
サカナクションのもとに
明日、仙台にサカナクションのライブを見に行く。
わたしはサカナクションのファンではあるけれど、熱狂的なほうではたぶんなく、たまに遠ざかったりもする。
でも、もう当たり前にわたしの心のなかにサカナクションの音楽はあって、人生の折に触れて彼・彼女らの音楽に救われて生きてきた。
これまでに一度サカナクションのライブに行ったことがある。
2019年の、
'SAKANAQUARIUM 2019 "834.194" 6.1ch Sound Around Arena Session'
だった。
考えてみればあれから5年が経つのだな。
明日、久しぶりにサカナクションの生演奏を浴びにゆく。
一郎さんにはご無理のないようにと願うが、またサカナクションの音楽を生で体感できることの待ち遠しさといったら。
明日がとてもたのしみな今朝なのだ。
以前、「心のセーブポイント」みたいなことを書いたことがある。
大事なことを思い出させてくれるもの、
ホームのようなところ・こと、
待っていてくれる人、
帰る場所、
そんな意味で「セーブポイント」という言葉をつかっている。
サカナクションもその「セーブポイント」、心のよりどころのひとつだ。
わたしはいつだって、サカナクションのもとに帰ってくる。
それぞれにばらばらの軌道でたゆたう惑星同士だとしたら、明日はその軌道が重なる日。
そんなイメージだ。
この数日は特に、月や、雨や、夜や、深夜のコンビニや、夕暮れや、シャンディガフやあお色、なんにおいてもサカナクションの気配をつよく感じている。
わたしも数年とはいえ歳を重ねたからだろうか、以前にも増して、サカナクションの音楽が胸の深いところで鳴り響いている感じがする。
ながれてくるやわらかな言葉に、目が潤む。
洗練されたサウンドに、体温があがる。
サカナクションの奏でる音楽につられて、あの頃とはまた違う風景や意味合いや人の顔が、心のなかに広がっていく。
わたしが息をするのに呼応して、楽曲もまた息をしている気すらしてくる。
サカナクションの音楽を聴きながらそんなことを考える最近なのだった。
サカナクションのもとに帰り着く日。
それが明日。
山形では昨日から雨がふっているのだけれど、サカナクションには雨が似合うから、なんだか気持ちも上向きだ。
明日が待ちきれない。