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屋久島の旅 [3/5] (山で★深読み)

島到着日は「屋久島自然園」で屋久杉について学び、「屋久島ランド」で50分の散策コースを歩きました。いよいよ2日目、本番です。

午前3時に起床。4時10分にロビーに集合します。
トレッキングシューズを履き、朝食と昼食の弁当をナップザックに詰め込んで、真っ暗な中、バスで「荒川登山口」に到着しました。
ここで、朝食のおにぎりを食べ、トイレを済ませ、出発します。
この先、通常のトイレはほとんどなく、我慢できなくなれば、所々にあるテントの中でそれぞれ自宅から持参の《携帯トイレ》で用を済ませることになります。
携帯トイレって、要は黒いビニール袋と凝固剤のコンビで、ビニール袋の中に用を足し、凝固剤をふりかけ、登山口まで持って帰らなければなりません。
荒川登山口の標高は約600 m、縄文杉は1300 mほどなので、標高差700 mになります。

登山開始は5:45
荒川登山口からは安房森林軌道と呼ばれるトロッコ道をヘッドライトを点けて8.5 km、ひたすら歩いていきます。この軌道は1923-1969年の間、伐採した杉の運搬に使われていました。
次第に辺りが白み始め、やがてライトを消しても歩ける、正常なヒトの《朝》が来ます。

山の朝です

なだらかな登り道ですが、時折、柵の無い橋がかかっており、下を流れる谷川を見ると、けっこう怖い。
印象的なのは谷川の水の透明度が高いことです。これは、山全体が花崗岩で土も養分もほとんどないので、たとえ大雨の後でもまったく汚れないのだそうです。
「水清ければ魚棲まず」とはよく言ったもので、山中の川に魚はほとんどいないそうです。

トロッコ道をひたすら8.5 km
柵のある橋では写真を撮る余裕もありますが……。

こんな山中にも、かつて(1923-70年)、杉を切り出す人びとと家族が住んでいた集落があり、最盛期は500人ほどの人口だったそうです。
今はほぼ唯一のその名残りとなる、《小杉谷小学校》の廃校跡地の前をトロッコ道は通ります。

《小杉谷小学校》の廃校運動場を校門跡から眺める。奥の高台に校舎があった。

我々のグループは30代のガイド氏以外全員シニアなので、後から来る若者グループに道をゆずりながらマイペースで進みます。

途中には、第2次大戦中の防空壕もありました。太古からあるようなこの島も戦争とは無縁ではいられなかったのですね。
この行程では「ヤクザル」は見ませんでしたが、「ヤクシカ」はすぐ近くを歩いており、「彼らの森」に入って来た連中を眺めていました。

ヤクシカの群れが、トロッコ道のかたわらの崖上を歩いていました。

トロッコ道の終点に到着したのが8:40。最後のトイレがここにあります。
ここからはけっこう急な登り道で、縄文杉まで片道2.5 kmです。50 mおきに50番まで地点番号が付けてあり、この番号を目に、
「……まだ10番か」
「……ようやく半分か」
などと落胆したり自分を励ましたりしながら登ります。

12番の辺りに、400年以上前、島津藩政時代に伐採された切り株といわれる《ウィルソン株》があります。中は大きな空洞になっていて、清らかな泉が湧きだし、《木魂神社》の小さな祠があります。
それにしても、こんな巨木を育てた森の力にもたまげますが(それ以前の島人が「神が宿る」と畏れていたのも当然ですね)、木を伐る手段が《斧》だけの時代に、よくもまあ、こんな巨木を相手にしたものだ、と人の力と根気にも驚きますね。
1586年、豊臣秀吉の命令により、大阪城建設のために伐られた、と言われています。

巨大な《ウィルソン株》
《ウィルソン株》の中から上を見上げると「♡型」に見えるのだとか。
「木魂神社」の小さな祠。ここに「神宿る」。

10:45-11:10に沢で休憩し、昼食を取りました。このあたりではかなり寒く、小雨もふってきて、ガイドさんにふるまってもらった味噌汁がありがたかった。

さらに急な道を登り、途中、樹齢3000年といわれる《大王杉》はすぐ近くで見ることができます。
《縄文杉》が発見されるまでは、この杉が最大&最古、と言われていたそうです。

《縄文杉》発見まではスターだった《大王杉》。横にあるツルツルした木は百日紅?ではなく、ヒメシャラです。このあたりから「世界自然遺産」ゾーン。

雨がかなり降り出しました。屋久島は海岸沿いでいかに晴れていても、標高1000 mを超えると雨が降っていることが多く、レインコートなど雨具は必需品です。

12:00《縄文杉》到着。
しかし、根を傷めないため、今は20 mほど離れたデッキから見るしかなく、雨に煙ってあまりくっきりとは……。

デッキから眺める《縄文杉》。雨に煙っていますが、まあ、それぐらいが神々しくていいのかも。

しかし、誰かが、
「ほら、上!」
と指さすのにつられて振り仰げば、
おお!
太古の昔から生きていた杉の木は、辺り一面、あらゆる方向に腕を伸ばし、この地を《支配》していました。

腕を四方八方に伸ばす《縄文杉》

さて、下りは ── 急な石ころ道も木道も、膝に負担がくるのをかばうように慎重に歩を進めるため、腿もふくらはぎも、ガクガクでしたね。
トロッコ道に戻ってからの8.5 kmも、

これ、永遠に続くんじゃないの?

と思ったほどでした。

帰り道は、ただもう帰って宿で温泉入ってビール飲みたいだけで、景色を楽しむ余裕はまったくなかったですね。

往きはよいよい、帰りはヨレヨレ ── 永遠に続く?

ガイドさんが、
「終点が近づくでしょ? ああ、もう少しだ、と思って平坦なトロッコ道で足が上がらず、転んでけがをする人がいるんです。険しい山道はむしろ、気を貼っているんですが」
と《高名こうみょうの木登り》のような話をする。

荒川登山口到着は17:25。

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