note継続をやめてみたお話
タイトルのわりに大した話ではないのですが
昨日、300日以上続けてきた毎日投稿に
ふと終止符を打ちました。
『もうすぐで1年だったのに…』
『もったいない』
いろんな声が聞こえてきそうだし
自分の内側からもその声はしっかり聞こえている。
でも、これで良かったんだと確信を持って言える。
noteの継続させてくれる力は本当に凄いと思った。やった分だけしっかり褒めてくれる。時にはメダルも渡してくれる。スキの数も嬉しいし、コメントだって。
飽き性な僕がここまで心地よく続けられたのは、noteを作ってくださった製作者側の楽しませてくれるシステムや、毎日読んでくれる僕のフォロワー方のおかげです。
毎日投稿は楽しい日々でした。
楽しかったけれど、書く理由が当初と変わってきてしまっている事に気づいたのは、別に最近の話じゃない。
徐々に「続けること」が目的になってしまい、纏まっていない言葉や、投稿しても意味のない言葉を送り続ける日々が続いてきた気がした。
投稿し終わった後の、「○○○日投稿」の文字を見たいが為に、書き続けるnoteに、いつしか愛着を持てなくなってしまったのはいつだろう。
書くことが楽しみではなく
タスクの内に入ってしまったのは
いつからだったんだろうな
そんな気持ちで投稿していく内に
noteを書く事を忘れそうな日々が続いた。
書く事がなく、その場で必死に考えて
投稿したnoteにどんな意味があったんだろう。
何の為に書くのか?
その問いに答えられなくなるほど、継続していく事しか頭になくなってしまったんだって気づいた事に、やっと逃げずに向き合えた。
正直1年だけしっかり継続して止めてもよかったんじゃないか。
そう思わなくもないけど、でも昨日投稿しかけて止める決断をした。
やっぱり書きたい事、自分が読みたい内容をここには書いていきたい。
誰かに褒められる為に書くんじゃなくて、内側の本当のところをしっかり書いていきたい。
自分の内側の、内側をしっかりと言葉にする為に始めたnoteなのだから。
数字を出す為に始めた事じゃ、ないのだから。
昨日24時を過ぎるのを確かめて、幾ばくかの後悔のあと、やっとスッキリした気持ちになった。
今まで何を勝手に背負い込んでいたんだろう。
誰も強制している訳じゃないのにさ。
だけど、ちゃんと継続してこれた自分もちゃんと褒めてあげたいと思う。眠い中なんとか書いた日もあった。5分だけでも時間を作って書いた日もあった。ネタのきっかけをiPhoneのメモに書き連ねた。
そこは認めてあげたい。
お疲れさま。ありがとう。
これからは、毎日じゃなくなるかもだけど
今までよりも伸び伸び書けそうな気がする。
もし、毎日投稿を楽しんでくださっている方がいたら、それはごめんなさい。勝手に決めて勝手に実行してしまいました。
だけど、noteはこれからも書いていくつもりです。
ちゃんと書きたい事を書きたいように。
今回のことを通して、ある事に気付いた。
継続だって大変で覚悟がいる事だけど
終わらせる事も同じくらい覚悟がいる事
それをどっちも選択できた自分がいる。
間違いなくそれは自分を勇気づけている。
大丈夫。楽しく、面白く書いていける。
止めた理由をツラツラと書いてしまいましたが
そんなところです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
また気軽に読みにきてくださいね。