弱りゆきつつもたくましい、祖母のパワー
私の母方の祖母は、本当に、よくも悪くも、たくましいひとだ。
どういう人生を送ってきたかは、こちらの通りだ。
先ほど、書きたいと思ったこと(説明的なこと)を書いていたら、すでにこの記事に書いてあったことに気づいた。
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悪化の一途をたどる状況までになってしまった肺線維症が発覚してからも、祖母は私たち家族が思うよりも元気な姿だった。
しばらく。
我が家から車で1時間半ほどのド田舎に、おじと住んでいる祖母。
先月最後の日に訪れたときの姿ですら、あまりの急激な祖母の変わりように衝撃だったのに、
今日、母と私の2人で訪れたときの祖母は、また変わっていた。
赤ちゃんみたいに、介護ベッドに寝たきりになってしまったこと、座ることも、自力で起き上がったり、動くこともできなくなってしまったことに加え、
流動食も、食べたくなくなってしまったという。
水やスポーツドリンクなどを、ストローで飲むことはできるが、食べられないというのは、栄養がとれていないということ。
弱る一方に決まっている。
昔の職業病(保育)で、私的にはオムツかぶれなどがないか気になっていたが、そもそも食べないために排便がない、そして、水分もとる量が減っていて、排尿自体も、、、、、、
ばあさん、、、、、、、、、
点滴とか、うたなくていいのだろうか。
「だーれだ!」
と、私は、あえて明るく祖母に顔を見せてみた。
すると、祖母は、
「○、、、○、、、、○、、、、、、、」
と、
精一杯の口パクで、私の名前を伝えてくれた。
ああ、よかった。
覚えていてくれた。
「そう!(母)の娘!長女だよ!」
と、めっちゃアピールしておいた。
いつまで、覚えていてくれるかな。
私がびっくりしたのは、
こんな赤ちゃんみたいに寝たきりの祖母だが、やはり、地のたくましさは残っていたこと。
錠剤を、5錠も飲まないといけない場面を見ていたのだが、
ベッドの背を立てて、おじによって5錠、口に含まれて、そのまま、ストローで水を与えられた祖母。
”この状況で、5錠⁈”
と、驚いていた私。
5錠一気になんて、私でもときどき喉にひっかける。
でも、祖母は、ストローから水を勢いよく飲み、5錠、飲み込んだのだ。
、、、、、、、、すごい!!!!!
なんだか、感動した。
もともとのたくましさは、まだまだあるな、と。
肺を患っているので、話すことが結構苦しいと思うのだが、
私や、母が帰るときに祖母のもとへ声をかけにいくと、
「気ぃつけていげよ」(気を付けて行けよ)
「風邪ひがねんでな」(風邪ひかないでね)
と、声を絞り出して話してくれる。
そして、帰りがけ、玄関に向かおうとすると、
何か、言いたげにしながら、手を動かしている祖母。
おじが近くに寄り、聞き取ろうとするが、
「何言いたいかわがんねぇ」
と聞き取りに苦戦。
でも結局、私がなんとなく感じていた通り、
”あのひとたちに挨拶”
と。
だって、
手を、ばいばいって、振ってくれていたから。
祖母が、ばいばいって手を振る姿なんて、初めて見たよ。
一生懸命、伝えようとしてくれている。
今できる手段で。
やっぱり、ばあさんは最強だ。
病状や老いが、急に進んでしまって圧倒されている状況で、母のメンタルが何より心配ではあるが、
私や母は、今、
仕事をしていず、いつでも会いに行けるような生活をしていて、
こういう、一瞬一瞬を、見逃さずにいられて、
本当にしあわせなのだ。
もちろん、変わりゆく姿には、鬱病親子にとって、、、というよりも、それに関わらず受け入れがたいし、苦しいところではあるが、
おじが一緒に住んでいてみてくれていることも含め、もしかしたら、恵まれているのかもしれない。
ひとには、誰にでも最期がある。
いずれくる。
そこに近づきながらも、生きよう、生きようとしているパワーを目の当りにできること、そうそうあることではない。
ちなみに、
私の妹。
週5で働いていること、車酔いがひどいこともあり、なかなか、祖母宅に行ける機会がない。
私よりは断然少ない。
年に、2回行けたらいいほうかな?
いや、行けているだろうか。
そんな妹は、
現在の、こういう状況の祖母に会いに行くことを、
できないでいる。
単純に、スケジュールとかでなく、
向き合うことが、できないようだ。
普段、私たち家族にとっては頼れる、ユーモラスな彼女だが、
こういう事態に、すごく弱い。
気持ちは、本当によくわかる。
だから、
「もう、いつまでもつかわからないんだから!」
と無理やり連れて行ったり、向き合えない彼女を責めたりはできない。
私が思うのは。
私や母は、会う頻度が高かったけれど、
もし、妹が今の祖母に会えたとしても、
祖母が、
妹の存在を、思いだせなかったら、
妹は、どれだけ傷ついてしまうだろう。
思いだせない可能性は、正直高い。
”ああ、そうか、これが老いなのか”
と受け入れられるような、どんとした人間ではない。
私や母のことは覚えていて、自分だけが、、、ということも相まって、
もう、妹のメンタルは耐えられないだろう。
わりと、ものすごく繊細な部分をもっている。
これから彼女がどうするかは分からないが、
私は、自分のメンタルが許す限り、顔を見に行ってあげたい。
県内で、コロナさんが再び暴れ出さないことを願う。
ばあさん、またいくね、まっててね。
しにたい、きえたい、にげたいと思いながら、生きている私がここにいる。
きっと、生きたいからだよ。
今日より明日、少しだけ、強くなれますように。