"そして、父になった"男の話②―父としてここまで家族を愛する理由―
以前、この、赤ジャージさんの父親としての姿について、記事を書いた。
カジサックこと、漫才コンビ、キングコングの梶原雄太という人間。
小学校低学年で両親が離婚し、女手一つで育てられた。母親の苦労を見て、”父”の存在の大切さを痛感していた。自身が父になり、奥さんや子どもたちひとりひとりを向き合うことを、今も本当に大切にしている。
そんな彼は、今年『イクメンオブザイヤー2020(動画クリエイター部門)』を受賞。
カジサックは以前から「獲りたい!」と声に出していたが、私的には
(うーん、自分から言うのは、、、、、、)
と正直思っていた。
もちろん、ここまで子育てに対し長年、父として真剣に向き合い、それが動画で伝わってくるような人物はなかなかいないと思うので、適任だとは思っていた。
受賞式で、あいさつの後に、いちばん最初に出た言葉が
「おかん、やったよーーーーー!」
だった。
もちろん、奥さんや子どもたちに向けても言っていたが、その時の私は、お母様、苦労したからな、よかったなぁ、、、、、、
くらいの、思いだった。
この、『カジサックの部屋』のサブチャンネル、『カジサックの小部屋』で最近始まったラジオ動画の、この回を聴くまでは。
カジサックの、生い立ちの話。
カジサックの動画や、『毎週キングコング』のチャンネルも含め観ていると、だいたいわかっているようなものだが、
彼は、初めて、もっと深い、自分の生い立ちについて、話し始めた。
これを聴きながら寝よう、と思っていた私。
寝ているどころではなくなっていた。
心拍がどんどん上がって苦しくなっていく、、、、、、
こんなことになるとは、全く想像していなかった。
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※ここからは、動画のネタバレになります。
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カジ「俺って、本来生まれてないのよ。」
、、、、、、、え?
なんか、予想と違うぞ。
少し経ってから、この言葉はちょっと語弊があったかな、と訂正するのだが。
梶原雄太の父親。
前に、『毎週キングコング』でちらっと話が出てきて、
「あれはう○こです」
と言うような、どうしようもないひとだったことは、なんとなく頭にあった。
雄太氏が生まれる前から、彼の父は仕事もせずに暮らし、母(妻)に甘えていた。
彼の母は必死に働き、当時男の子2人を育てていた(現在の、雄太氏の兄)。
そんなとき、母は雄太氏をお腹に身籠る。
父が言った。
「おろそう。」
経済的に、育てていくのは無理だと。
母は、
「私は寝なくてもいいし、がんばって働く。
何としてでも、私が育てていく。絶対に産む。
それが許されなければ、別れる。」
この、母の強い意志があったおかげで、無事、梶原雄太はこの世に生まれた。
兄たちは6、7年歳が離れていて学校へ、父はパチンコに行っていて。
母は、もちろん働いている。
保育所には行っていたが、雄太少年は3、4歳の頃から、ひとりで留守番する時間が多かった。
遊び相手も、遊ぶものもない、ひとりあそび。想像力を膨らませストーリーを作り、見えない敵と戦う。やっつけるだけでなく、やられるときもある。この時間で、彼は表現力を培った。動きだけでなく、表情も。今でいう”顔芸”なんかは、このときにやっていたことが生きているという。
※現在の梶原家の次男が同じような遊びをしているが、まるでそっくり。
あのとき「おろせ」なんて言っていた雄太少年の父は、いざ生まれたら、ほかの兄弟と年の離れた雄太氏を、可愛がった。
というより、周りに自慢したがったらしい。
周りから「かわいい」と言われるために、雄太少年を連れまわした。
雄太少年は、
「またみんなに晒されるんだな」
、、、、、、ということが分かっていた。
愛されているから連れ出されているわけではない、ということは、子どもの鋭い感性ならお見通しだ。
だが、あるとき連れていかれたスナックで、
「歌ってみてよ」
という言葉を受けて、雄太少年はものまねを披露した。
その経験が、彼の心を動かした。
『さそり座の女』。
表情豊かに、たのしく歌って見せたら、
生まれて初めて、たくさんのひとからの”爆笑”を浴びたのだ。
都合の良い父に連れていかれた場所だったが、それが、雄太少年が”お笑い”を意識した原点となった。
雄太少年が小学1年生の頃。
長男の誕生日に、母と兄弟と一緒に、4人で外食をした。長男はプレゼントも買ってもらえた。
帰ったら、父が、居間で倒れている。
障子が、びりびりに破けている。
当時、7歳の雄太少年。何が起こっているのか分かっていなかったが、兄たちは察して、無言で別室へ行ってしまった。
そのうち、父が
「ぅわーーーーーーーーあああああ」
と、声をあげ始める。
母に促され、雄太少年も兄たちのいる部屋へ避難する。
言うことを聞き、兄の買ってもらったプレゼントで一緒に遊んでいた。
1時間ほど経って、父から、兄弟がひとりずつ呼び出された。
長男、次男、そして最後が末っ子の雄太少年。
居間では、両親が、並んで座っていた。
父「真ん中座れ。」
雄太少年は、言う通りにする。
「俺とおかん、どっちすきや?」
父に言われた雄太少年は、迷わず、
「おかん。」
父が焦る。何度も聞かれた。
「おかん。」
