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シンドラーのリストに観るカタルシス

『シンドラーのリスト』(英: Schindler's List)は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1993年のアメリカ映画です。

第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描いた作品です。

有名なのでご覧になられた方も多いと思いますが、まるでおもちゃの人形を試し打ちするかのように殺戮していくシーン。隣の人が今殺された。次は自分だ!という臨場感。しかも、それがずっと続く。

実話を元に描いたとしても多少脚色はあるでしょう。しかし、あの時代のあの場所は、間違いなく血と死臭の中に存在したことでしょう。

ガタガタと震える恐怖の中で、何故にそんなに大勢を助けることが出来たのか?彼にとっての戦争はそこでした。

アウシュビッツに到着する瞬間に見えた少年の首をゆっくり切るジェスチャー。白黒の砲弾行き交う世界を逃げ続ける赤いコートの女の子。

でも、私が1番衝撃を受けたのは、全てが終わり勝利したあと、彼が崩れ落ちるように膝をつき、オロオロと泣き出したシーンでした。

「もっと救えたのに。もっと救えたのに。もっと・・・もっと・・・」と。

自分の両手を見つめ、10本の指を開いて、ワナワナし、まるでそこから砂のようにサラサラ崩れ落ちて行った命をみるかのように。

彼は命がけで恐怖と戦いボロボロになっても「まだまだ、もっと、もっと...」と嘆き、悔いていました。

何言ってるの?もう良いよ。もう良いよ。よく頑張ったよ。凄いってばさ!と当時の私は画面に向かって叫びたい衝動に駆られました。

彼はメサイヤコンプレックスという病だったのでしょうか?いいえ、違います。

あの異常な状況では、それと戦い人命を守る側も、異常なほど熱い信念が必要だったのでしょう。

メサイアコンプレックスの人も、何か施しますが常に称賛と従順さを相手に要求します。

彼は大勢の人間に取り囲まれ、沢山の感謝を浴びせられても、そのうちの一つさえ受け止めることはしませんでした。

彼のおかげで助かった人々がまた子供を産み育て、やがてその子孫たちがやって来ては列を成し、彼のお墓の前に一人一個づつ石を持ってきてはそっと置く。次の人もそっとおく。はたして、その列は絶え間ない。というのがエンディングロールのシーンだったかな。

あそこまで行くともう、流派です。彼の戦いにエールを送りたい。自分へのストイックさにも。

ああ、そうだ。メサイアコンプレックスの人が持つ異常なレスキューファンタジーについてはもう一つ。

メールを下さった方がいたので、それにさくっ!と答えるとすると。

恋愛は例外です。

人は、恋愛となると、ちょっとおかしなことになる。でも、それは良いかと。

相手のために何でもしたくなるかも知れないし、時には「ぎゃああ、ありがとうぐらい言ってよ!こんなにしてあげたのにいー!」と荒れることもあるかも知れない。人前じゃないんだからいいじゃないっすか。

それに恋愛なのに互いに助けません、見返りを求めません、自立してますから!って言う人がいたら・・・・それはまた別の名前の症候群がつく。うん、きっと。

シンドラーの1100人に対するその想いは恋愛というより人類愛だったのでしょうか。

でも、自国を護ろうとするのも人類愛でそれが数々の悲劇を生んできたのは確かです。

ただ一つ言えるのは、倫理観を失くすこと、何が正しいのか分からなくなる状態に陥る根本的な原因は、自分自身を愛せなかったことの悲劇かも知れません。

シンドラーのような立派な人の気持ちは、実のところ私のような凡人には分かりません。

ただ、確かな事としては、彼は自分に「何ができるか?何をすべきか?」と問い、自分との約束を守りました。

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