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book #2 「村上ラヂオ」と、お屠蘇の話。

お屠蘇にあらためてしみじみ、の話。

わが家のお屠蘇は、東肥の赤酒ときまっている。
年に一度、この味に触れると、「これだよなぁー」としみじみ思う。ちょっと大げさにいうと、1年おきの自分を何十人も重ねながら「あっ、今生きている」と確認している気分になる。

村上ラヂオの「イタリアのパスタ」の話を読んで、そのことを思い出した。

好きだなぁと感じる作品(特にエッセイ)には、どんな共通点があるのだろう、とふと思った。

きっと、日常のありふれた一点を、コミカルかつ実直に深掘りしているもの。そこに正誤や押しつけはなく、敬意があり誰も傷つけないもの。読み終えたら、自然と日常の見え方が変わっているようなもの。かなぁ。

しばらくぶりに読んで、あの頃の自分と今の自分の2人で読んでいるような、不思議な体感だった。歳を重ねながら、何度も繰り返し読みたい。


⚪︎words

『ジャンプをすること自体はべつにむずかしくありません。むずかしい部分は、着地をしようとするところから始まります。』

『世の中にはたまに「サビのない人」みたいなのもいますよね。...(中略)サーキットに入っちゃっていて出口が見えないというか...。』

『イタリアのパスタはおいしい。(中略)国境をまたいで越えただけで、パスタが突然信じられないくらいまずくなる。
イタリアに戻ってくると、そのたびに「おぉ、イタリアってパスタがおいしいんだなあ」とあらためてしみじみ実感する。
思うんだけど、そういう「あらためてしみじみ」がひとつひとつ、僕らの人生の骨格をかたちづくっていくみたいですね。』

大橋歩さんの画が、言葉の間にしっとり馴染む。

...改めてあとがきを読んだら、
『ひとつ前もって自分なりに決めておいたのは、安易な決めつけみたいなことだけはやめようということでした。(中略)それから何が正しくて、何が正しくないというような押しつけがましいことも、なるべく書かないようにしようと。』と。あぁ、素敵だなぁ、好きだなぁとひしひしと思う。


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