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私の左手首には、
うっすらと数本の痕が残っています。

中高生の頃、
なぜか流行っていたんですよね。
田舎で暇だったからかもしれません。

当時は、XやInstagramではなく
”リアル”というSNSが主流でした。
同世代の方なら 懐かしい響きでしょう。

今のXと同じように気持ちをつぶやいたり、
日記を書いて、友だちから反応をもらうんですよね。

例にもれず、私もリアルをやっていました。

「病み期」なんて言葉も流行っていて、
今思えば。
思春期の不安定な気持ちを不器用な方法で友人と共有することは、
成長するために必要な過程の一つだったのだと感じます。


ある先輩が、そこに画像を載せていました。
「安心する」という言葉を添えて。


安心するのか。
じゃあやってみようかな。
そんなノリだったと思います。


特別辛いことがあったわけじゃない。
みんながやっているから。


たしかに感じるものがありました。
「あ、生きてるんだ」

だから痛いし、血は赤い。

自分を理解できるような、
友だちと痛みを分け合えるような、
そんな気持ちになりました。


姉に見つかったことをきっかけに辞めましたが、
うっすらと痕は残りました。

始めたきっかけも特別なことではなかったし、
自分の中で嫌な記憶として残っているわけではありません。

だから、隠すこともしません。


でも、人と接する仕事を長くしていました。
目についたら不安にさせちゃうかな。
そんな心配はいつもありました。




先日、NHKの『宙わたる教室』を観ていました。
定時制高校を舞台にしたドラマなのですが、様々な事情を抱えた生徒たちが出てきます。
とある回では、保健室登校をしている生徒にスポットが当たります。
彼女には、私と同じように痕がありました。

それを教師は、「轍(わだち)」と表現したのです。

轍(わだち)とは・・・
車輪そのものや車輪が通った跡を指す言葉


つまりそれは、
ここにたどり着くまでに必要だったからできたもので、目の前にはない。


なんて素敵な表現だろうと思いました。

決して悪いことではない
必要なことだった
そう自分を正当化していても、
後ろめたい気持ちはあるものです。

それを責めずに受け止めてくれる人がいることが、一番心強いです。


もし今後、誰かに聞かれることがあったら。
笑顔で「轍です😊」と答えたいです。



ただ、これはあくまで私目線の考えで。
母や姉が見たもの、感じたことは
私には想像し得ません。

ふたりとも、
あの頃は心配かけてごめんね。
受け止めてくれてありがとう。



お読みいただき、ありがとうございました。
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