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「感動した!」と言ってもらえるぼくの料理には、圧倒的な戦略とロジックがある

はじめまして。鳥羽周作と申します。「sio」という代々木上原のレストランでシェフをやっています。

このnoteでは、ぼくがふだんどのようなことを考えながら料理づくり、お店づくりをしているのかをお伝えしていければと思います。

ただの「おいしい」ではなく「感動した!」と言われたい

ぼくが目指すのは、ただの「おいしい」ではありません。「感動」です。

日本に「おいしい」お店は無数にありますが、「感動」まで提供できるお店は少ない。お客さんを感動させないと、その他大勢に埋もれてしまいます。

ぼくには「こういう料理をつくったら、お客さんはこう感動するだろう」という戦略があります。感動させるための「料理の方程式」がある。小説家やコピーライターが「こういう書き方をしたら、読者にこういうふうに響くだろう」と考えるのと同じような感覚かもしれません。

なぜ、あえて「薄いスープ」をお出しするのか?

お店のコースは10皿のお任せですが、そのコースの流れはものすごくつくり込んでいます。いわば「物語」に近い。その一つひとつにきちんと「ロジック」があって、起承転結を感じてもらえるようにつくっているのです。

たとえばコースでは、いつも最初にスープをお出しするのですが、とても「繊細」なスープにしています。これ、実は、次へのアプローチなのです。次のお皿で感動してもらえるように、あえてちょっと薄めにしてある

お客さまはこう思うでしょう。「あ、薄いな……。でも、鳥羽さんのところはすごくおいしいって聞いてるから、これがおいしいスープなのかな?」と。そう思わせておいて、次にビシッとした味の料理をお出しすると「めちゃうまい!」と感動してもらえるのです。最初においしすぎるスープが出てしまうと、次の感動が薄まってしまう。そういう「流れ」と、一皿一皿の「ロジック」を大切にしているのです。

ショートケーキの「感動方程式」とは?

ぼくの料理には、すべて感動を呼び起こすための「ロジック」があります。脳内にある方程式によって導き出しているので、お客さまには「おいしい」を超えた「感動」を提供できるのです。

その「ロジック」とはどういうことか。

たとえば、ショートケーキを分析してみます。ショートケーキというのは、めちゃくちゃ甘いホイップクリームがあって、「甘すぎるよ」と思っていたところに酸っぱいイチゴが登場します。「わあ、酸っぱい。また甘いのを食べたい」という、その交互に来る「味覚のやり取り」が感動ポイントです。

ぼくの料理は、この「甘さに対して酸味」というロジックを利用するのです。つまり、「ホイップクリームに対するイチゴ」という関係性を、ホイップクリームは残したまま、イチゴの「酸」の部分をたとえばビネガーの効いたサラダで代用してみるわけです。

ホイップクリームにサラダをもってきたときに、一般の人は「なんでこんなことを思いつくの?」と思うでしょうが、ぼくにしてみたら、それはイチゴの代わりに違うものを持ってきただけで、ロジックとして成立しているのです。

マクドナルドのハンバーガーの感動ポイント

ぼくの頭の中にはそのような「感動のロジック」がたくさんしまってあります。圧倒的な情報量をインプットしてきたからです。正確には「量」というよりも「感度」なのかもしれません。他人が「1」しか感じ取れないところを「10」感じ取るようにしているのです。

たとえばぼくがマクドナルドに行ったら、普通の人が黙々と食べているときに、そこで「10」を感じ取ります。その感じ取った「何か」が、料理をつくるときに生きてくるのです。

ちなみにマクドナルドのハンバーガーの感動ポイントは、一口目、二口目を食べていって、三口目にピクルスが当たるときです。肉とケチャップとマスタードのなかから「いきなりお前が顔を出すのか!」という、あのピクルスがたまらなく気持ちいい。

ぼくは「あの『3口目のピクルス』の気持ちよさは、いつか料理に生かせるかもしれない」と引き出しに入れておくわけです。

マクドナルドのコーラはなぜおいしいのか論

ぼくはマックのコーラも大好きです。マックのコーラのいいところは「絶妙な炭酸ぐあい」です。たとえば缶のコーラは炭酸が強すぎて、開けても一気にグビグビ飲めません。でも、マックはちょうど飲みやすい薄さと炭酸の量になっているのです。

ちょうど飲みやすい炭酸になっているのには「仕掛け」があります。まず、コップに細かいロックアイスが入る。そのうえからコーラを入れると氷の表面積がめちゃくちゃあるから、炭酸がプシューッとはじけて抜けていく。氷が多いので薄まるスピードも早い。すると、お客さんが飲むタイミングでめちゃくちゃ飲みやすくなっているというわけです。

おそらく普通は、マックのコーラと缶のコーラの違いに対して、そんなに深掘りしないでしょう。でも、ぼくはそこを深掘りしていく。「マックのコーラって、こういう感じ」という引き出しがある。だから、お店でドリンクをつくるときも「氷が多いほうがいいんじゃないか」とか「炭酸のアプローチはこうではないか」というロジックを使えるようになるわけです。

