たとえ私が動物を食べないようになっても、動物由来の製品を使った製品を買わないようになっても、
人間の生活で動物を傷つけてしまうという仕組みから抜け出せる訳では無いことが分かりました。
大切なのは、自然界と関わろうとしない、ということではなく、
適切な距離感と緊張感を保つこと、適切に関わっていくこと、なんだと、
「狩猟始めました 新しい自然派ハンターの世界へ」(安藤啓一・上田泰正 著)を読んで気付かされました。
下記noteの続きを書いていきます。
野生動物と距離を保つために、彼らが人里を訪れない仕組みを作ることも大切です。
野生動物にとって、食糧となる植物を見つけるのが困難な森の中と比べ、人間が作った田畑は、栄養満点の美味しい食べ物の宝庫。
そして田畑を荒らし、害獣と呼ばれます。
人間が生活を営んでいくためにも、動物と人間の世界を棲み分けする必要があることは、本書で何度も書かれています。
そして、私たち人間も生態系の一部であることを自覚すること。
もしかすると、動物を食べないという考えも、生態系の一部であることを半ば忘れてしまっているからこそ発生するものなのかもしれない、と少しだけ思います。(あくまで私個人の意見になります!)
それと同時に、生態系から切り離されたところで生きている私達にできる精一杯の形なのではないかとも、思うのです…。
ところで、害獣として駆除された動物はどうなるのでしょうか。
実は多くがそのまま処分されているそうです。(なんと…)
狩猟者としても、殺すための狩猟は本望ではない、と言い、捕獲した動物を出来るだけ全て利用する活動に熱心に取り組む活動があるようです。
いっそのことスーパーなどで流通させちゃえばいいのでは…
とまた無知な私は思うのですが、そうも行かないのが現状だそうです。
徹底管理された家畜に比べ、野生肉は仕留め方や処理の方法で肉の味や鮮度、臭みなどの調整が難しいそうです。
ああ…野生肉がもっと流通してほしい。
いや、それ以前に、人間と野生動物の間に適切な距離を作って、害獣化する野生動物を一頭でも減らしたい…。
そして、そもそものこの、毎日の食を支える流通のシステムを、いつも注意深く見つめていたい、と強くおもいます。
自分が手に取ったこのお肉は、どのように生産され、処理されて、この手元にあるのか。
野菜は、豆は、お菓子は…。
今払うそのお金は、一体どのようなビジネスを、活動を応援していることになるのか、今一度よく考えたい、と強く思います。
完璧な思想なんてない、完璧な方法なんてない、だからこそ試行錯誤して、自分が置かれた環境で、出来る限りのことを精一杯やるしかない。
でも、自分の一度した選択を、疑わずに一心に信じ続ける、というのは面白く無いな、とも思います。
自分の選択肢以外の方法や信条を持って活動する人の意見は、私の選択肢をより広めてくれる、
と同時に、私の選択肢に疑問をもたらしてもくれる、最高のスパイスなのです。