PCの写真で昔話【2011】L'ArCafeと中島美嘉、LIVE遠征について
、、、、、、書けない。
メモには、ネタがたくさん書いてあって、
今の苦しんでいること、思うこと、たのしみなことや癒しなど、
書こう書こうと思っているのに、
どうも、、、、、、
メンタルが、書きなくないと言っている。
何かは更新したい。
写真フォルダに、昔のものが出てきたので、
ちょっと引っ張り出してみよう。
2011年、渋谷で開催された、L’Arc-en-Cielの期間限定コンセプトカフェ、
『L'ArCafe』に行った時の写真。
渋谷駅からすぐ、だったのに、
田舎丸出しで、交差点できょろきょろして迷いまくった、ひとり。
何故このとき、北東北から渋谷に来れたかというと、
ちょうど、だいすきな中島美嘉様のLIVEが東京で行われていて、チケットをゲットしたからだ。
ちょうど、そのタイミングでL’ArCafeを開催しているというので、せっかく状況のタイミングがある地方民としては逃せなかった。
3、4歳のお子様連れの方と相席で、
そのおふたりとも仲良くなって話しながらたのしめた記憶。
いい思い出になった。
4人の各メンバーがプロデュースしたメニューが入ったボックスが席に並べられ、そのほかにビュッフェですきなものを食べられる。
私、実はチョコレートが食べられないという希少人種なのだけれど、
このとき、だいすきなyukihiroさんの手がけたチョコレートケーキは、食べられたんだよなぁ。
夢の世界にきたような喜びを味わった。
そして、
メインの、
中島美嘉さんのLIVEは、多分この写真のLIVEだと思う。
人生初LIVEが中島美嘉様で、この同じ会場で。
そのときは2階席だったけど、
なんとこのときは1階席、7列目。
この『THE ONLY STAR』というLIVEのタイトルが入ったブレスレットは500円で、
震災による猫などペットの保護に寄付されることになっていたと思う。
当時mixiでつながった美嘉ファンの方とお会いしたが、グループの輪の中には入れない弱小ファンの私だったが、
その方のご厚意で美嘉様に対するサプライズに使う予定の星のボードなどを記念に頂いた。
やはり、集団の中に入ることは苦手なようだ。
このときのグッズの配色【紫×ピンク】がだいすきで。
『中島美嘉というひと』という、美嘉様の周りのひとたちによる話をまとめた書籍の、表紙の繊細なタッチの絵も綺麗で。
あーーーーーーー、懐かしい。
そういえば、この2011年という年は、大変な年だったけれど、
5月にL'Arc-en-Ciel20thの大きなLIVEに2days参戦したことを覚えている。
(人生最幸の2日間だった) ←多分それを書くべき
それなのに、
また2か月後、
また、
また上京してるって、
、、、、、、我ながらどういうこと⁈
LIVEにハマったときって、こんな短いスパンで遠征してたんだ、、、、、、
そうだよな、、、、、、
LIVE遠征にハマって行けてたのって、
実はたったの2年間くらいだからな、、、、、、
散財していたし、バイタリティーあったな。
でも、
2年間とは思えないくらいしあわせな記憶とかいろいろよみがえるなぁ、
LIVEに行けていた頃のことを考えると。
鬱病になってからも、
近県での、中島美嘉様の激しくないLIVEには行けていた時期があった。
すごくパワーをもらった。
美嘉様が耳のことで休養されていたこともあって、
そこからの這い上がる姿を何年も、陰ながら見てきた。
病気の渦中にいる私は、そんな彼女に本当に希望をもてた。
とあるLIVEで、
「あ、変わった、、、、、、」
と思った瞬間があった。
惹きつけられる力が変わった。
”中島美嘉”の引力に、無意識に吸い寄せられるようになった。
何かがふっきれたか、大きく変わった。
仙台での出来事だった。
今、治らないと言われていた『耳管開放症』から解放され、
”聴こえる”ということに喜びを感じている様子。
心から喜ばしいけれど、
逆に、今までの聞こえづらいままの歌手活動は、
どれだけの苦しみだったのだろう、、、、、、
L'Arc-en-CielのLIVEは規模が大違いだし、近県にはこられないので、
本当に本当に元気になってからでないと、挑めない。
以前も書いた通り、
あまりこの先のことに関しては期待しずぎないように生きないといけないけれど、、、、、、、
たまに、こうやって、
たのしかったことを振り返るのも、いいなぁ。
お付き合いいただいて、ありがとうございました。
また、書きたいことがうまく書けるようになりますように。