ピリから

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小説:浮いたわたし

 午前中の、まだ客もそれほど多くないチェーン店のカフェで、二人掛けの席に春行と向かい合って座っていると、わたしの体が数センチ椅子から宙に浮かび上がる。ふわり。 「え。わ?」  わたしが声を上げた時には、体は再びすとん、と椅子に着席している。ほんの一瞬の出来事。 「……え?」  口を開けた春行は、わたしの顔を見つめたまま静止している。右手に持ったコーヒーカップも、口元まで運ばれることなく、ソーサ―から少し離脱したところでぴたりと止まっている。 「今の何……?」  わたしは自分の

    • 小説:部屋の魚たち

       僕たちの部屋にたくさんの魚が泳いでいた。泳いでいる魚の種類はよくわからない。僕は魚に詳しくない。取りあえず、大きさは小さいものから中くらいのものが混在しているが、それほど奇抜な姿かたちをしたやつはいないようだ。所謂熱帯魚のような、見るからに目を引くような、明るいルックスの魚は、この部屋にはいない。何種類もいるが、どの魚も、水槽で飼ってみたいと強く思わせるものではない。  明確に夢だった。だって魚は空中を泳いでいる。部屋が水で満たされているわけではない。空気の中を泳ぐ魚。そん

      • 小説:僕の中の真帆

         僕の中には真帆がいる。  真帆は僕が高校一年の時に同じクラスだった女の子で、二年の時も同じクラスだった。三年の秋に、理由もわからぬまま、ただ突然いなくなり、それから一年後に僕の中に現れた。  高校時代、まだいなくなる前の真帆と僕は、それなりによく話す間柄だった。一番ではないが、学校における僕の人間関係の中では三番目か四番目に話す時間が多かった相手だ。たぶん、真帆の方にとっての僕も、同じような相手だったのだと思う。  そんな程度には気心の知れた相手だったし、僕たちの置かれた状

        • 小説:あの日あの場所のフレンチトースト

           わたしは、今まで生きてきておおよそ不味いフレンチトーストというものを食べたことがなかったのだけど、一度創也と一緒に行ったカフェで出てきたフレンチトーストが衝撃的に美味しくなくて、完食することもできなかった。というか、思わずその場で「え、これマズ……」と口に出してしまった。わたしが味わった衝撃は、その水準だったということだ。  創也の方も創也で、わたしの反応にびっくりしたらしく、「え、ちょ、そんなに……?」と、わたしの顔を見ながら、手にしたコーヒーカップを硬直させていた。ちら

        小説:浮いたわたし

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          小説:海で教えてくれたこと

           もう何年も前の話になるけれど、恵市と二人で海を見に行ったことがあった。季節は春で、何もしないでいるのに一番適した時期だった。人はまばらで、夕陽は綺麗で、わたしたちを程よく甘やかしてくれるような暖かさの日だった。  しばらく二人で歩きにくい砂浜を歩いて、わたしは持って来ていた一眼カメラで、付き合ってもいない恵市をふいに撮ってみたりしていた。  当時のわたしには、男女の色恋みたいなことがよくわかっていなくて(今だって十分にはわかっていないけど)、そんなことをしていたら恵市がわた

          小説:海で教えてくれたこと

          小説:青瀬さんのありがたいお話

           バイト先のスーパーにいる社員の青瀬さんは、細かいことに気が利いて指示が素早くて、けどいつも冷静で怒ったりとかしない超絶的に良い人だ。二十代後半くらいの、ベリーショートの髪が似合う女の人で、体はやや小柄だけど、めちゃくちゃ優秀な人なので存在感がある。そんな頼れる上司の青瀬さんだったんだけど、この前休憩室でたまたま二人きりになった時に、話の流れで「え、でも青瀬さんって普段何してるのかとか全然想像つかないですよね~」と、わたしが笑いながら言ったら、「まあ地球人の生態の研究かな。そ

          小説:青瀬さんのありがたいお話

          小説:鬼に壊された部屋で

           ろくでもないことは起こるべくして起こるものだし、逆も同じだ。僕の家に突然鬼の集団が上がり込んできて、金棒を振り回して壊せるものを全て壊していったのにも、因果がある。  僕は恋人から金を借り、早く返せとせっつかれ続けているクズだ。恋人とは言ったが、向こうはもう僕に愛情など抱いていないだろうし、僕が抱いているのも愛情より不安感の方が強い。そんなどうしようもない僕を許せなくなった恋人が、鬼たちを雇って僕に復讐を命じた……というわけではない。が、回り回って僕の部屋には鬼たちが押し掛

          小説:鬼に壊された部屋で

          小説:薄皮の恋

           川坂くんはあんまり背が高くなくて、喋る時いつも声が力んでて、ちょっとおどおどしてる頼りな~い感じの男の子なんだけど、わたしは最初にバイト先に入ってきた時から可愛くていいなと思っていて、何度か話しかけてからLINEを交換することにする。顔立ちは垂れ目な童顔タイプで、まあわたしは昔からこういうタイプの男の子に弱い。「自分に自信がないからそういう自信のない子に寄ってちゃうんじゃないの?」と、幼馴染の優紀乃にもズバッと言われちゃうけど、実際そうかもしれないな……と自分で思う。自信が

