弱さをかばうやさしさは、わたしを強くも弱くもした
『トマト持っていって〜!もう、食べ切れないの!』
おじゃますると、ミエさんは美味しいトマトをくれる。
夫は、そのトマトを持ち帰ると、待ってましたー!とばかりに、嬉しそうな顔をする。
わたしがどんなに凝った料理を作っても、ミエさんからもらったトマトを出すと、ずっと美味しい美味しいといって、一気にトマトをたいらげる。
いつも、変わらぬリアクションで食すんだから、心の底から美味しいんだろう。
ミエさん
ミエさんは、わたしよりも倍以上としが離れていて、人生の大先輩。わたしが話すことはだいたい経験しているし、とてもパワフルで、厳しいけどやさしい。
わたしは、いつも元気をもらう。
ミエさん家の前を通ると、必ずピンポン押してしまう。言っておくが、トマトが欲しいからではない(笑)
いまどき、アポなし
カメラ機能も付いているから、丁度いい位置で待つ。
しかし、ミエさんは、インターフォンの機能を使わず、
横開きの玄関から、さっそうと出てくる。「あがって、あがって!!」
なんのアポもなしに、いつでも家へあげてくれるのは、わたしの友人や知り合いのなかでも、ミエさんだけだろう(笑)
やさしさと偏見のなさ
わたしが見てきた男女のなかで、ミエさんは群を抜いた、安定感と包容力を兼ね備えている。ご家族から愛されているのも、よくわかる。
一緒にいると、ちょっとの緊張と心地よさが入り混じる。
ミエさんには偏見がなく
どんなひとにも、《平等》で《普通》に接する
それがなにより、嬉しい。
わたしに悲しいことがあると、そいつを言葉でこてんぱにやっつけてくれる。
わたしより、強気でやる気に満ちて。
でも、最後には「『あんたも、やさしすぎるんだから、がんばりなさいよ!!』」と、相手をこてんぱにしたぶん、わたしにも、喝を入れる。
「『やさしすぎるんだから』」
「その言葉に甘えたくない!」その言葉に反発するように、わたしは、強くなっていた。ミエさんには、感謝している。
コインランドリーで出会ったおじいさん
認知が入ったおじいさんが、コインランドリーで騒いでいた
お金を入れたのに洗濯物が回らないと怒っていたそう。洗濯の、説明書きがあったとしても、老眼でみたそれは、ただの景色に過ぎない。
ミエさんはそれを見て
はやく、おじいさんがこころの安定を取り戻してくれればいいと
話を聴いたそう。
だが、おじいさんの堪忍袋の緒が切れそうになる。これ以上、取り乱し、警察がきても、いいことはない。
ミエさんは、気付かれぬよう400円玉を 投入口に入れる。
おじいさんは、洗濯機が稼働し始めると、徐々に平常心を取り戻し、帰っていった。
愚痴を言いながらも、ミエさんは、あたたかい。
こういうところ。
他のひととは、できない会話がミエさんとならできる。
安心が沁みわたる。
わたしのひっこし
ミエさんが「よかったわね!」と言いながら、すこし寂しそうにした。
わたしが近日、引っ越しすることが決まった。そんな遠くに行くわけではない。
一昨日も、ミエさん家におじゃました。
しかし、食料をくれる量がいつもに増して多くなっていた。
いつもは、スーパーの袋1つだった。今日はスーパーの袋が、3つも。しかもパンパン。
いつもは、トマトだけとか一種類なのに、
たまねぎ、白菜、春菊、パイナップル、そば2袋に、少々の饅頭。
いつも通りじゃない。
「ひっこしするんだ。」
実感がはじめて沸く。ミエさんにも、沸いていたのかもしれない。寂しさを感じながら、いつもより重い荷物をもって帰った。
家に帰ったら、ラインがきて
『トマトがあるので連絡ください。』
ミエさんが、はじめてうちまで、トマトを届けてくれた。
うちにくるのは、はじめてだ。
そのまま、夕日が沈みはじめる道を、犬たちも連れて、いっしょに歩いた。
そんな、やさしさが、わたしを弱くした。
むぎあじ。