「虚」があるからこそ(研究生日誌島本たかこ)【Lプロ8期第3回&自主練】
Lプロ(プレイバック・シアター実践リーダー養成プロジェクト)8期の第3回目が11月3日、4日にあり、その十日後に数人で自主練をしました。自主練では、コンダクティング役をみんなで交代でやりながら、ウォーミングアップと動く彫刻をしました。今日の記事は、その自主練の直後に書いた振り返りの一部です。
Lプロの第⼀回⽬に私がコンダクティングをした直後、講師の⽻地朝和さんが私に声をかけてくれた。アクターのみんなが助けてくれていたね、僕は経験を積んでしまっているからこういうコンダクティングはできない、という意味のことをおっしゃった。いい意味で⾔ってくださっていることは分かりつつも、それでも私は、アクターが助けないといけないコンダクティングよりも、アクターが舞台上で安心していられて、アクターが演じやすいと感じるコンダクティングの方がいいなって思っていた。未熟なコンダクティングよりも、熟練したコンダクティングの方がいいに決まっていると。でも今回の自主練で、不完全さの価値というか、不完全さによってかえってお互いの持っている⼒が引き出されることを実感した。
⾃主練では⽻地さんも由梨さんもいない。なのに、テラーが⼤切な話をし始めた。コンダクターは丁寧に実直にインタビューを進める。アクターだった私は、せっかく語ってくれてたテラーが後悔することのないように、かえって傷つくようなことがないように、テラーの気持ちを感じ取ることにすごく集中した。黙って舞台側に⽴ちながらも、⾝を乗り出すようにしてテラーの気持ちを感じ取ろうとしていた。そして⾃分が感じ取ったものを、動く彫刻の中で表現した。
もちろん⽻地さんや由梨さんがいても、真剣に⼀⽣懸命演じたと思う。それは間違いない。だけど、⼼の底ではすっかり安⼼していたんじゃないかな。羽地さんや由梨さんが必ずテラーを守ってくれると。でも今⽇は、その安⼼を⾃分たちで作らないといけなかった。その危機感が、かえって⼀⼈⼀⼈の底⼒を引き出すことがあるという経験をした。
今の自分だからこそできることは、やっぱりある。⾃分の未熟さが嫌だな、早く熟練したいなぁって思うけど、未熟さや不完全さがあるからこそできることがある。それもとても素敵なことができる。
この自主練の前日、岡倉天心の『茶の本』の読書会でこんな文章を読んだ。
「虚」があるからこそ、「その空白を自分流に補い、最終的に作品内容を仕上げる機会を与えられるのであり」、「その美的感情を思う存分に発揮させる場となる」。自主練が終わってから、岡倉天心の言葉をぼんやりと思い出していた。