど煮る。
暇なので、数年ぶりに調理科学の教科書を読む。今や教科書の入った段ボールの上には使っていないプリンターとか袋入りのみかんとかが積まれており、再度勉強しようという雰囲気は感じられない有様である。
さいきん痛めたばかりの腰でわざわざプリンターをどけてまで教科書を引っ張り出したのには理由がある。
この前恋人と料理をしていて、なぜ野菜を茹でる時に塩を入れるのか?をちゃんと説明できなかったのが悔しかったのだ。なんか、クロロフィルがなんちゃらかんちゃら…とモチャモチャ言うにとどまってしまった。ほんと、人というのはすぐになんでも忘れる。みりんは砂糖の30%の甘さだよ とか、披露しても「ふーん…」となりそうなことは覚えてるのに…。
案の定、教科書を開くとどれもこれも忘れた知識ばかりで、なぜ野菜を茹でるのに塩を入れるのか にたどり着くまでにタイムアップとなってしまった。ざんねん。次に煮物をやるときはきっとたどり着けるはず。
1時間のタイマーを止めて窓の外を見ると、もうすっかり明るい。なんやかんや、作りはじめてからもう2時間弱経っているものね。
そこに砂糖をたくさん入れて、かき混ぜながらとろとろと煮る。わりと早く煮詰まってくる。
ぜんざいをつくっている間に嫌なこととか悪いことを考えてしまうと、それがぜんざいの中に溶けて煮詰まってしまって、もう蒸発してくれなさそうな想像をしてしまう。だからあんまりスマホなどを見ず過ごした。
よきところでお餅を焼きはじめ、焼けたらぜんざいの火を止めて、木のお茶碗におたまでよそう。上に焼いたお餅をのせる。
完成✨ぼくさんのレシピに書いてあったとおり、約2時間でできた。
うんうん、おいしい。
甘さひかえめで、小豆の粒もきれいに残っている。茹でこぼす過程を思い起こすと、一粒一粒が愛おしい。アクをとった甲斐あって、澄んだ味がする。お餅のぱりぱりを浸して食べるとまたいっそうおいしい。
静かなリビングを見渡しながらのんびり食べた。
犬はまさに煮たばかりの小豆のようにふっくらとしたシルエットで寝息を立てているし、ベランダにはローリエと枯れかけのネギがさんさんと日を浴びている。たまにリビングにやってくる仕事中の母に、ぜんざいの進捗を報告する。
なんて素敵な朝なんだろう…。私は人といっしょに過ごすことがわりと好きだし寂しがりやなほうだと思うけれど、朝だけは!朝だけはやっぱりこの家でできるだけたくさん迎えたいと思う。そう思えるということが、いま幸せってことなんだろうなと思う。
つやつやして、まどろんでいて、やさしい甘さの時間は、くつくつ煮込んでいる小豆によく煮ている。
これから、こんな日々がずっと続けばいいなーと思ったら、それを小豆煮日和と呼ぼうかな。