          小説:薄皮の恋

          小説:僕が好きな

           僕は仕事を終えた後に酒を飲むのが好きだが、別に仕事をすることは好きではない。加えて言えば、酒を飲むこともそれほど好きではないように思う。だが、どうしても嫌な仕事を終えた後に好きでもない酒を飲むことがやめられない。その瞬間に味わえる快楽がたまらなく好きだ。  好きなことは他にもある。例えばさと香と会うことだ。さと香と僕は恋人同士ではない。だけど、さと香と二人で小さな映画館に行って、ドイツだかフランスだかのそこそこ優れた映画を観終わった後で、安い居酒屋に入って、だらだらとお互い

          小説:僕が好きな

          最近観た映画の感想まとめ③

          全部Filmarksのアカウントからの転載です。 ・アオラレ(2020 アメリカ) 3.0/5点 間抜けだったり退屈だったりする部分もあるけど、主人公と悪役の社会階層的な設定が上手かったかな。深みを出しつつ、かといって重苦しくもしすぎない、ちょうどB級スリラーとして成立する塩梅だったんじゃないかと……。 あとラッセルクロウは名優感全然出てなくて逆にすごかったですね。 ・わたしは最悪。(2021 ノルウェー フランス スウェーデン デンマーク) 4.0/5点 主演のレナ

          最近観た映画の感想まとめ③

          最近観た映画の感想まとめ②

          全部Filmarksのアカウントからの転載です。 ・ガンズ・アキンボ(2019 イギリス ドイツ ニュージーランド) 3.0点/5点 中盤はずっと行き当たりばったりのちまちました展開が続くのでいまいちアガらなかったけど、最初と最後は良かったかな……。 ニックスのキャラがスピンオフ作れそうなくらい魅力あったと思うので、ちょっと過去話で見てみたい感じしますね……。 ・友情にSOS(2022 アメリカ) 5.0点/5点 「社会」という概念を悪役として表現することに成功してい

          最近観た映画の感想まとめ②

          最近観た映画の感想まとめ①

          全部Filmarksのアカウントからの転載です。 ・デビルマン(2004 日本) 2.5/5点 ん?言われてるイメージほど酷くなくて意外。 画は安っぽいし雑なとこも多いし主演2人の演技もアレだからデビルマンっていう原作の存在感を考えると何じゃこりゃって感じだけど、ひとまずシナリオ上の押さえるべきポイントは押さえてるし、テンポも良くて退屈しないから良かったな……。 何より原作面白そう〜って思えたから何もかもちゃんとしてないわけではなかったですね。 ・トップガン(1986 

          最近観た映画の感想まとめ①

          小説:どんな顔の少女

           夜の十一時、ふと誰かに見られていることに気付いてわたしは立ち止まる。  自動ドアを通ってコンビニを出たところ、買ったばかりのカフェオレのボトルを開封しようとした時だった。敷地を出た、幹線道路沿いに続く歩道のほんの先。大きな交差点の、信号の灯りの下。  いる。  わたしはそれを、はっきりと見て確認する前に認識してしまう。視野の端で一瞬だけ捉えたその存在を、確信を持って認識する。あれは子供だ。少女だ。  見る前に認識したことによって、わたしはもう二度とその少女を正視することがで

          小説:どんな顔の少女

          小説:踊る彼女を見る夜

           夜に仕事から帰って一人で夕飯を食べていたら、ベランダからいきなりリビングの窓を割って人が入ってきた。そいつが何も言わずに金槌を持った腕を思い切り振りかざしたので、慌てて何も持たずに玄関から逃げ出して、最寄りのコンビニまで振り返らずに走った。駆け込んで、店員に事情を説明して、かくまってもらい、警察に通報してもらった。バックヤードで待っていると、警官が二人コンビニへ到着した。もう一度事情を話し、部屋には戻れないだろうが、どこか行く宛はあるかと尋ねられ、「三駅先に男友達が住んでる

          小説:踊る彼女を見る夜

          小説:アルコールマジック

           三週間ぶりに居酒屋で会った道乃が新しい彼氏ができたという話を始めて、「今度の相手とは長続きすると思う」と言ったのだが、俺はその台詞をこの八か月の間に三回は聞いていたので、いくつか言葉を省略してから「何で毎回そのパターンになんの?」と言ってやる。  すると道乃も「え、ちょっと待って。どういうこと?」と言って、手にしていた中ジョッキをテーブルに置き直す。「今回は今までと違うって」という言葉を、首と手を振りながら、ぶん、と放つ道乃は、何だか俺の母親を彷彿とさせるものがある。俺の母

          小説:アルコールマジック

          小説:できることならできることを

           のそのそ、とかガバリ、というよりは体に結び付けた一本か二本の糸に引っ張り上げられるようにして僕は布団から抜け出して立ち上がる。ふらりと倒れ込むように作業机に向かい、先週会った五才と三才の息子たちみたいにうるさい目覚まし時計の頭を叩いて静かにさせると、午前十一時だ。  音が止んで静かになると、すぐにもう一度布団の中へ倒れ込みたい衝動が湧いてくる。僕は何とか踏んばりながら、この目覚まし時計は息子たちのようにうるさいが、僕は息子たちの頭を叩いて静かにさせたことはなかったなと考えて

          小説:できることならできることを