映画ドラえもん「のび太の地球交響楽」
『映画ドラえもん「のび太の地球交響楽」』を見た。
あまりに感動して、頭が痛くなるほど泣いた。
花粉症も顔負けなくらい、目を真っ赤にして映画館を出た。
みんな(みんなとは)、ありゃあ映画館で見たほうがいいぞ。
何をおいても音楽の素晴らしさにあふれた2時間。
リコーダーが苦手なのび太が、ナゾの少女ミッカに出会い、ドラえもんたちと音楽を奏でながら宇宙に飛び出していく物語。
映画であり、アニメであり、冒険であり、演奏会であり、日常であり、人生であり、生命や歴史で、そしてうつくしい音楽だった。
ただ音楽をたのしむのはもちろん、力でも言葉でもなく音楽でたたかう描写が印象的で、その音も色彩もアニメーションも、すばらしかった。
どこかゲーム要素もあってポップでたのしくて、のび太たちがレベルアップしていく成長譚でもあり、試練をクリアしてステージを広げていく冒険譚でもあり、わたしたちの生活・生命そのものがより輝くような人間讃歌でもあった。
特に印象に残ったことを羅列しておきたい。
外れた音こそ、必要な音
のび太はリコーダーが苦手なわけだけど、音を外してしまうのをジャイアンたちに何度も笑われたり、邪魔者あつかいされたりするのね。
わたし自身、今でこそ音楽が大好きなのだけれど、学校における音楽の授業・仕組みってまじで大っキライだったから、のび太の笑われる姿は見ていてとっても辛かった。
でも、そののび太の外した音こそが、必要な音というか、それが唯一無二の個性、という描写があってグッときたし、なんだか勝手に救われた。
みんなで音楽やるって、たのしいね
のび太たちが、上手下手・好き嫌い・成績や見栄に関係なく、まちがいなど気にせず、ただただ楽しく楽器を演奏するシーンがね、もう、泣けて泣けて、自分でも不思議だった。
まわりの目を気にして萎縮していたのび太が、あんなに楽しそうに活き活き・のびのびと演奏する姿をみたら、もう瞳が大洪水。
素敵な音楽と、カラフルでポップな画にニヤけつつ、のび太たちの純粋無垢な演奏に涙が止まらなかった。
日常にあふれる音楽
先に「人間讃歌」と書いた。
この映画は、わたしたちの日常にどれだけ音楽があふれているか、そしてそれらがどれだけわたしたちを癒やし生かしてくれているかを教えてくれる。
中でも、日常生活に潜むさまざまな音楽の描写が素敵で。
この映画を見たあとは、いつもの日常がちょっとだけキラキラして見えた。
ひとりじゃない
音楽もわたしたちの生命も、何万年も前からつながっている、「今」はその積み重ねの先にある、という見せ方にまた泣いた。
目の前のことでいっぱいいっぱいになりやすい日々だけれど、その狭くなっている視野をぐんと広げてくれるような、背中を押してくれるような、勇気をくれるような、そんな映画だった。
音楽は生命の連なりそのものなのだと知った。
そばに音楽があれば、ひとりじゃない、そう再確認できた2時間だった。
そんなわけで、今日は泣きすぎてヘトヘトなんである。
映画、こんな風に気持ちが動きすぎるからコンディションよくないとなかなか見られないのだけれど、今日は観に行ってよかったと心の底から思う。
いい映画を見たあとは、日常の風景の色が鮮やかになる。
素敵な一日になりました。
Vaundyの主題歌もよかったなあ。