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ばらばらのまま、そのままで

2泊3日で東京に行ってきた。

9日の朝に、雪がどっさり降る灰色の山形を出発した。

東京滞在中はずっと晴天で、これでもかというくらい太陽を浴び貯めた気がする。

11日の夕方ごろ山形に帰ってきたのだけれど、9日の雪は夢でも見てたのかなというくらい天気がよくて安心した。

それに、東京で浴びた太陽のぬくもりが自分の中にまだ残っているような感じもした。

雪はちゃんと止むし、いつか溶けて大地を潤すし、しずかに確かに春は近づいてきていることを実感している。


今回の3日間、わたしは星野源とともにあった。


まず音楽。

今回、街の中を歩くときや新幹線の中では、源さんのアルバム『ばかのうた』と『エピソード』をしきりに聴いていた。

それぞれ2010年、2011年のアルバムだ。

源さんは1981年生まれだから、だいたい29〜30歳、まさに今のわたしくらいの年齢の源さんが制作したアルバムだ。

中でも何度も何度も聴いたのが、
『ばらばら』だった。

耳をふさぐためじゃなくて、無性に聴きたくなって、くり返し聴いていた。

都内を走る電車の窓から流れる街なみを眺めていると、やたらとこの曲が脳内で流れた。


次に、本。

積ん読になっていた、
『よみがえる変態』を新幹線の中で読んだ。

星野源『よみがえる変態』(文藝春秋)

2011年頃からのエッセイをまとめたもので、奇遇にもこれも今のわたしに近い年齢の源さんの日々や思いがつづられている。

あと3分の1くらいで読み終わるのだが、ここからまた雰囲気が変わりそう。

あの灰色のページをめくったところでちょうど新幹線が着いてしまった。

3月の残りの時間で、読み進めていくが、かなり過酷な話になりそうでちょっとドキドキしている。


そして、ラジオ。

ホテルでは源さんのオールナイトニッポンの過去回を聴いていた。

あのちゃんANN0とか日曜天国とかも聴いたけれど、やっぱり源さんの話し声が聴きたくなって。

昨年末〜年明けあたりのエピソードを聴いた。

他愛ない話に、心が安らぐ夜をすごした。


今回の東京滞在、年度末というタイミングや街の雰囲気もあってか、「一区切り」という感じがした。

いやーーー。
まあ。
ね。

まだうまく言葉にできないのだけれど、「これはわたしに必要」という確信を得たものと、「離れたほうがいいな」と冷静になれたものと、「まだ馴染むのに時間がかかりそう」と感じたものと……そういうのが整理できた気がする。

その中で、たくさんゆらゆらと揺れていたのだけれど、そのそばで源さんの楽曲やことばが支えになってくれていた。


『ばらばら』の曲を聴きながら、ひとつになれなくて当たり前、ばらばらのままでも重なり合える、ばらばらのままでいい、と思えた。

世界は ひとつじゃない
ああ もとより ばらばらのまま
ぼくらは ひとつになれない
そのまま どこかにいこう

星野源『ばらばら』


『よみがえる変態』の中の、「寂しさはチャームポイント」って言葉で、深い呼吸を取りもどせた。

たぶん死ぬまでこの寂しさはなくならないだろう。寂しさというものはきっとその人の性格であり、生まれ持ったチャームポイントだと思う。寂しさは友達である。絶望はたまに逢う親友である。そして不安は表現をする者としての自分の親であり、日々の栄養でもある。不安はご飯だ。

星野源『よみがえる変態』「夏休み」
(文庫版、p.103-p.104)


今年の年明け直後、1月2日のオールナイトニッポンでの「一緒に不安になろう」という言葉で、なんだかホッとしてやっと眠りにつけた夜があった。

聴いていて、不安になったりする可能性もあると思います。でも俺、それでいいと思います。一緒に不安になりましょう。きょうは一緒に時間を過ごすというのが目的だと思います。なので普段通りのラジオやりつつ、今いろんな場所で生きている皆さんからの生のメッセージを読ませていただいて、そんな感じの2時間をお送りできたらなと思っております。

『星野源のオールナイトニッポン』
2024.01.02放送回

源さんのこのスタンス・距離感は、どんなタイミングやコンディションでも心地がいい。

この放送回は元旦の震災直後だったけれど、それから2ヶ月経った今でも、まさに今のわたしに語りかけてくれている気がして安らぐ。


なんなんだろうね。

わたしってなんでいつも、こんなに寂しくて、不安で、弱いのだろうか。

久しぶりの東京(厳密には横浜方面)は、とっても楽しかった。

友人たちにも会えてたくさんお話できたし、推しさんのファンミ会場に行くだけでもできたし、行きたいところ行って、おいしいもの食べて、アートを見て、好きな街を歩いて、ひとりの時間もすごせたし、とにかくゆっくりできた。

それでも。

どこにいても、何をしていても、どんなわたしでも結局、寂しいのだ。

誰かがいてくれたらその寂しさが消えるなんてことはない。

誰かといることで生まれてしまう寂しさだってある。

どんなシチュエーションでも、形や種類を変えて、得体のしれない寂しさはずっと心のなかにある。

目をそらすことはできても、消すことはできない。

でも、源さんの言葉はいつだってそれに寄り添ってくれる。

「寂しさがチャームポイント」だって?!
そんな素敵な価値観、教えてくれてありがとう……。

今の源さんにも、今のわたしと同い年だったあたりの源さんにも、時間と空間を超えて、とんでもなく救われている。

特にこの3日間、源さんの楽曲や言葉に背中をさすられながら、いろんな時間をすごした。

それがすぐ行動にうつせるとか、成果につながるとか、分かりやすく変化するとか、そんな即効性はないのだけれど、でも今のわたしには確実に必要な時間だった。

ばらばらなままで大丈夫、そのままで大丈夫、それに気づかせてもらえて、ほんとうによかった。


山形は雪が溶けてやっと土の色を思い出したくらいなのだけど、東京では道端でたくさんの花とその色を見ることができた。

冬に打ちひしがれて忘れてたけど、
春って、生命力があって光に溢れていていい季節だね。

雪はいつか溶けて大地を潤すし、風はしだいにぬくもりを届けてくれ、陽の光はより長くわたしたちを照らしてくれる。

しずかに、確かに、春は近づいてきている。

今回、浴び貯めた太陽のぬくもりをエネルギーにして、春がくるまでもうひとがんばりしよう。

次にまた友だちに会える日をたのしみに、源さんの曲やラジオや本や、好きな音楽たちと共に、また目の前の日々を生き抜いていこう。

よき3日間だった。

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