20歳になりました
こんにちは、アフリカと子どもが大好きなハセガワトアです。
20歳になりました!
たくさんの人に支えてもらって、助けてもらって、なんとか20歳になれました。
今まで支えてくださったすべての方、本当にありがとうございました。
誕生日当日は成人式の前撮りもしてきました。
振袖も着せてもらいましたが、ルワンダで作ってもらったアフリカ布のスーツでの撮影もしました。
スーツでの撮影もOKしてくれた両親に感謝です。
今回は、20歳になって思ったことを書きます。
すごくアバウトですが、20年しか生きてない人間が人生語ってみたという感じです。
浅って思われるかもしれないですし、これからどんどん考えも変わっていくと思いますが、自分の備忘録としても、20歳になった今思うことをここに残してみます。
誕生日おめでとうの気持ちで最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
なんなら誕生日おめでとうの気持ちでいいねとかもしていただけたらもっと嬉しいです。
アフリカのこと
何者でもない私ですが、あえてカテゴライズするならばアフリカが絡んでくる人間だと思います。
中学生の時にアフリカの人、布、文化すべてに魅了された日から、アフリカのことを思い続けて五年以上が経ちました。
当時から憧れていた方々と実際にお会いできるようになったり、自分でアフリカ大陸に足を運べるようになったり、確実に中学生のころよりもアフリカとの距離が近づいてきていると思います。
アフリカに対する思いは年々増していっていますが、どうしてこんなにもアフリカにこだわっているのかを考えてみました。
一言で言うと、アフリカが私を救ってくれたからかなと思います。
今まで、計三回アフリカのルワンダに渡航し、たくさんの人に出会いました。
ルワンダで出会った方はもちろんのこと、ルワンダに渡航する前も後もそれつながりで関わるようになった方がたくさんいるんです。
そのような方々は、直接的ではなくとも、アフリカやルワンダがつなげてくれたご縁だと思っています。
それらのご縁も含めて、私はアフリカに救われてきました。
これまでの投稿を読んでくださった方はご存知だと思いますが、なかなか思うようにいかないことが多かった人生で、正直未来の希望を抱けないどころか今この瞬間すら生きるのが苦しい時期も多かったんです。
でもそんな日常を彩ってくれたのがアフリカでした。
アフリカ布のものを身につけていれば自然と胸をはれますし、アフリカで働く未来を想像したら生きる希望すら湧いてきました。
そして決定的に私の人生が変わったのがルワンダ渡航でした。
よくどう人生が変わったのか聞かれるのですが、簡潔に言うと自分の許容範囲を広げることができて生きやすくなったという感じです。
全く違う文化で育ってきたアフリカの人々と関わっていると、そういう考えもあるのか!と驚くことがたくさんありました。
日本が悪いとかそういうことではありません。
考え方の幅が広がるというイメージです。
多分これまでの私が想像していた未来は、目標への最短距離だったんです。
でも寄り道や遠回りをする選択肢もあるよと教えてくれたのがアフリカの人々でした。
現に今私は同級生より一年遅れていて、来年には二年遅れます。
大学一年生を三回もするのです。
事情があったとしても世間体を考えるとこれって結構自分の中ではしんどい選択でした。
でもこの選択を自分自身が許してあげられたのは確実にアフリカに行って、様々な価値観に触れたからだと思います。
アフリカにいるときは、自然と笑顔になれました。
でもその時の考え方が身についてきた今は、体がアフリカにいなくても自然と笑顔になれるようになってきました。
アフリカで働くという夢も、別に世間的にすごく立派なことでなくても、立派な組織に属していなくとも、自分が楽しめる仕事ができたらいいなと今は思えるようになりました。
なんなら日本で働いたお金で定期的に旅行ででもアフリカに行くという選択肢もあるなと今は思えます。
この心境の変化、許容範囲の変化はものすごく自分の中で大きくて、すごく生きやすくなりました。
アフリカが私を救ってくれたのです。
もう人生詰んだ、もう駄目だと思った方には、アフリカでなくてもどこか地元から少し離れたところにでも足を運んで、自分にはなかった価値観に触れてみてほしいです。
倫理の授業
高校三年生の時、倫理の授業がありました。
世界の思想家や哲学などを、広範囲にわたって学んでいく授業です。
授業では広く浅く学んでいく感じですが、この科目が結構好きでした。
