ゴミの分別をちゃんとしたら朝から達成感を味わえて気分が良い日記&時事漫才が「きっかけ」になった話
日曜の朝、洗濯機を回しつつふと部屋の片隅を見たら古紙類が結構たまっていた。
切り開いて洗って乾かした牛乳パック、お菓子の箱、ストッキングの厚紙、個人情報部分を切り抜いた封筒、トイレットペーパーの芯、各種包装…などなど、7月24日からとりあえず紙袋に入れてある程度たまったらまとめてリサイクルに出そうと思っていたもの達。
畳んでまとめたら結構なボリューム。(ちなみに一人暮らし)
重さを測ったら916.5g。
朝から気持ちの良い達成感。古紙類をまとめただけなのに清々しい。
そう思うと同時に、「今までこういうのを全部燃やすゴミに出してたんだなー」と過去の自分(と言ってもほんの6週間ちょい前までの自分)の行動を反省した。
何年も前からテレビや新聞やネットで取り上げられているのに、私はゴミ問題にまっっっったく関心がなかった。頑張れば金属以外のあらゆるものは燃えそうだから全部燃えるゴミで良くない?くらいに思ってたし、お弁当の使い捨て容器とかも適当に水でジャーって流してゴミに出してたし、ペットボトルのラベルも剥がさずにゴミに出してた。「紙」とか「プラ」のマークも「なんかあるな」くらいにしか思ってなかった。
ただ、死んだ鯨の胃袋からビニール袋が大量に出てきたというニュースは心が痛んだ。
7月からのビニール袋有料化にあわせてマイクロプラスチック関係のニュースが増えて来ても、「大変だなー」と思いつつも特に生活習慣も変えずに過ごしていたほど当事者意識が低かった。なんなら「いちいちエコバッグ持っていくのめんどくせー」くらいに思ってた。
そんなダメダメな私がゴミ問題に関心を持つきっかけになったのがこちらの漫才。
ニュースで見ても新聞で読んでも他人事だったのに、初めて「ゴミ問題ちゃんと考えよう」と思って漫才を見た後に色々とネットで調べた。
なんで年間800万トンもプラスチックゴミが海に流れるのかな、とか
プラゴミについて基本的なところから知ってみよう、とか
ここでやっと当事者意識が芽生えて「ゴミの分別ちゃんとしよう…」と思うようになり、プラスチック製品を買うのを避けたりエコバッグを持ち歩くようになった。あと買ったまま封印してたマイストローも使うようになった。(どちらも慣れないうちは度々持っていくのを忘れた。)
(チタン製マイストロー、唇に当たる感触が冷んやりとしていて気持ち良いし普通のプラスチックより美味しく感じる。あと軽い。)
漫才をきっかけにプラゴミ問題に関心を持って行動を変えたけど、紙ゴミについてはまだ良くわかってなかった。
そんな私を変えてくれたのがこの一冊。(青汁のCMっぽい言い方をしてしまった)
先の漫才動画の左側、花柄スーツでボケ担当の高倉さんがツイッターで紹介していたので読んでみたくなって買ったこの一冊。『ゴミ清掃員の日常 ミライ編』
芸人兼ゴミ清掃員のマシンガンズ滝沢さんが、自身の体験とゴミ問題やゴミの分別についてとても分かりやすく書いていて目から何枚も鱗が落ちた。
その中でも1番ハッとさせられたのがp29〜p32「ゴミを減らす」のページ。瓶、缶、ペットボトル、プラスチック容器や包装、そして古紙類は「再生や再利用されるからゴミじゃないよね」という滝沢さんの同僚のゴミ清掃員さんの台詞。
それを聞いて滝沢さんは
「ということは今回収してる古紙は資源だ!」
「紙を分別して可燃ゴミじゃなく古紙の日に出せばまた紙に生まれ変わるじゃん!」
と、気がつく。
帰宅した滝沢さんは家のゴミ袋から古紙に出せそうなものを取り除く。紙袋、メモ用紙、トイレットペーパーやキッチンペーパーの芯、チラシや包装紙など…汚れていないものを全て取り出したら「劇的に可燃ゴミが減った」らしい。
ここを読んで「へええええええええええ!!!」って思った。古紙の日に出すものって新聞紙や雑誌、段ボールだけだと思っていたので「トイレットペーパーの芯とかも古紙類なんだ!?」と驚いた。何も思わずに全部可燃ゴミで出していた。
その日から古紙類を分けてみたら格段に可燃ゴミが減って、ゴミ袋も1番小さい5リットルのもので1週間持つようになった。生ゴミもあまり出したくなくなったので食材も無駄なく使うようになった。ちゃんと表記を見て、「紙マーク」が書いてあってビニール加工が無くて汚れてないものは古紙類、「プラマーク」がついているものはきれいに洗ってプラ回収に出している。エコ〜。
それで今日、約6週間分の集大成がこれ。
爽快な達成感。
何もかもを可燃ゴミに出してたあの頃の自分とは完全に決別した。
近所の「ゴミ捨て場の他人の家のゴミ袋を勝手に開いて中身を分別し直すお爺さん」の気持ちも今ならわかる。(以前は「人の家のゴミを漁るなんて最悪」と思ってた。)
