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【ド長文】成人式の思い出ぜんぶ語ってみる

はじめに

この三連休は各地で「二十歳のつどい」が開催される。

同時に、今年も良い年したオジサンオバサンが自身の成人式、もしくは成人式に出席せずに仕事だったとか、◯◯をしていただの、思い出話をする時期なわけだ。振袖などの晴れ着姿を載せる人も居る。

私も例年断片的な形でぽつぽつと話している訳だが、せっかくなので今年は全編話してみる。
アラサーのあまりに長すぎる自分語りに付き合える方はどうぞ、聞いてやってください。


クソ長自分語り〜成人式編〜

◇祖父の死

成人式が開催された年。
私は式の数日前まで地元に帰省していた。

その最中、施設に入っていた祖父が亡くなってしまったのだ。
元々寝てる時間が長かったが、亡くなる間際までほぼ自力でベッドから車椅子への移動をしていて元気だった。だが、冬の寒さのせいか容態が急変してしまった。

本来なら故人を偲ばねばならないのだが、多忙かつあまりにも急なことだったので涙は驚くほど早く引っ込み、悲しいと言う気持ちよりも先に「何とかしなければ」と妙に冷静に振る舞っていた。
その「何とか」というのは、精神的な面でしっかりしないと、と言う気持ちだったと思う。

結論から言うと、苦渋の決断ではあったが、祖父の通夜、葬儀には出席しなかった。  

前提として、帰省先と成人式に出席予定の地(=通っていた高校の市町村)は飛行機の距離。

既に成人式出席のために新幹線を予約していたし、成人式前後は友人宅に宿泊予定で、振袖も着付けメイクしてくれる予定の現地の美容院に送っていた。

生前、祖父は「もし俺に何かあっても、まずはお前の予定を優先するんだぞ。その方が俺も嬉しいから」と口酸っぱく言っていた。その祖父の言いつけをこんな形で守ることになるとは思っていなかった。
本来は成人式をキャンセルしてでも、祖父を最後まで見送るのが孫の務めであろう。
だが、先述の遺志を守る選択をした。
「早く枕経をあげないと」と悲しみに暮れる祖母に寄り添っていた。

せめてもの思いで、病院から葬祭ホールまでの遺体搬送の車に同行し、納棺を見守り、冷たくなった祖父のおでこを触れたのが最後になってしまった。
納棺師さんが「男前にしますからね」と言ってくれたことを覚えている。

この件に関しては、祖父の遺体を前にして集まった親戚から相当詰められた。
特に叔父からは「いくら成人式前だからって、祖父の葬儀にも出席しない祖父不孝な孫がどこにいるんだ」と言われたが、「私の意思ではなく祖父の遺志です」と伝えたし、両親も私そして祖父の意向に賛同してくれた。

◇いざ、成人式の地へ

次の日、亡くなった祖父を自分なりの形で偲びながら始発で新幹線に乗り込み、成人式出席予定の市町村へと向かった。

現地では、宿泊先の友人(以下S)と、共通の友人TとKが出迎えてくれた。いずれも高校時代の友人である。

その日は久しぶりということで適当にショッピングしてフードコートで駄弁り、その後居酒屋で思い思いに駄弁りながら飲んだことを覚えている。
何の話をしたか今では全くもって思い出せないが、とにかく加減が分からず、結構ベロベロに酔ってしまった。よく考えたら20歳になって1年も経ってないのだから、お酒の加減がまだよく分からないのも無理はない。

その時に酔っ払って気持ち悪くなってテーブルに突っ伏している写真が撮られていて、今でも写真フォルダにある。我ながら恥ずかしい。
また、余談になるが、全日程Sの家にお世話になるのは個人的に気が引けたので、初日のみビジネスホテルに宿泊した。
Tがホテル付近までキャリーケースを代わりに引いてくれた。

◇よそのご家族の温かさに触れた日

その次の日、Sのお父さんが私、S、T、Kをいちご狩りに連れて行ってくれた。市街地から田園風景に車を走らせたところにいちご狩りスポットがあった。
いちご食べ放題だったが、小さなボウル一杯ですぐお腹いっぱいになった。人生でいちごをこれだけの量食べたのは後にも先にもこの時のみである。

その帰り道、我々はSのお父さんに蕎麦をご馳走して頂いた。
蕎麦だったかな。多分部分的にそう(アキネーター)。自信ないけど和食屋さんだったことは覚えている。

Sのお父さんは、良い意味でノリが軽い方で、「みんな大人になったな」みたいな感じで出迎えて下さった。

それに私自身、これまでの人生で友達のお父さんとwith友達数人でお出かけなんてしたことがなかったから、フランクな感じで接してもらえることがありがたかった。

Sの家に帰宅後、Sのお母さんに「リンスすると翌日髪が崩れやすくなるから避けてね」とアドバイスを受け、翌日の成人式に備えてSの家でセルフネイルをして寝た。

◇成人式当日〜式場まで

そして迎えた式当日。当日何時に起きたかな。多分4時か5時くらい。
よくネイルを乾かさずに厚塗りしすぎたのか、表面がヨレてしまっていた。
急いで塗り直し、爪のヨレに気を付けつつ着付けをしてもらえる美容院へと向かう。

メイクの時に「前日のマスカラが落ち切ってないよ」とスタイリストの人に言われて大変恥ずかしい思いをするなど。
髪型も予め持参した髪飾りで、すごく好みのものにしてもらった。前撮りの時よりイカしてたし、着付けもとても上手にして頂いた。