何が好きだったかと言うと、これもアフリカと少し似ているのですが、全く考えもつかなかったような思想や哲学を学ぶと、だいぶ視野が広がるんです。
哲学者には、時間的余裕のある人も多く、今を忙しく生きる現代人には思いつかないような説を唱えていてそれが個人的にすごくおもしろかったです。
哲学の考え方に、独我論というものがあります。
簡単に言うと、自分以外の存在はすべて幻かもしれず、他者の存在や物理的世界の存在を証明することは難しい、という考え方です。
これが私は好きです。
他者や世界の存在を証明することも難しければ、存在しないことを証明することもできませんが、この考え方を少し頭の片隅においていると、すごく生きるのが楽になります。
よく対人関係で悩む私は、基本的にずっと周りからの見え方を気にしてしまいます。
あの人に嫌われたかなとか、なんでこんなこと言われたんだろとか、いろいろ考えてしまうんです。
でも独我論を少し頭に置いていくと、そういうのがどうでもよくなるんです。
悩みの対象が本当に存在してるかも分からないからです。
幻の存在に悩むって考えたらばからしくなりますよね。
この感じで、何人か哲学者の考え方を頭に置いておくと結構人生楽になったりします。
コスパについて考えてみる
またまた全然話は変わりますが、最後にコスパについて考えてみようと思います。
最近コスパってすごい聞きますよね。
受験期とかは特に私もひたすらコスパだけを意識していました。
勉強以外のことに時間を使うのが怖かったからです。
でも休学して時間ができて、コスパがすべてではないなと思いました。
効率の悪いことや、時間のかかることってすべてが悪ってわけではないなと思ったんです。
ルワンダで農村に訪れたとき、一日のスケジュールについて聞いてみました。
すると、昼食と夕食を作るのにそれぞれ三時間くらいかけていたんです。
もう日本ではそんな生活考えられないじゃないですか。
レンジで三分とか、熱湯注いで数分待つだけとか、料理しても一時間とかで終わりますよね。
それが三時間ですよ。
コスパで考えたらもう最悪ですよね。
でもみんなその時間が結構幸せそうだったんです。
家族や近所の人と喋りながらゆっくりご飯作って、食べ終わって片付けて、それが終わったらまた今度は夕飯を作って、食べて片付けたらもう外は真っ暗。
小さな電球の下でお互いの顔を見ながらまたゆっくり話しながら寝る。
この感じいいなって思いました。
忙しくなるにつれて食事は作るのも食べるのも作業になっていき、ただ生きるため、腹を満たすためだけのものになっていました。
でもすべての工程でゆっくりゆっくり人と話しながらしていると、お腹だけではなく心まで食事で満たされました。
正直アフリカで食べたものも日本で電子レンジやガスを使えばすぐ完成するものだと思います。
でもそうなったらまたなにかが変わって、あの時のような満足感は得られないのだろうなと思います。
コスパを追い求める現代で、時間を買うことは簡単になってきました。
大阪から東京なんて飛行機で一時間ですよ。
でも在来線で乗り継いだり、新幹線で数時間かけるのと飛行機ではまた違いますよね。
どっちを選ぶかは好みだと思います。
時間をお金で買うのが悪いとか、アフリカの村の方がいいとかそういうことではありません。
でも何も考えずにコスパだけを追い続けてきて、失ったものがあるのは確かだと思います。
もちろんその買った時間で生み出してきたものもすごいと思いますが、私はもっとのんびりと過ごす時間があってのいいのかなと思います。
忙しい時ほど、疲れているときほど、車ではなく周りを見渡しながら、たまに道に咲く花を見ながら歩くのもありなのかなと思います。
コスパがすべてではないと最近思います。
この十月から大学に復学しました。
今までよりは少し忙しくなりました。
忙しくなるとせかせかして、時間だけでなく心にも余裕がなくなってしまうので、そんな時こそコスパを忘れて、のんびり過ごす時間も作れたらいいなと思います。
結構長くなってきたのでこの辺にしときます。
誕生日に投稿しようと思っていたのに、書いては消してを繰り返してもう一週間以上経ってしまいました。
20年間で関わってくださったすべての方々、ありがとうございました。
どうかこれからもよろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次回の投稿も読んでいただけたら嬉しいです。
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