「元気で。ほんとに。」
「けもなれ」を見ている。
その第5話、京谷の
が頭から離れない。
別れてからもなお無職で行く当てなく居候をつづける元カノに、いよいよ別れを告げる京谷の、割れ際のことばだ。
「元気で」というのは、本心だろう。
でもそこはかとなく滲み出る、取り返しようのない心の断絶。
京谷の気もちも、それを受け取る朱里の気もちも、きっとわたしはどちらも味わったことがある。
そのどれもを思い出して、胸がギュッとなっている。
なんど経験しても、
何かが終わっていくのが、寂しい。
気もちが冷めてゆくのを止められないのが、寂しい。
熱を帯びていた頃を覚えているのに、もう再現できないのが、寂しい。
それでも前に進むしかないのが、寂しい。
目の前におとずれた新しい出会いに、いともかんたんに胸を高鳴らせてしまえるのが、寂しい。
相手には、元気でもそうでなくてもただ幸せでいてくれと願いはするけれど、それは自分の知らないところで全然よくて。
もはやその先を知りたいとは思わなくなっていて。
相手の健やかな未来を願いながらも軽々とその関係を手放せてしまう時、ひとつの季節がおわったことを自覚して、いつもいつも何ともいえない気持ちになるのだ。
けもなれの京谷の一言で、そんなことを思い出していた。
今日、新しい職場での仕事があった。
これからしばらくお世話になる現場だ。
何かが終わるということは、何かがこうして始まってゆくということでもある。
そしてまたいつか終わってしまうのだ。
だから「今」を、大事にしたいと改めて思った。
始まることも終わることも特別視せず、放っといても季節が勝手にめぐりゆくのと同じようなものだと思って、今この瞬間を味わいつくそうと。
そんな今日ついに、今年はじめて重めの雪が降った。
いよいよ新しい季節がやってきた。