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映画『エブエブ』 世代間トラウマへの異次元な挑戦状。

機能不全家族のカンフーアクションSF系コメディー映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(2022)は色んな次元で画期的だ。

「マルチヴァース(多元宇宙:現実世界とは別に複数の宇宙・パラレルワールドが同時に存在するという概念)」で繰り広げられるユーモラスな演出のオンパレードとは裏腹に、その根底にあるテーマと向き合う姿勢は至って切実。

老若男女誰しもが経験し得る人間関係における問題。親世代が経験した心の傷が子供世代に連鎖する「世代間トラウマ」。

世知辛い世の中で無意味に思える人生に絶望しても、生き甲斐に気づくための「戦い方」を教えてくれる。

身近な人の「親切」に気づき、他人に共感し続けることで、自他ともに癒すことができる非暴力的な術。

その方法を終始、示し続けてくれるのは、頼りなさそうに見えるが、共感力があり、弱さを見せることを恐れない、直向きな男性・主人公の夫だ。

現実でも銀幕の世界でも主流で王道な対処法「目には目を」のアンチテーゼを、型破りな登場人物たちが挑んでみせてくれる。

2023年のアカデミー賞で監督賞、アジア人初のアカデミー賞主演女優賞、助演男優賞などを含む計7部門で受賞し、史上最も多く賞を獲得した同作品。

白人至上主義が根強いアメリカで、人種差別が完全に払拭されたわけではないにせよ、過小評価されてきたアジア人の実力を大々的に認めさせたという意味でも感慨深い。


あらすじ

物語は、中華系アメリカ人移民女性のエヴリン(ミシェル・ヨー)が、人生のどん底にいるとこから始まる。

夫ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)に愛想を尽かし、厳格な父親が春節に訪れることにプレッシャーを感じ、娘ジョイ(スタファニー・シュー)がレズビアンであることを認められず母娘の確執は深まる一方で、経営しているコインランドリーの脱税が税務局員(ジェイミー・リー・カーティス)から指摘されようとしている。

そんな時、夫に乗り移った別宇宙の夫「アルファ・ウェイモンド」からある任命を言い渡される。それはマルチヴァースを破壊しようとしている別宇宙の娘「ジョブ・トゥパキ」を止めること。

そのために「ヴァース・ジャンプ(別宇宙への飛び込み)」し、無数にある別宇宙のエヴリンの様々な術を取得し続けて戦う必要があるのだという。

しかもヴァース・ジャンプは他でもない、別宇宙のエヴリンが発案したテクノロジーだ。

<ネタバレ>

別宇宙の税務局員、警察官、父親などとも戦うエヴリンに対し、ジョブが開示する。自分と心を通わせてくれる母親を探しており、そのためなら理解してくれない無数にいる別宇宙エヴリンを何度殺しても構わないと。

ブラックホールのように全てを吸い込む漆黒の空洞、無意味と虚無感の象徴である「エブリシング・ベーグル」に入り、心中を測ろうとするジョブ。夫を刺してジョブの後に続こうとするエヴリン。

その時、銃で狙われているエヴリンの盾になりながら、ウェイモンドが叫ぶ「皆んな、戦うのをやめてくれませんか!皆んな怖くて、混乱しているから戦っていることはわかってます。僕も混乱しています。毎日、何が起こってるかわからない。自分のせいなのかなって思ったりもする……。でも、たった一つわかることは、親切になる必要があると言うことです。お願いします。優しくなって……混乱しているときこそ」。

この言葉は、敵の戦意を一瞬失わせ、エヴリンを悟りに導く。マルチヴァースで得た全ての力を駆使し、自分を襲ってくる人々を癒し始める。

驚いたウェイモンドが「何をしてるの?」と聞くとエヴリンは「貴方のように戦ってるの」と答えた。

現実世界でもエヴリンは夫と和解し、娘の交際女性を受け入れ、そのことを父親に伝え、夫の説得力のおかげで税務署員から書類の再提出を許してもらう。

一方、自殺を一人でも実行しようとするジョブのように、現実世界で失望したジョイは、歩み寄ろうとする母親を突き放そうとする。

しかしエヴリンは、娘が自分を探し求めてくれていたことを認識した上で、娘のすべての行動に賛同できなくても、いつまでも一緒にいたいと思うことには変わりないことを、不器用な言葉ながら伝えることができ、母娘は仲直りした。

感想

私の人生と深い部分でシンクロする部分が多く、自分ごととして感情移入できる作品だった。

まず別宇宙へのヴァース・ジャンプは、極めて不快に見える変な行動や意識してできるという設定だが、これは「解離性障害(DID :かつて「多重人格」と呼ばれた精神疾患)」を彷彿とさせた。

解離性障害の原因の一つに、幼児期からの虐待などが挙げられる。苦痛に耐えられず意識が遠のき、代わりに別の人格がその状況に対応するという自己防衛の心理メカニズムである。

人によって別人格を全く認識していなかったり、あるいは自由に操ることができたりする。自分を守る人格が多い中、自分を攻撃する人格がいることもある。数百の人格を持つ人もいるが、それは宇宙の広さのように計り知れない。

私も解離性と診断されており、まるで別の人の人生を歩んできたような感覚がある。記憶がすっぽり抜け落ちていることも多い。

それは幼児期以降、父親からの性的侵害や、母親からの体罰や精神的苦痛を受け続けた上、誰にも相談したり助けてもらえたりしなかったことなどにより、別人格を形成しなければ、自分一人では現実を受け入れるのが辛過ぎたからだと推測される。