ガストの「マヨコーンピザ」がすごい理由

余談ですが、ガストの「マヨコーンピザ」もすごいです。超うまいです。まず、マヨネーズには「うまみ」と「酸」があります。それだけだと気持ち良くないのですが、そこに「ザ・缶詰」みたいなトウモロコシの甘さが入ってくる。よって「甘じょっぱ酸っぱい」味が生まれるのです。だから「もう一口食べたい」というふうに誘われていく。すごくうまくできていて「なるほどね」と思いながら食べています。

牛丼ですごいなと思ったのは、松屋のお持ち帰り弁当です。牛とご飯がセパレートになっているのですが、あれを編みだしたやつはちょっとヤバいなと思っています。かつては、どれだけおいしい牛丼であっても持ち帰った時点でご飯が汁を吸ってしまって、本当においしい状態で食べてもらえなかった。そこに彼らは気づいたわけです。こういうところひとつとっても学ぶことはいっぱいあります。

松屋の「カレーにみそ汁」に違和感

逆に、松屋でカレーにみそ汁が付いてくることには違和感があります。なんでスパイシーなカレーに、あったかい飲みものがついてくるのか? 辛さが増長されてしまいます。ならば、冷たいサラダのほうが絶対いいのにな、と思っています。

こういう違和感をスルーせずに頭に入れておけば、自分が辛いカレーをお店で出すときに「酸が効いた冷たい飲み物を一緒に出すといいかな」などと思える。うちは今、辛いカレーにはレモンサワーを一緒にお出ししています。

ファミレスやファストフードはやはり優秀です。マスにウケているだけあって、ウケるだけの理由はあるのです。ぼくはそうやって仕入れたロジックをレストランらしく「ブラッシュアップ」しているのです。

最高にうまいアスパラガスの焼き方

いかに「解像度」を高めて、他人の気づかない部分までインプットできるか。たったひとつの工程でも、いかに「深掘り」できるか。そこが感動の料理を生み出す鍵となります。

よく「高級食材をシンプルに焼く」というのが究極の料理だ、などと言われます。たしかにそれはそのとおりですが、その「焼く」という行為をどれだけ深掘りできるか。そこがものすごく重要なのです。「焼く」というところに確かな「ビジョン」と「狙い」がないと、ただ焼いただけになってしまう。感動の料理にはなりえません。

たとえばクロアワビを焼くときのポイントは何でしょうか? アワビの魅力はあの食感、柔らかさです。アワビは、ただ焼くだけだと固くなってしまいます。だから、一度火入れしたものをきちっと冷まして、出汁を含めたものを焼いていくのです。お客さんから見たら、ただ焼いているように見えますが、その下処理はめちゃくちゃ細かくやっているわけです。

「sio」ではアスパラガスを焼いたものをお出ししているのですが、もちろんただ焼いているわけではありません。焼いたあとにアサリとバターの出汁を一回吸わせているのです。そうすることで、ただ焼いたときよりもジューシーでおいしくなる。「ただ焼いただけ」のアスパラガスが、感動の料理に変わります。「ただ焼いただけ」の中に、どれだけの狙いが含まれているか。そこに料理の奥深さと素晴らしさがあるのです。

その肉じゃがに「ビジョン」はあるか

ぼくのすべての料理には明確な「ビジョン」と「狙い」があります。たとえば「肉じゃがをつくります」というときに「ただつくる」ということはありません。肉じゃがと言っても、牛肉か豚肉かでずいぶん変わってくる。牛のほうがコッテリしてる味が合うので砂糖は多めになりますし、豚肉だと砂糖よりもみりんのほうがいいでしょう。

「どの肉じゃがを、どうつくるのか」という設計図の解像度がぼくはものすごく高いのです。頭の中にビジュアルを描き、その肉じゃがを脳内で食べてみる。「そうそう……牛は、このコッテリ感だから、砂糖だよね」といったぐあいに、できあがったものから逆算で料理を組み立てていく。だから、ぶれることが少ないのです。

「箱根に行く」という目的地が決まれば、あとはルートを選ぶだけ。ただなんとなく肉じゃがをつくる人は「ゴール」が定まっていないから、おいしくつくるのが難しいのです。

ぼくは徹底的にイメージして脳内でつくっているので、実際に試作をすることはほぼありません。頭の中で食べてみて良かったら、ほぼ9割できている。あとは、味をちょっと調整するだけです。ロジカルな方程式が頭の中にあり、それを言語化することもできるので、失敗がほぼないのです。

料理は「知識の集合体のアウトプット」

「料理は科学」と言う人もいますが、ぼくは料理は「知識の集合体のアウトプット」だと思っています。だから、いかにその知識を体内に入れるか。インプットの精度を上げるか。そこにものすごく力を入れているわけです。

