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母に対して我慢していた理由を母に話すことができた話
書いてみると多分、大した文章にはならないと思う。
でも、生まれて初めて、母に対して言えたことがある。
私の中では、何か、変われる気がする。
そんなレベルで、勇気をだして打ち明けた。言えた。
今、冬鬱キャンペーンの母と私。
最近、雪も降って諸々のストレスで、母の心の具合が明らかに悪そうだった。
私も、鬱症状が増している。判断力低下、パニックになりやすい、言葉や感情に敏感、、、、、、自分に疲れて本当につらい。
母は、父や私に対して苛立ち、感情を100%こめてあらゆる言葉で畳みかけてくる。
全てが正論。
でも、父も年末仕事でいっぱいいっぱいだし、私も調子が悪いので敏感でおろおろして思考回路がバカになって、パニックになる。
でも、母は今までの人生で言いたいことをたくさん我慢してきたから、もう家族に対しては我慢しない、言いたいことは言う、と決めたらしい。
そうしないと、また母は心を壊してしまう。
だから、言わせておければ、いちばんいいのだ。
でも、私の心がそうはいかなくて。
母をこれ以上苦しめたくない、という思いが強すぎて、結果的に母の機嫌を伺う形になってしまう。そして、結局思い通りの行動なんてできなくて、今日も朝から、私が母の思い通りに動けないが故に、出先から帰る車中で母の怒りのシャワーを浴び続けた。ここ最近、言葉自体があまりに強すぎて、かなりの心のダメージを受け続けていたので、もう、後半は無になっていた。
「もうあんたは喋るな。うるさい。」
(ふとした言葉が母を傷付けてしまったとき)
「○○(別室の作業)してきて。存在がうるさいから。」
(パニックでおかしくなりながらなんとか立ち直ろうとしているとき)
「鬱病なんじゃないよ、バカなんだよ。」
(おろおろして動けなかったとき)
というようなことを、ここ数日、怒りと共に溢れ出す数々の言葉のなかで発して来た母。鬱増しで敏感になっている私の心には、結構な重みでのしかかってきた。
ひとつの出来事をきっかけに、過去の私の行動に対して、ひとつひとつを否定される。
そのうち、
”私が消えたら母は楽かな”
、、、、、、なんて、考え始めるところまでいっていた私。
言葉を否定されると話すのが怖いし、パニックになる状況も怖いから、てきぱき動けない私は一緒に買い物も行くのが怖かった。
家にいるのもつらいところまできていて、何年か前に経験したな、家でしたくなったりしたな、またそういう冬をすごすのかなと。
私、来月34歳。
いつまでこんな生活するのかな。
ただ、母は怒りすぎてしまった後に、反省している。特に、父に対して散々怒鳴り散らすこと(言っていることは正論)が多いのだが、「昨日また怒っちゃってさ」なんて言っていたりする。話を聞くと、明らかに父が悪くて、私の方が怒りが湧いてきたりするのだが、、、、、、
母が弱いことも知っているから、憎むことはできないし、逆に、私は今までいろいろなことに耐えてきた母に悲しい思いをしてほしくないから、気づいたら「ごめんね」ばかり言っている。
今日の夕飯のとき。
母と2人だった。
母が、先日まで観ていたドラマのエピソードを持ち出して話しながら、
「ひとの機嫌ばかり伺ってないで、言いたいことはちゃんと言えばいいんだよ。私だって、お父さんと喧嘩するけど、ちゃんとあとで仲直りしてるでしょ?喧嘩しても、仲直りできるのが家族なんだから、どう思われるかとか考えないで、思ったことは言えばいいんだよ」
と。
私は、
すごく考えたけれど、
「、、、、、、、、、言える、自信がない」
と、正直に言ってみた。
そのあと、母がいろいろ言葉を続けていたが、頭に入ってこない。
私が、どうして母に対して、言いたいことを言えないのか。
考えた。
そして、ぐぐっと、心がつかえて、目頭が熱くなってきた。
「、、、、、、、あのね。」
と、私は、振り絞った。
「いいのかな、、、、、、どうしよう、、、、、、、」
言いたいことは、結構重かった。
母「うん、なに?」
母は、今なら、聞いてくれそうだった。
話したこと。
母が精神崩壊して倒れたときのことが、今でも忘れられなくて。
私が車で出勤するのを見送るときの、母の立ち姿が、風に吹かれたら今にも消えそうな状態だったことが、今でもずっと忘れられないこと。
仕事の帰り、車を家に停めながら、母が台所で血を流して倒れていたらどうしようと、毎日思っていたこと。「おかえり」と言葉が返ってくると、本当に胸をなでおろしていたこと。
ダウンする前に、当時母がつとめていたパート先の話をしようとすると、私はその場から逃げてしまっていたことを、今でも後悔していること。
父方の祖父母、母の実家の環境や祖母(母親)、父(旦那)、その他たくさんのことで傷ついて病気と闘いながらここまできた母に、本当にこれ以上悲しんでほしくなくて、その思いが強すぎるから”機嫌を伺う”というようになってしまっていること。
でも、そう思えば思うほどに全くうまくいかなくて、結局母を傷付けるような結果になってしまうことばかりで、私は本当に悔しいんだということ。
傷つけたくない、と言ったら綺麗ごとかもしれないこと。
私が、自分に対してかどうかは別で、誰かが怒鳴ったり機嫌が悪い状態に敏感で、どうしても過剰に心が動いてしまうこと。
でも、母がちゃんと言いたいときに思いを言わないとまた倒れてしまうことになるから、我慢してほしいわけではないこと。
私が、家族に対して自分の思ったことを、機嫌や批判を恐れずに言えるようにならなければ、そういうことを克服しなければ、私の病気は一向に治らない、いつまでも状況は前に進まないだろうと感じていること。
ただ、もう、何も、うまくいかないんだ、、、、、、ということ。
、、、、、、とんでもなく泣きながら、私は、今まで言えなかった、母に対して機嫌を伺ったり、言いたいことが言えなかったりする理由が、どうやら伝えられたようだ。
話しながら、自分で気づいたこともあった。
母が何を言ってくれたか、正直、私は覚えていない。
ただ、
涙を浮かべながら、ちゃんと受け止めて聞いてくれた顔は、覚えている。
聞いてもらえて、よかった。
母が倒れたときの状態とか自分の事情なんて、言うつもりはなかったし、言うべきじゃないと思っていたけれど、言ってしまったな。
何か、ここから、変わらなければ。
変われる、状況は作った。
すぐには無理だけど、少しずつ、変わっていかないと、鬱病含め、この自分の置かれている状況は、変わらないのは感じていたから。
生意気で頑固なのに、家族に、母に、何も言い返してこれなかった。
変わりたい。
ゆっくりでも。
今日は、自分を褒めてあげても、いいかな。
明日が、いい日になりますように。
今日が、自分の進んだ記念日になりますように。
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