ゴミを捨てに行って大量のペットボトルが入っている可燃ゴミ袋を見ると「取り出したい!!!」という衝動に駆られる。さすがに取り出したりはしないけれどかなり後ろ髪を引かれてしまう。
でも、ほんのちょっと前まで私も似たようなことをしてたんだよなーと思うと、きっかけさえあれば人なんて如何様にも変わるんだなと思う。(ペットボトルin可燃ゴミは私もしなかったけれど)
テレビのコメンテーター、環境専門家、政治家など様々な人が様々な媒体でゴミ問題を訴え続けて来ているのに、私にとっての“きっかけ”は漫才だった。
それが自分でも不思議で、なぜそこまで与える影響力に差があるのだろうとずっと考えてる。
まだ「これだ」という答えは出てないんだけど「たぶんこれかなー」というぼんやりとした考えは以下の通り。
①わかりやすい
②押し付けがましくない
③考える、調べる余地を与えてくれている
①わかりやすい
当たり前の話なのだけれど、話は理解しないと聞き入れることはできない。読んだり聞いたりしていてちょっとでも「わからん」となるともうそこで読む気、聞く気を無くす。
その点、漫才は世界で1番分かりやすく構成された会話なんじゃないかなと思う。なぜならちょっとでも理解できない部分があると笑えないから、笑わせる目的で作られた会話(漫才)は分かりやすい。(何が起こってるのかわからない不条理な会話で笑うのもあるけれどそれは一旦置いておく。そういうのも好き。)
知らない用語や、ややこしい言い回しが出てきて置いてけぼりをくらうようなこともまず無い。万が一そういうのが出てきても必ずボケかツッコミのどちらかが補完してくれるので話についていける。
ニュースや新聞だと「これくらい知ってて当たり前ですよね。知らなかったら調べてくださいね。」と知っている前提で話が進むので途中で聞く気をなくして聞き流してしまうのかもしれない。(いや、大人なんだから基本的なニュース知識くらい教養として持っておくのは当たり前なんですけどね…知らない私が悪いのは重々承知しています。)
②押し付けがましくない
そもそも主な目的が笑わせることだから、こっちも肩の力を入れずに聞くことができる。ボケとツッコミの2人が一方的に一つの意見を同じくらいの熱量で伝えてくることはまず無いので、押し付けがましさを感じない。
例えば先に出したレジ袋有料化の時事漫才だと、ボケの高倉さんは熱心にレジ袋有料化について語ってるけれど、ツッコミの久保さんはそんな話よりも漫才をしたがっている。しかも最後に「こんな浅はかな知識ふりまわしてよぉ」と一刀両断。散々語ってたのに「浅はかな知識」て。
これが報道番組の1コーナーだとVTRやその後のコメンテーターの話も全部同じ方向を向いている事が多いように思う。そうすると私の場合は「本当かな〜」と思って身構えてしまう。テレビと自分の間にバリアを張ってしまう。
漫才だとボケが何かを言うとツッコミがそれを否定したり訂正したりするので、そのバリアが無くなるのだと思う。
あと単純に笑ってるとリラックスして警戒心が無くなる。だから話を素直に受け入れてしまうのかもしれない。
③考える、調べる余地を与えてくれている
当たり前だけれどニュース番組や新聞は漫才に比べて情報量が多い。当たり前すぎるくらい当たり前だけれど。
情報量が多いと、それで知った気分になってしまう。知らない用語が出てきて聞き流したり、押し付けがましく感じて聞く気を無くしても、「なんかいっぱい色んなことを聞いたから分かった!」と言う気分になってしまう。ポプテピピックの「あー、そーゆーことね。完全に理解した」状態。その話はそこで終わって調べることもせず脳の片隅で眠りにつく。
時事漫才だと笑わせる事を主たる目的としていて、なおかつ誰もが理解できるように作られているので情報量は少ない。それが良い。
だからこそ気になるし、もっと知りたくなる。自分で調べることで身につく。
これが正しいかどうかはわからないけれど、とりあえず今ぼんやり考えて書けるのはこの3つかなぁ…。
なんにせよ、笑って知識が身について自分の行動パターンが良い方向に変わるのはとても楽しい。
9月からは時事漫才に加えて教養漫才も毎週公開されるようになったので、今週はどんな知るきっかけ増えるんだろうと楽しみでしかない。
ちなみに第1回目はGDP
これも「あー国内総生産ね、知ってる」くらいの気持ちだったけど
「国内総生産ってなに?」
「付加価値ってなに?」
と言われるとパッと答えが出てこない自分に絶望した。勉強したのに…義務教育でちゃんと習ったのに…。動画を見終わった後にググった。
これが生涯学習ってやつなんですね、先生。