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ただの趣味だった陶芸が、誰かの手に渡る喜びに。

新鮮味を失った自分のためだけの趣味

陶芸教室に通い始めて1年半ほど経った頃。
自分のために作る器は、少しずつ鮮度を失っていた。

こんな花器がほしい。
こういう料理を盛り付けたい。
お箸置き作ってみようかな。

そんな自分の中の好奇心が、底をつき始めていた。

自分にはちょうどいいセミオーダーの形

自分の作品をInstagramのストーリーにあげてみたところ、友人から反応をもらうことが増えた。
ありがたいことに、「販売はしてないの?」と声をかけていただいた。たとえお世辞だとしても嬉しかった。

陶芸家でもないし、自分の趣味でお金をいただいてもいいのか。
今は自分の欲しいものを作っているけれど、人が欲しいと思うものを作れるのか。

迷った結果、材料費程度をいただき、どんなものが欲しいかを聴きながらも、基本的には任せてもらうセミオーダーのような形をとることにした。
具体的には下記のようなことを聴いている。

どんな用途のものが欲しいか(ex. マグカップ、平皿)
どれくらいの大きさがいいか
どんなシチュエーションで使いたいか(ex. 毎日朝のコーヒーを飲みたい)
好きな色
イメージするもの(ex. ハワイの海、朝焼けの空)

やりとりを通して、イメージするものの写真を見せてもらうこともあるし、ほとんどお任せのこともある。

明確すぎるイメージがあると、それ通りに作らなければならないと窮屈に感じるけれど、
相手の傍らにある作品を想像しながらも、基本的に自由に作れるのは、想像以上に楽しかった。
自分のためにつくるよりもインスピレーションが湧くような気がしたし、より丁寧に陶芸と向き合うようになった。

はじめて誰かのために作った作品『海辺に咲く花』

自然に委ねる

陶芸は、自然の産物。
焼きあがるまで、どんな色になるのかはっきりとはわからない。少し小さくなるし、形が歪んでしまうこともある。時間だってかかる。
でも、それが面白い。自然の大らかさに身を委ねる感じが、心地いい。

土と水と炎と、感性と、相手への気持ち。
いろんな要素が混ざり合って、ひとつのものが生まれる。

作品を渡すだけではない楽しみを

オーダーしてくれた人たちには、途中経過の写真を送るようにしている。
陶芸ってなんでこんなに時間がかかるのか、どのようにできあがっていくのか、知らない人も多いと思うから。
それに、成長過程を見ているようで、ちょっとわくわくすると思うから。

素焼き前。チャイを飲みたいとの声や、依頼主のアフリカ布のイメージで。

さらに私の「好き」を掛け合わせ。
今年始めたカメラを使って、完成した作品の宣材写真を撮る

まるでグラビア写真を撮るような気分になる。

最後に、作品の命名
当初聴いていたイメージ、完成写真を見てもらってからいただいた言葉も参考に、名前をつける。

『滴る宇宙』

これらは前もって伝えていたサービスではないけれど、コミュニケーションを取りながら作陶できるのが楽しくて、自然と生まれた。

誰かに喜んでもらえる嬉しさ

私は陶芸家ではない。誰かに弟子入りして陶芸一本でやっていくつもりも今のところはない。
でも、自分が作ったものを誰かに喜んでもらえることって、こんなに嬉しいことなのかと気が付いた。

日常の傍に、器がある。そしてその器には、できあがるまでの物語がある。
誰かの日常を少しでも彩ることができるなら、それは本望だ。
もし割れてしまったら、金継ぎをして新しい命を吹き込むこともできる。だから割れることを恐れず、できるだけ日常的に使って欲しい。日常の中に美を取り入れてほしい。それが、私の願い。


器にはまったきっかけや、日々の暮らしへの器の取り入れ方を綴っているので、よろしければこちらのnoteを。


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