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【独白】不登校になりたかった、15の私へ。(前編)

いじめられた独白を書いているので、トラウマがあったり苦手な方はここで閉じることをおすすめします。
それでもご覧になりたい方は、何があっても自己責任でお願いします。

中学生の頃。私はいじめを受けていたらしい。

「らしい」って、自分が受けたことなのになんか他人事な表現だけど、当時のことはそう思わないとやってられないのだ。

正確には終始一貫していじめられてたのだが、どうやら途中まで自分のことを「それなりに面白がられているいじられキャラ」なのだと勘違いしていたようだ。

入学直後から、クラスメートと馴れ合いたくない気持ちはずっとあった。
クラス全員名前呼び捨てで距離を置いていたし、目を合わせず、時に敬語で話していた。
給食中は対面する同級生を終始睨みながら食べていた。

その上、輪を掛けて変わり者であるかのように、皆が右を向いている時にあえて左を向くような行動を取る逆張り陰キャだった。
当然、協調性は皆無だったので体育祭や合唱コンクールなどは足を引っ張った。

結局のところ当時は、クラスメートとどこか距離を置きつつ、時に道化を交えて挑発的に接するしか、人間関係を構築する方法を知らなかったのだ。

中には、そんな自分を面白がって私の話し方を真似したりする生徒も出てきた。

いじられているポジションを自覚した瞬間、プライドに傷がつき不本意だったけど、きっと、いじられキャラなりにクラスに居場所がある。そういう希望的観測を持っていた。

だがしばらくすると、それは勘違いであるという残酷な現実に気付かされることになる。

中2のある日のこと。

2時間目の終わり、大人しいと思っていた女子から「話がある」と言われ人気のないロッカー裏に呼び出された。

そして突然、お腹に打撲ができるほど蹴り上げられた。しまいにはロッカーに押し倒されて複数人に暴力を振るわれた。

そこでようやく、

これはいじられてるのではない。

自分はクラスメート達から確実に、
いじ「め」られている。

と気づくことになった。

つまり私は狩野英孝並みかそれ以上に鈍感であるために、「いじられているように見せかけて実はいじめられてましたドッキリ」に、時既に遅しな状態で気づいてしまった訳だ。

当然ながら、上記のような振る舞いをしてたので、いじめられる原因は十分に思い当たる。

「変わり者」「ふしぎちゃん」「個性的」そして今で言う「おもしれー女」、こういう形容で表される私の態度は、同性から大いに反感を買っていたのだ。

そう、言うまでもなく、最初からクラスに居場所なんてなかった。

気づけば中3に上がる頃には、複数の女子グループからいじめられていた。
男子達にも、いじめられるまではいかないが概ね冷淡な態度を取られていた。

どうか自分に対するいじめが止んでほしい、と、従来の態度を改めてにこやかに接するように心がけても「気持ち悪い」と一蹴され、いじめは止まなかった。

次第に、いじめグループ含む少人数での授業や女子のみの環境に恐怖をおぼえるようになった。

ちなみに私の中学校は、女子には明確にスクールカーストが存在していた。男子はそうでもなかったと思う。

当時、全国大会出場レベルの女子運動部があり、その部員たちは公立校なのに皆遠方から通学していた。
そしてどこか、彼女らに逆らえない雰囲気があった。
多分今思えば、教師達も同じだったんじゃないかな。

1軍にはその強豪の運動部員と他校出身の陽キャ女子たち、2軍は同じ小学校出身の女子数人、3軍には他校の大人しめの運動や勉強が苦手めな女子達が固まっていた。

1軍は言わずもがな、2軍の女子達のように目立たなくても普通の学校生活が送れるタイプの無難な人間じゃなかったし、3軍としてクラスの隅っこに追いやられて暗に見下されるのは確定だった。

必死に道化をしてたけど、最終的には3軍女子からも見下されていたガチ最下層になっていた。

成績に関しては、入学当初は学年3位だったのが、この頃すでに15位くらいにまで落ちていた。(※1学年60人前後)

中3になり、いじめられながらも修学旅行を終え、1、2週間が経った頃のある日。

プールの授業の見学中に水面と空が一体化して見えた。
そのまま意識が朦朧とし、気持ち悪くなり、立てなくなった。

歩く時もフラフラして、流石にいじめられていたとは言え周りも多少は心配するレベルに。

その日はやむを得ず早退。
そして次の日から本当に体調が悪くなり、しばらく休むことになった。これまで普通に学校に通えていたのにこんなことは初めてだった。

休んでいる間の体調は、今思い出せる範囲でも地獄を極めていた。

まず起き上がれなくなり、目の前の見えていた世界がゆらゆらと歪んで見えた。

後にも先にも、この時の経験を上回る体調悪化を経験したことがない。

休んでいる間は、明確に「死にたい」という思いで食欲が減退。それでも口から何か食べなければ命に関わるので、ゼリーやポッキーを食べていた。

たった1本の細いポッキーを食べるのに2、3時間かかったことを今でも覚えている。ポッキーを持つ手も震えていた。

口に食べ物を入れることを口が、脳が拒絶している。
でも、食べなければ死んでしまう。

そんな強迫観念で、泣こうとしながら食べていた。 
憔悴すると、涙さえも出ないから泣けてないのだ。
本当は枯れるほど泣きたかった。

体重はみるみるうちに減り、血痰が出るほど気管支喘息を起こした。肌は荒れまくり、爪の色は不健康なほど白くなっていった。
母に心配され小児科や内科を受診して薬も飲んだが一向によくならず、待合室で皆が見てる前で横になっていた。

受診先の小児科医の「精神的なものからきているのでは」という医師の診察により、最終的には心療内科へ行くことになった。

だいぶ昔のことなのでどう回復したのか詳しくは覚えてないが、服薬したりカウンセリングを受けて、ようやく学校に復帰できた。

食欲も時間はかかったが、数ヶ月かけて回復した。

それでも、卒業までいじめが止むことはなかった。
なにかされる度に苦しんだけど、中3当時の担任は個人的に信用ならず、アテにならなかったので一切相談はしなかった。

「あと少しだから」と思って、1日1日が早く終わってほしいという思いで惰性で学校に通っていた。

高校受験に関しては、終始いじめられて脳破壊されていたので中1、2の頃の成績には永遠に戻れず、第一志望の公立校は落ちてしまった。代わりに、その公立校と同レベルの私立は受かった。

第一志望校に落ちたことで、学校の先生方をはじめ塾講師の先生方にも合わせる顔がなかった。

だが、母親は「高校なんて行ければどこでも良い」と思っていたのか、そんなに失望してなかった。
父は何も言ってこなかった。

結局私はいじめられながらも中学の卒業式を迎え、式終わりに一番に校門を出た。
渡された卒業アルバムはその日のうちに破ってゴミ箱に捨てた。

卒業式に出て唯一良かったことは、記念品として印鑑が貰えたことである。それ以外は、ない。

そして晴れて4月より心機一転、暗い過去を捨てて、併願していた遠方の自称進レベルの私立高校に進学することにしたのだった。

(以下の後編に続く)

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