らんの

現役時代は日本語教師や塾講師の仕事に携わり、現在はボランティアの日本語教師。体調不良ですべての仕事を失ったのをきっかけに、文章を書くようになりました。関心事:言語・動植物・病気・疲労・自律神経・和楽器・散歩。 ブログ「びんぼっくりのアンテナ」

らんの

現役時代は日本語教師や塾講師の仕事に携わり、現在はボランティアの日本語教師。体調不良ですべての仕事を失ったのをきっかけに、文章を書くようになりました。関心事:言語・動植物・病気・疲労・自律神経・和楽器・散歩。 ブログ「びんぼっくりのアンテナ」

最近の記事

蘭野みゆう著「レクイエス・エテルナ 永遠のやすらぎ」を出版しました

蘭野みゆうという筆名で小説を書いております。 7月17日、パレードブックスより上記の作品集を出版しました。 表題作を含む中掌編5編が収録されています。 表題作は、安楽死という大変デリケートかつ重いテーマを扱っています。 安楽死が合法化された近未来の日本を舞台に、ある家族とその友人たちの葛藤を描いています。23年前に構想執筆したものに、最近の情報を加筆し、さらに推敲を重ねた問題作です。 執筆した頃は安楽死への関心はほとんどありませんでしたが、一昨年「プラン75」という映画が上映

    • 第7胸椎新鮮圧迫骨折

      • ペット自慢

        我が家の2代目うさぎのニコル(4歳)です。マイペースのお嬢様。家族を家来だと思っているようです。

        • ユーウツの兄弟

          旅は道連れ世は情け。 自分で選んだわけでもないのに、気がついたら私の道連れはユーウツだった。付き合いは古い。胎内にいた頃からずっと一緒だったような気がする。 一時は影が薄くなったかと思っていたのに、やっぱりぴたりと寄り添っている。喜びや快活が道連れだったら、もっと良かっただろうか? いや、今となってはすっかりユーウツになじんでしまって、いなくなったら寂しい気がする。若い頃は狂暴性があったけれど、今はユーウツも年を重ねてマイルドになった。魔除けにもなってるみたいだし・・・

          母のヴァージョンアップ

          母のヴァージョンアップ

          P同盟

          s://ameblo.jp/ptokoi77/entry-11998515075.html

          川に沿って歩く

          秋田市に転居して十年目に入りました。 生まれは上州群馬県で、秋田に引っ越す前は長らく東京の郊外に住んでいました。夫の両親の介護のために移り住み、お二人を見送って一年後に今度は群馬から自分の母親を呼び寄せました。 群馬在住時には利根川が、東京郊外の頃は多摩川が、そして、秋田では旭川が身近にあって、出不精な私を戸外へと連れ出してくれました。 川に沿ってカーブする緑陰の道を歩くのは、私の日常の小さな楽しみ。土の感触、草の匂い、うぐいすやかっこうの鳴き声、目線は遠く空へといざな

          川に沿って歩く

          うさぎの時間 後編

          「驚かないよ。うさぎがしゃべっても。ところで、うさぎの時間て何?」 ミシェルはおもむろにひげをしごいて答えた。 「それはあ、香芽ちゃんがあ、しこしこためてきたうさぎポイントがたまってえ」 「待った!ちょっと待った。うさぎポイント?てゆうか、その前に香芽ちゃんとか言った?うさぎに香芽ちゃんとか言われるの、抵抗あるんだけど」 「まあ、気にすんな。うちとあんたは地球に棲む生物として同等なんだからさ。ご主人様とか保護者の方とか、言いたくねえし、血のつながりもないのに、ママとか

          うさぎの時間 後編

          うさぎの時間 前編

          香芽子(かめこ)はうさぎを一羽飼っている。ネザーランドドワーフという種で、あまり大きくならないのがウリだった。生後二か月の頃は片手に乗っていたけれど、今は両腕で抱えている。今年で七歳になる茶色の雌だ。うさぎの寿命は八年から十年と聞いているが、まだまだ元気溌剌、食欲旺盛、排泄良好、フットワーク軽快、うさぎ小屋も同然の狭い部屋の中を縦横に走り回っている。 以前は畳やカーテンの裾、襖、コードなど、何でもかじり放題だったが、もういい加減飽きたのかあまりかじらなくなった。座椅子に座っ

          うさぎの時間 前編

          「眺」と「逃」と「挑」

          漢字って面白い。特に、形声文字。 形声文字は、発音を表す部位と意味を表す部位が組み合わさって作られている。 「眺」「逃」「挑」は、いずれも旁の「兆」が音を表し、偏の部位が意味を表している。 「兆」は、元は獣の骨や亀の甲を焼いて現れた割れ目の形に由来し、「きざし」「しるし」を意味するという。ということは、この場合発音も意味も表していると解釈できるけれど・・・ そこはさておき、何かの兆候を見て、目偏がつくと「眺める」、しんにょう(行く、進むの意)がつくと、「逃げる」、手偏

          「眺」と「逃」と「挑」