同じ答えを何度も言った。
「おかん。」
いよいよ、離婚をするにあたって、
母は3人の子どもみんなを引き取るつもりだった。
ただ、父は、”雄太だけはもらう”、という気持ちがあった。
父は、雄太は自分のことがすきだと思っていた。自分のことをかわいがってもらっていると思うだろうと。よく連れて出かけていたから。
雄太少年が母親を選んだことに、父はショックを受けていたらしい。
「ね、そういうことよ。」と、母。
「慰謝料なんかいらん、3人とも自分の力で育てたる。」
、、、、、、そんなたくましい母に連れられ、雄太少年と兄たちは引越し、新たな生活を始めたのだった。
転校生となった、雄太少年。2年生だった。
転校生。なめられていじめられるのは嫌だ、と思ったときに、
”自己紹介で笑いをとろう”
と思った。
さそり座の件から、ひとを笑わせるのがすっかりすきになっていた。
雄太少年は結局、最初の自己紹介で、
「よろしくおねがいします」
と頭を下げて、上げたときに、渾身の変顔をした。
それが、
クラス中にどかーんとうけた。気持ちよかった。
結果、他のクラスからもひとがやってくるくらいの人気者になった。
学校では、野球のクラブで大活躍。それをみていたサッカー部の顧問にも声をかけられるほど、抜群の運動神経だった。結局、サッカーを選び、大阪代表選手になるほどの実力を発揮した。
中学に入ると、サッカー部がなかったので、大阪の強いクラブチームに入る。そこで、様々な地域から集まってきた精鋭たちとの実力の差を感じ、すぐに切り替えてサッカーを辞めた。
裕福でない生活の中での、スポーツクラブにかかるお金については、雄太少年に対する母の思いがあった。
「長男と次男には、やりたいことをやらせてあげられなかった。
だから、あなたにはすきなことをしてほしい。」
直接、雄太少年は母から言われたそうだ。
母は、兄たちにもその思いを話していた。
今まで家で寂しい思いをしていたから、雄太少年にはやりたいこと(スポーツのクラブ)をさせてあげたいと。
すごいことに、この話に、兄たちも納得したという。
ここで「ずるい」とか「俺たちは我慢してきたのに」となってもいいような状況なのに、その母の思いを尊重できる兄たち。弟の運動能力を認めてか、愛情なのか、それを文句言わずに見守ってあげられる、その器の大きさ。
母だけでなく、兄2人のこの話を聞いていても、家族に対する愛が深いことを感じる。
父親がどんなひとであろうと、この、母、兄2人が、大きな愛を持っていて、その愛に守られて生きてきた雄太少年。
このひとたちが愛情を持っていたから、雄太少年は、大人になって自分の家庭を持ってから、家族に対する愛情を常に持ち続けることができたのだな。
どんな経験をしても、誰かの愛に包まれて生きてこれたら、ひとは、その先の人生も愛情をもって生きていくことができるのだな。
梶原雄太というひとの、今までよりもっともっと深い、家族に対する深い愛情の理由が、わかった気がした。
梶原雄太氏のお母様は、たくましいだけでなく、本当に深く愛を注いで息子たちを育ててきたのだなぁ。
本当に、素晴らしい母親だ。
こういう母に育てられたから、カジサックがイクメンオブザイヤーの表彰をうけたとき、
「おかん、やったよーーーーーーー!」
と、真っ先に叫んだのだ。
そうだったのか。
私は、両親健在で、別れてもいず、こういう経験はしていないのだが、この動画のコメント欄には、
「自分のときのことを思いだしてしまった」
という書き込みもあった。
みんな、言わないだけ。
それぞれに、何か抱えて生きている。
どんなことがあっても、生きていかなければいけない。
我が家は、母が病気になり、私も病気になり。
母が私の病気のせいで舅、姑さんと縁を切ることになり、いよいよ両親の離婚危機も、がっつりあった。
本当につらかった。
自分の病気のことだけでも人生終わった気になったのに、家族までも巻き込んで、私の心も巻き込まれて。
でも、我が家族は、そこを乗り越えてきた。
これ以上、どん底の”底”は深くならない。
あとは、あがるだけ。
”梶原雄太”という人物を見ていると、自分にも、やりたいことが思いっきりできる、今までとは違う、生まれ変わった自分になれる日がくる、、、、、、
そう思えるから、つい、応援してしまうのだ。
最近、いろいろ始めたので忙しくなってきて(※無職)、カジサックなどのYouTube動画が追えてないのだが、いろいろ始めようと思ったのは、カジサック、梶原雄太さん、そして、西野亮廣さん含むキングコングのおかげ。
秋から冬にかけての時期は、鬱症状が強くなるので母と私はなんとか支え合ったり、悪影響を及ぼしあったり忙しいが、間違いなく、私は両親の愛情や、理解を得て生きている。
感謝をもっとしよう。愛情を、注げるひとになろう。
まずは、自分が元気になれるように、自立できるように、サポステに通って、働ける自分をつくる。
いつか、心身が整えば、必ず恩返しできると信じる。
"恩返し"、梶原雄太さんがとても大切にしていることだ。
梶原雄太さん、生まれてきてくれてありがとう。
そして、多忙で爆発してぶっとんだときも、生きていてくれてありがとう。
そして、ツギサック、いや、梶原さんのお母様。
雄太さんを生んで、守って、育ててくださり、心から感謝します。
私も、感謝が上手に、素直にできる人間になれますように。
※何か、間違っている記述があれば、ご指摘下さい。