かつて師事した「アロマフレスカ」パスタシェフ(現「DIRITTO」シェフ)の坂内正宏さんに「口にするものはすべて集中して食え」と言われたことがあります。それからは、マックに行っても松屋に行っても、徹底的にインプットするようになりました。

ちなみに今日はブロンコビリーでステーキを食べましたが、そこでも「肉は焼き色がついていたほうがやっぱりうまいよな」などと思っていました。どれだけ集中してインプットできるか。そこに命をかけている。だから自然と解像度が高くなるのです。

「おいしい料理」よりも「気持ちいい料理」を

坂内さんには「おいしい料理よりも、気持ちいい料理をつくれ」とよく言われていました。口の中で「気持ちいい」かどうかです。それが感動につながるのです。たとえば、豚の肩ロースの脂っぽいものを食べたあとに、酸が効いたサラダを食べると「めっちゃ気持ちいい」となる。「そういう料理をつくれ」とずっと言われていました。

ぼくの料理は、酸っぱいパーツが結構多いのですが、料理に「酸」が入ると、一本ピンと背筋が通るようにお皿が「締まる」のです。10皿食べてもらうときに、お客さまにどれだけそうした「気持ちよさ」を感じてもらえるか。そこを重視して、料理を組み立てています。

料理の「五味」の順番を考える

ちょっと長くなりましたが、もう少しお話させてください。料理の「五味」の話です。「五味」の組み立てが、感動する料理を生み出すポイントになっています。

料理は「うまみ、塩み、甘み、酸味、苦み」という五味で構成されています。「塩み」と「酸味」は、わりと似たところに位置しています。

「うまみ」というのは、亡霊のような存在です。どういうことか。かつおの出汁を取っただけでは、香りはするけどおいしくありません。しかしそこに塩を入れると、初めて「うまみ」が立ち上がり、おいしくなる。「うまみ」と「塩み」も、同じようなところに位置しています。あとは「苦味」が入るのか、「甘み」が入るのか、というぐあいに味は構成されていくのです。

そして、この五味がどういう順番で現れるかが重要です。

たとえば、すき焼きは「甘じょっぱい」です。五味のうち、最初に感じなければいけないのは「甘」で、次に「しょっぱい」です。するとおいしくなる。この「すき焼きなら『甘』が一番最初に来なければいけない」というイメージができていれば失敗しません。

サラダだったら「酸っぱ→しょっぱい」で、最後は「ちょっと甘い」という感じです。すると「まずビネガーがいちばん効いてなければいけないよね」となる。このように、どのような味が、どんな順番で流れてくるかまで計算することが重要なのです。

「塩」を感じさせてはいけない

最後にもうひとつ重要なのが、「塩を感じさせない」ということです。塩は塩のままでいたらいけません。ぼくが料理をして塩を感じることがあったら、かならずやり直します。「塩」という白い物体が頭の中に浮かんだら全部つくり直す。もちろん狙ってつくったときは別ですが、基本は「塩を感じなくて、気持ちいい。でも、薄くない」という、そこを目指すべきなのです。

塩というのは表に出たら絶対にダメです。表に出ると味が「塩」になってしまう。食材の味ではなくて、塩味になってしまうからです。だから、食材の味を大事にするときは、塩を感じないギリギリのところを狙う。塩加減は本当にピンポイントなのです。

ぼくの料理は塩を感じないから、コースの10皿を食べても「軽い」はずです。次の日に胃もたれするようなこともない。必要以上のうまみもないし、味が濃すぎるというわけでもない。それが「軽さ」となり「心地いい料理」につながるのです。

24時間料理のことしか考えていない

このようにロジックや計算の話をしていくと「おまえ、何なの? ビジネスマンなの?」と言われることもあります。でもぼくは、どこまで行っても「料理人」です。料理が大好きで、料理への愛は半端ないと思います。

本当に24時間ずっと料理のことを考えているのです。料理で思いついたことはすぐ知り合いにメールしてしまいます。毎日同じ料理をつくることもありません。コースでお出ししている料理も、営業しながら「あー、もっと良くなるな」「この盛り付け、こうしようよ」などと毎日言っています。やっぱり昨日より今日を良くしたいし、今日より明日を良くしたい。それが毎日続いているのです。

料理が好きだからがんばれるし、料理が好きだからもっと良くしようと思えるのです。ぼくは頭の中で食いまくっています。ぼくほど頭で食ってるやつはいないと思います。ぼくは半端なく料理が好きです。新作のメニューもずっと考えています。いまこの瞬間に「新作のメニューをつくって」と言われたら5分でつくれます。脳内にメニューが溢れているのです。それは他のシェフと比べても1月につくっている料理の数が倍以上あるからです。それも好きだからやれてしまうのです。

料理に「ロジック」は必要です。

でも、それだけで「感動」は生み出せません。

果てしない「料理への愛」があってこそロジックが生きてきて、「感動」につながるのだと思います。


編集協力:WORDS

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