いつも、推しは私の命を救っている
メンタルクリニックの通院日だった。
前回記事もネガティブだったが、やはり鬱調子がよくない。
熱中症警戒アラート。駅は夏休みで混んでいて、人の流れに乗ることが精いっぱいだしくらっとしてくる。おまけに、スマホに入っているSuicaがうまく表示されないということが2回続いておろおろしてしまった。
診察時、椅子に座っても、言葉が出てこなかった。
でも、具合が良くないことは話さないといけない。
徐々に出てくる言葉の中で、
「〇ぬ勇気も生きていく勇気もない」
ということは、話した気がする。
先日の大雨の被害に遭わなかった奇跡だけは忘れてはいけないけれど、そういう理性でどうこうできるメンタルではない。
ただ、
家族内の諸々も将来のことも考えないで気づくと笑えているのは、
こんな動画を観るとき。
今の推し、King&Princeの永瀬廉さん。
髙橋海人さんと2人で、3人が脱退したKing&Princeをがんばって支えている。
理由とかそういうものはいらない。
ただ、彼の存在が、私を救っている気がする。
※理由的なものがあるとすれば、これだと思う。↑
鬱病になると、ハマりやすい。
すごく。
抜け出せなくなる。
でも、ハマっているうちは、余計なことを考えなくていい。
現実がつらくて、打破できる解決策もわからなくて、考え続けると命を投げてしまいたくなる。
でも、ほんの少しでもそれを忘れるほどすきなことがあって、それに費やす時間があれば、命を守れる。
そうやって、鬱病の私は11年間延命してきた。
11年も経ってしまうとは思わなかったけれど、、、、、、
前回記事だって、永瀬廉さんがきっかけで観ていたドラマを思い出して、登場人物に自己投影することで、命を守れた部分があるかもしれない。
そして、こうして文章に起こしてアウトプットすることで、少し心のぎゅーっとしたつかえが楽になる。
たまに、本当に手首に傷をつけようかと思うけれど(勇気がないから無理だけれど)、セイラのように今後を生きるときに支障が出てしまう、、、という理性を、まだ私は働かせることができる。
あのドラマのおかげだ。
※詳細はこちら。↑
推しがいることで、
直接的なことではなくても、
命を守ることができる。
永遠の推し(雲の上レベル)であるL'Arc-en-Cielや、中島美嘉さん。
邦ROCK中心のあらゆる音楽。
ときどきくるお笑いブームのときはその芸人さん。
(キングコング、もう中学生さん、ニューヨークなど)
そして、今はKing&Prince、そのひとりひとり(歴代メンバー)。
特に、永瀬廉というひとの存在。
すきになってきたひと、みんなが恩人だ。
大げさじゃない。
過去記事に綴ったものだけでもわかっていただけると思う。
11年も鬱病をしていると、いろいろな状態のときがある。
そのときそのときのタイミングで、出会うべくして出会っている気がする。
ミーハーだと言われるが、いちどすきになったひとは、別のひとに注目している間も、嫌いになることはまずない。
だいすきなアーティストの姿勢に勇気や希望をもったり。
様々な音楽に救われて泣いたり。
もうだめだ、と思ったときにそのひとたちの笑いに救われたことをツイートしたらわざわざリプライをくださったご本人様もいる。
インスタライブで、私の病気が治るよう祈ってくださった方もいる。
今は、ひとまわりも下のアイドルのその考え方、強さとやさしさに支えられている。
みんな、私の命の恩人だ。
足を向けて寝られないので、全員の現在地を教えてほしい。
すきなひとがいる、すきなもの、すきなことがあるって、
人間にとってほんとうに大切なことだ。
表舞台に立つ仕事のひとたちは、私生活も含め常に誰かに見られているし、自由度が本当に少ない制約がある人生だ。
それでも、ひとをたのしませる、喜ばせる、夢や希望を与えるというその仕事を選んで、今日も表に立っている。
心で泣いていても、笑って。
その、すべてのひとたちに敬意を表したい。
ときどき、薬よりも効果がある精神安定剤になってくれることもある、推しの存在。
そんな私の恩人たちが、心身共に健やかに生きられるよう願うばかりだ。
最近、心がすさんだときにいつもみるのがこれだ。
この、ふたりが醸し出す雰囲気がゆるくて、鬱病マインドにちょうどいい。心地よいのだ。
いつもありがとう。
まだ若いこのふたりに、
”あなたたちのお仕事は命を救うお仕事なんだよ”
ということを伝えたい。
ありったけの感謝を込めて。
「生きてるだけで、まあいっか」
「そんなことでは死なないから」
という、おろおろしてしまうときに思い出そうとする言葉。
永瀬廉さんの言葉だ。
今日、Suicaがうまくいかなかったときも引きずったが、こう思うことで切り替えられた。
今日も、救われた命。
明日も、大切に。
何も見えないけれど、
”生きてるだけで、まあいっか”。
私も、私を助けてくれるたくさんのひとたちも、
この駄文を読んでくださる方々も、
明日がいい日になりますように。