助産師という仕事が好き。
コンビニもゲームセンターもなく、
海と山だけが広がる、島。
当時の人口、約1万人。
同級生は40人にちょっと届かないくらい。
すごーく過疎っているわけではないけど、田舎。
小さな頃は、この自然のすべてが無限の遊び道具。
裸足でかけまわり砂だらけになった足を見て、
「ねぇ!これゾウさんの足みたいじゃない?!」
ただ走るだけのその遊びを「ゾウさんの足ごっこ」と名付けていた幼少期。
今でもたまに、あの遊びがしたくなる。
そして、どれだけ自分が自由だったかを思い知る。
田舎は、人と人との繋がりが深い。
友だちの家ならたいてい「ただいま~!」と入っていける。
小学生のときに通ったそろばん塾は、
大人になってからも何度も足を運んだ。
部活の恩師とは、今でも事あるごとに連絡を取り合う。
そういう、自然の中で生まれる 人と人の繋がりが、私は昔から大好きだった。
いつかこの島に戻って働こう。
教師?保育士?いやいや、看護師はどうか?
いずれ地元で働くことを前提に、将来の夢を探していた。
そんなとき、ある助産師さんと出会った。
この自己紹介でも紹介しているので、
出会いについては割愛。
このとき初めて、看護師のその奥に
助産師という資格があることを知った。
助産師は、赤ちゃんを取り上げるだけが仕事じゃない。
子どもから大人まで 女性特有の病気や悩みを抱える人を救う、
”女性の一生を支えるプロフェッショナル”だ。
当時の私は中学2年生。思春期真っ盛りで。
自分はもちろん、友人の性に関する悩みをたくさん聞いていた。
それでも、私たちは余程のことがない限り、産婦人科を受診しない。
思春期の学生が産婦人科の敷居を高く感じるのは、単に羞恥心の問題だけでなく、
正しい性教育が行き届かない環境にあるからかもしれないと思った。
だとしたら、私が助産師というプロフェッショナルになって、
この小さな島に、正しい性教育を届けたい。
くっきりと、「助産師になる」夢ができた瞬間だった。
高校卒業と同時に島を出て、
東京都立府中看護専門学校へと進学した。
小児も、成人も、老年も、全部楽しかったし興味深かった。
でも、助産師になりたい気持ちがブレることは、なかった。
その後、3年間の看護師経験を経て、
神奈川県立衛生看護専門学校 助産師学科に進学。
ここでも、楽しい同級生といつでも助けてくれる先生方と出会い
1年間みっちりと、充実した日々を過ごした。
ここでも、人との繋がりを大事にしたかったのでしょう。
事あるごとに、このようなメッセージカードを作って。
巻き込まれた同級生の中には、めんどくさいと思っている人もいたかもしれない(笑)
でも、結果的にとても仲の良いクラスで卒業できたし、
今でも年に1回は同窓会をしているほど。
3年間の看護学校よりも、1年間の助産学校の方が、
今も仲良くしている友だちが多い。
それが、どんなふうに過ごしてきたかを物語っていると思う。
そうして私は、助産師になった。
助産師になってからのあれやこれやを。
たくさん書こうと思っていたのだけれど。
結局、私は人と繋がりたいんだと、書いていて感じた。
助産師のたのしさ、おもしろさは、
命を繋いでいくことにあるんだと思う。
それは、私にとっては幼少期からずーっとやってきたことの延長戦で。
だからこそ、しっくりきているし、
好きな仕事なんだろうなと思った。
また、人と繋がりたい。
まだ、人と繋がっていたい。
好きな仕事で生きていきたい。
まだまだやりたいことが、たくさんある。
スキ♡、フォローが増えたら、
復職の励みになります!
お読みいただき、ありがとうございました。