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最高傑作なんて存在しない

絵を描くでも、編み物でカーディガンを作るでも、小説を書くでも何でもいいんですけど、何か自分の手で創作したものを、
「やべえ!最高傑作だ!こんなのもう二度と作れない!」
って思える素晴らしい瞬間が、あるかもしれません。

最高傑作を作り上げてしまったときに思うのが、(特に私はビビりなので)次への創作意欲とかそういうものではなくて、「もうこれに勝るものは作れないよ。どうしよう怖いよう」ということです。
(なんか自分でもぶん殴りたいなこんなやつ)
こんなに最高なものを作ってしまった、という自信や達成感があるのは素晴らしいことなのですが、もうこれ以上のものは生み出せないんかい。それは困るわ。
でも冷静に考えたら、多分生きていく限り最高傑作は更新され続けていく可能性があると思うんです。
もちろん、何かに取り組んでいる人には、倦怠期は必ず(と思っていいくらい高確率で)やってくるでしょう。
やりたくないと思う日は来る、やりたくても思い通りに進められない日も来る、でも、生きていれば、またやる気に火がつく日だってくるわけです。
何が言いたいかというと、最高傑作は存在しないということ。
あ、いや別の言い方をすれば、生きてく限り最高傑作は更新され続ける可能性があるってことです。

今の自分まじで最高と思っていても、来年の自分は予想以上に素敵になっているかもしれない、メンタル病んでるかもしれない。
生きていれば自分は色んな方向に伸びている「前」に進むことが出来るのは生きている人間の特権です。
もちろん、人生の途中で、何か大きな失敗や、とんでもないトラブルに巻き込まれたり、不運と思える出来事が起きることはあります。
(むしろそういう人生の試練が与えられることこそ生きている人間の特権だと思います)
ここで、それが単に不運だったりする場合もありますが、自分が成長した証拠でもあることもあるっていう小話をさせてください。
私の大好きなコーチングの先生が先日発信されていて激しくぬああってなったのですが(感情表現雑かい)、自分の成長は時に思いがけない状態で現れることもあるのだそうです。
なんか、なんとなく、成長するとか前に進むって
成長して仕事も恋も頑張って素敵な私!
成功したら、諭吉を100枚財布にぶち込んで(このご時世に現金を財布にそんなにいれとくなよ)海外旅行に飛び回ってるのをインスタにぶち上げて歯がダイヤより輝く私!
秒速でぶち上げる俺!とか
みたいなのを想像しがちだと思うんです。
つまり何が言いたいかというと、成長=キラキラで素敵みたいな想像をしがちですよねってことです。(最初からそう言えや)
でも、コーチングの先生曰く、成長は思わぬ形で現れて、それは必ずしも自分の心地いい形では現れないかもよってことらしいです。
はっとさせられました。
例えば、今まで「嫌いなもの・人なんていなーい」「こだわりなんてなーい」みたいに思えてた人が、自分を内省する機会を得て、自分がどんなことにストレスを覚えてどんなものを不快に思うかに気づいたら、「何か最近嫌だと思うものが増えたな…」って違和感みたいに思うと思うんです。
でもそれって、自分と向き合ったからこそ、自分を傷つけるようなものから距離を置くとか、身を守るとか、そういう意識が働くようになったってことですよね。
(この例え話はmade byワイなので先生関係ないです)
こんな風に、成長が必ずしも素敵!と思える形で現れることはないよっていう知識を得たので、シェアしたく、すみません、突然書きました。
でも、自分のダメダメな状態が成長の表れでもなんでもなく、単に自分が怠惰だったりクソ(雑にまとめる)な状態で、「昔はよかった」と思うこともあるかもしれません。
その時は、内省するためのラッキーチャンスなだけです。(と思います)

話が二転三転してパニックなのですが(パニックにさせて申し訳ありません)、要するに、生きていれば最高傑作は更新され得ると思う、ということを書きたかった次第です。
というか、生きている今の自分こそが最高傑作(になりえる)というか。
どんなに最悪な状態でも、もしくは転落する崖の一歩手前の最高にうまく行っていると思えている状態でも、今の自分こそ最高傑作だと、賢明に学びながら、謙虚に、賢明に地べたで生きていきたいと思う次第です。

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