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君になら踏まれても

先にお伝えしておくと、これは私の「女性に顔を踏まれたい」という性癖をカミングアウトする話ではない。また、以前書いたお話で開きかけた「裸足フェチの扉」をさらに大きく開け放ったという話でもない。
なのでどうか安心して読み進めてほしい。


人に顔を踏まれるという状況はなかなかないと思う。
ないと思うけども、もし踏まれたらたいていの人は怒るはずだ。「人の顔を踏むなんてどういうつもりだ」と。私だって怒る。

さっきまではそう思っていた。

それはついさっき踏まれることの喜びに目覚めちゃったから…というわけではなく。

夕食後にソファに座ってテレビを観ている時、はたと気づいたのだ。同じソファで横になっている次女の足裏がさっきからずっと私の頬に押し付けられていることに。顔を踏まれているのだ。あまりにも当たり前のように踏まれているので何の違和感もなく受け入れていた。あやうく気づかず過ごすところだった。

違和感がなかったのは、この習慣が次女が保育園児くらいの頃から続いているものだからだ。
ソファでゴロゴロしている子どもというのはジッとしていない。最初は私の膝に乗せていた足をおなかに乗せたり肩に乗せたり、顔に押し付けたりする。私も顔を踏まれているという感覚はなく、まあ子供だから動くよね、と受け入れていた。そんな受け入れが続くこと早数年。すっかり大きくなった娘に顔を踏まれていても違和感を感じなくなっていた、というわけだ。
次女の方も何も違和感を感じていないのだろう。当然のような顔をして私の顔を踏んでいる。

私が踏まれている姿がさっきから目に入っているはずの妻も長女も何も言わないのだから、慣れというのは恐ろしい。


話を戻そう。そんな感じで次女に踏まれながら思ったのだ。
顔を踏まれたら普通怒るよな?と。

知らん人に踏まれたら当然怒るし、友人に踏まれてもかなり怒ると思う。
子どもではなく妻に踏まれたら…怒るか…泣くか…それとも「新しい君を見せてくれたね」と喜ぶだろうか。いやいや。喜ぶという選択肢を考えた自分が怖い。


子育て中に子どもから受ける仕打ちは顔を踏まれるだけにとどまらない。

グーで顔を殴られたこともあるし、両頬をダブルビンタされたこともあるし、背中でジャンプされたこともあるし、オシッコやウンチをかけられたこともあるし、背中をゲロまみれにされた(抱っこ中に吐いた)こともある。

どれも他人から受けたら怒り爆発するような仕打ちばかりだ。それが我が子だと怒るどころか良い思い出になっているのだから不思議。

グーで殴られた時はせっかくの機会なので「殴ったね!親父にもぶたれたことないのに!」と機動戦士ガンダムのアムロを演じた(怒ってはいない)。その場面を目撃した妻はそのセリフを知らなかったようで「こいつ何言ってんだ」みたいな顔をしていたが、いつか言ってみたかったセリフが言えたので満足している。


子どもたちがこれからさらに成長して高校生になったら、次はどんな仕打ちを受けることになるのだろう。
女子二人だからきっと言葉責めが中心になるはず。
「あっちいって」「こっち見んな」「どけ」「クサい」「ダサい」「ハゲ」「デブ」「ジジイ」と…あれ、ここまで来ると辛いな。想像しただけで効いてきた。

慣れか。これも慣れなのか。
顔を踏まれても何も感じなくなっているのと同様に、何度も罵倒されるうちに罵倒されることが当たり前になり「今日もひどいお言葉をありがとうございます~」みたいな感じになってしまうのか。
それはそれで扉を開いちゃってる感があるが大丈夫なのか。


結局何が言いたかったかというと顔を踏まれたり罵倒されたりするのも受け入れてしまえば悪くないというか、こうやって言葉にすると結局性癖の話をしてるみたいになってしまうというか、ほんとはもっと子育てって結局良い思い出になるよねみたいな良い話にしたかったのになんでこうなってしまったのか分からないというか。


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