その際、Sが「式の会場に行く前にちょっと寄りたい場所がある。ぴろろもついて来てくれない?」と言ってきた。

そこはSのご友人のお宅だった。
彼女は諸事情で式場まで行くことは難しいとのことだった。
でも今日はせっかくの晴れの日なので晴れ姿を写真に納めたいという。是非付き合って欲しいとのこと。

私とS、その子で3ショットを撮った。
全くの初対面の私が加わって良いか未だに分からないが、その子にとって思い出の1ページになっていることを願う。

その後、ようやく式場へ向かう。
高校時代の友人数人と合流。振袖姿の女子が7、8人集まった。
「お、久しぶりじゃーん」と声をかけられ振り返ったら、スーツ姿の男子も数人居た。

まだ高校卒業して2年弱なので、久しぶりだけど全然誰だかわかる。髪の色が変わってたり高校の頃より痩せて少し大人っぽくなった人もいたが、身体改造レベルまで変わった人は観測しなかった。

どちらかと言うと見知らぬ周りがヤバかったかも。
流石に北九州の成人式には劣るが、やんちゃだったり個性的なファッションの新成人もちらほら居た。

特に印象的だったのはバービー人形を帯に挿して、自らもぱっつんの金髪ロングを下ろして人形のような出で立ちの新成人。

あとは、式場の外で赤ちゃんを抱いている新成人も見かけた。
20歳は多くの人が学生もしくは社会人な訳だが、本当にそれぞれの形で成人を迎えるんだということを、見知らぬ同い年を眺めて知る。

また、余談であるが「写真を撮っても良いですか?」と中年男性に声をかけられた。
せっかくの日なので素直に応じたが、素性も分からないおじさんに声をかけられて写真を撮られたのは今思えばちょっと怖かったかもしれない。

◇式の様子

結論から言うと、あんまり覚えてない
成人式って会場の中よりも外の方が盛り上がるものだと思っていて、たとえ式典といえど見知らぬ他人と同じ空間で座らされるのはなかなかの苦行だ。
成人式の自治体に住んでる組とは離れ離れになった。まぁこれは仕方ない。
某有名な歌手が歌って、新成人代表や市長が言葉を述べて終了。感動とかは、まぁうん。よくある光景だ。

式の途中、一部のやんちゃな新成人たちが暴れて会場が凍りついた。やんちゃというか、単純にケダモノ。卑猥な言葉を叫んで警備員に注意を受けていたのである。

もう半ば諦めるしかないんだけど、どこに行ってもこんな奴はいる。
退屈な気持ちはわかる。
でも、せめて周りに迷惑をかけないように表向きだけでも厳粛な態度で臨んでほしいものだ。

◇成人式後

クタクタになりながら式典出席を終え、我々数名はデパートへ。式典に出席しなかったメンバー(私服)とも合流した。
喫茶店でケーキを食べながら久しぶりで会話に花を咲かせたが、やはり何の話をしたかは全然覚えてない。多分高校の頃の話と近況報告くらいはしたと思う。余談だが、ほぼ全員が振袖だったので普段何ともないソファー席が少し窮屈に感じた。

その後はプリクラを撮って解散。カラコンを入れてたせいでプリクラの加工技術と悪い意味で相乗効果を成し、黒目がでかすぎて昆虫になってた。

ところで今の子たちってプリクラを撮るのだろうか。
まさかTikTokで振袖でも踊るのかな?
約10年前と今では思い出の残し方ではジェネレーションギャップがありそう。歳はとりたくないものだ。

成人式を振り返って

一生に一度の晴れ姿と言えども、かなり疲れた

写真を見てるとせっかくの晴れ姿なのに見事に疲れ切った表情だ。写真だけ見ても当時のことをここまで鮮明に振り返れるのは、それほどに思い出に残っているからだと思う。

あと、振袖って可愛いけど着崩れとかトイレを逐一気にしなければならないので、やっぱり早く脱ぎたかったね。
普段洋服に慣れている身なので、多くの人にとって振袖は着心地が良いものではないと思う。
汚い話になって申し訳ないが、あの日ほどオムツを履いて過ごしたいと思った日はない。

ただ、出席したことに関して、後悔はしていない。
人生に一度しかないイベントなのと、同窓会でもない限り今後一生会うことのないであろう同級生たちと会えたことはかなり貴重な経験であった。

また、私の場合は小中学校があった自治体と高校があった自治体が異なるのだが、高校の自治体の成人式に出席したのは、個人的には賢明な判断だったと思う。
何故なら、自分が人生で一番友人の存在が身近だった場所で成人式を迎えられたことが何よりも良かったと、今振り返っても感じるから。

そして、冒頭の話に戻るが、私の成人式は祖父が亡くなった直後の出席だった
周りの皆にはこの事情を話さずにいたって普通に接していたが、かえって気を遣わせたくなかった。悲しみを紛らわせることができた。

そして、49日が過ぎて改めて祖父のお墓参りに行った際に、成人式の写真を墓前に見せる形で報告をした。
「ぴろろが二十歳になるまで生きる」を有言実行して亡くなった祖父。
きっと、向こうで微笑んでいたんじゃないかと思う。今までありがとう。

今年の二十歳の皆さんへ

この度は二十歳、おめでとうございます。

新成人年齢が18歳に引き下げられて久しいですが、やはり平成から令和になっても二十歳というのが大人になる一つの区切りという感覚なのではないかと思います。

夢や目標の実現に向かって努力している若者たちへ。

やさしくて愛される人になって下さい。

努力や知性は人々に愛されて真価を発揮します。
これからの未来に向けてそれぞれの形で、楽しく充実した人生になることを祈ります。


ここまで長い自分語りを最後まで読んで下さりありがとうございました。あなたの成人式関連の話も、もし良かったらコメント欄で聞かせてくださいね。

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