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レトリック感覚

"本書で私がこころみたかったのは、伝統的なレトリック体系が蓄積してきた古い知恵を、思い出し、そこから新しい可能性をさぐることである。"1978年発刊の本書は、アリストテレスから始まり説得効果と美的効果を与える技術体系となったレトリックの日本受肉を具体例で紹介している創造的な良書。

個人的には、序章にある"辞書にのっている単語を辞書の意味どおりに使っただけでは、たかの知れた自分ひとりの気持ちを正直に記述することすらできはしない、というわかりきった事実を、私たちはいったい、どうして忘れたのだろう。"といった始まりに、SNS上やそれ以外にも毎日のように【すれ違っては炎上したり、炎上させられたり】といった現在を重ねながら本書を手にとりました。

さて、本書ではアリストテレスによって弁論術・詩学として集大成され、言葉に【説得する効果】【美的・芸術的効果】の2つを与える技術体系としてヨーロッパで精錬された【役に立つ】『レトリック』が近代の人間視点の科学、合理主義の中で真実が変容する【役に立たない】つまり実用性がないと没落し、軽視される様になった事。

また20世紀の後半になって、近代の見直しの風潮の中で『レトリック』の前述の役割に加えて【発見的認識の造形】に注目が集まってきていることを、日本への文化的輸入のプロセスも含めて具体的に明らかにしようとしているわけですが。

正直に言って【直喩】に【隠喩】はともかくとして【換喩、提喩、誇張法、烈叙法、緩叙法】といった具体的な分類に関しては、言葉自体なじみがなく、とっつきにくさに始めは戸惑ったのですが。一方で著者が冒頭の夏目漱石始めとする様々な文学作品の引用や、隠喩は白雪姫型、換喩は赤頭巾型などに例えて紹介してくれている事で、とても親しみやすく読む事ができました。

また、言葉の直接的な動きよりも、対象との焦点。言葉としての【対象をわかりやすくする】役割より、対象を【感じさせ、想起させる】事についての指摘は、それこそ言葉で説明するのは難しいものの、言わば『現代アートと対峙した時に受ける感覚』と近い気がして、はっとさせられました。ユニークな本書の視点に驚きと敬意を。

言語表現の限界と可能性を考えたい誰か、あるいは文章表現に関わっている誰かにオススメ。

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