虐待が始まる以前の幸せだった記憶が1つでもあってもいいはず。なのに、そんな嘘っぽいことは全て無意味、というかのように抜け落ちている。

世間的・表面的には「恵まれた生い立ち」だったが、自分の沈黙の上に成り立ってると思うと胸のつかえが重く、苦しさと比例したからかもしれない。

ウェイモンドは「be kind(親切になって)」と説いたが、親切の経験や記憶がない人は、頭の中に自分を守ってくれる「親切な存在」を想像・創造し、その人格に成りきることしかできない場合がある。

2歳以降、義父から性的虐待を毎日受け続けたにも関わらず、母親から見放され、計92人の人格を無意識に生み出すことで辛うじて生き延び、その経験を著書にしたアメリカ人女性トゥルッディ・チェイスの言葉を思い出した。

「the mind is so kind to you
(意識はとても親切)」

トゥルッディが初めて他の人格に気づいたのは、小さな子どもの声が自分の中から聞こえた時だと言う。その後、寝室に他の人格が一斉に姿を現したが、「意識はとても親切だから、そこには7人しかいないように見えた。大人になって精神治療を受けているうちに、人数がもっともっといると知り、相当に気が狂ったんだと思った」という。

ヴァース・ジャンプを考案したのも、様々な技術を身につけるためということだが、現実世界のエヴリンがあまりにもストレス過多で、そこから意識だけでも避難させないと自分の心身を保つことができなかったからではないだろうか。

「残念ながら女児です」

これは彼女が誕生した瞬間に発せられた男性医師の不吉な発言。

生まれた瞬間から自分にはどうしようもないことで社会から残念がられる存在が、成長過程で苦労しないはずがない。

現にウェイモンドとの交際を父親から反対され駆け落ちし、幸せなひとときがあったにせよ、夫や娘など身近にいる人と「心を通わす術」を十分に訓練できなかった結果が、人間関係、家事や仕事に追われ混沌とした日々に表れている。

解離性障害を発症しないまでも、エヴリンのように別宇宙の自分を作り出さなくても、妄想や現実逃避をしたくなる気持ちは誰にでもあることだろう。

しかし不幸中の幸い、エヴリンには現実世界でも別宇宙でも、夫が必ず側で支えてくれていた。自分と心を通わせたいと願う娘がいた。色々あっても春節に訪れてくる父親がいた。

私は両親からは見捨てられたが、12年以上交際が続いている彼氏や、未熟な姉を許し仲良くしてくれる弟がいる。彼らがいなければ私は、ジョブのように、とうの昔に安楽死の道を選んでいた。

一度でも愛する者から裏切られ深く傷つけられた魂は、愛情を警戒し全てを破壊しようとする。

それは失う悲しみを二度と経験しないための防衛反応でありながら、棘となって自他ともに苦しみに導く厄介なもの。

棘を削る作業には、それまで経験した以上に深い愛情を受け続ける必要があるのだろう。

それを受けられないうちは、自分の脳内で作り出される別人格や別宇宙の自分、現実逃避や妄想、自殺などの方法をとるしかないこともあるかもしれない。

だからこそ、信頼できる生身の人間が精神的に側にいることは「有難い」ことなのだろう。

ウェイモンドはエヴリンに、エヴリンはジョイに「共感」した上で「親切」という愛情表現を共有することができた。

これはジョイがエヴリンから、エヴリンが父親から受け継いだ「我が子の意志を尊重できない」という世代間トラウマさえ癒す力があった。

しかし相手の感情に寄り添う「共感力」が乏しい人に「親切」な言動をすることは至難の業なので、ウェイモンドのような「実践」と「根氣」も必要なのだろう。

言葉にするとあまりにも綺麗に収まってしまうが、その過程は同作品で描かれた程にカオスになることを想定しておくとよいかもしれない。

意見

娘ジョイ・ジョブの2役を勤めたステファニー・シューが助演女優賞に落選したことに釈然としない人が多いようだが私もそのうちの一人だ。

ジョイ・ジョブ役は、ステファニーにしかできない即興によるオリジナリティ溢れる演技が印象的だった。

代わりに受賞した税務局員役のジェイミー・リー・カーティスは、その演技以上に「キャリア」の長さ故に優先されたと指摘する声があり、一理あると感じる。

この不自然に見える流れも、女性より男性が、有色人種より白人が優位なアメリカの傾向に影響を受けるオスカー賞の伝統という文脈から見たら、なんら不思議なことではないのかもしれない。

ミシェル・ヨーは「アジア人で初めて主演女優賞を受賞した」とよく表現されるが、実は1936年、インド人とイギリス人の血を受け継ぐマール・オベロンが主演女優賞を受賞している。しかし白人からの差別を避けるため、アジア人のアイデンティティーを隠していたといわれている。

アジア人がどれほど差別されてきたかということは、助演男優賞を受賞したキー・ホイ・クァンの経歴からも明らかだ。

クァンは『インディアナジョーンズ』や『グーニーズ』で子役として活躍したが、成長するにつれて、同年代の役者がどんどんオーディションや仕事を受けているのに、アジア人であるがために役がなく、俳優の道を諦めざるを得なかったという。

有色人種は、白人ができることの2倍3倍の実力を発揮しても、公平に評価される機会がまだ少ないという不平等な社会で戦っている。

それを踏まえると、欧米文化へ盲目的に憧れを抱くことほど愚かなこともなく、アジア人として劣等感を覚える必要もない。

一個人として楽しくできることを続けながら、時代が追いつくのを気長に待ち構えていればいいのではないかと改めて気付かされる。



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