弱小人間pizzaが映画『よめぼく』を観られた理由
現在の私の推しであるKing&Princeの永瀬廉が主演を務める、
映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』
が、Netflixで公開中だ。
最初、推しがこの映画の主演をつとめると聞いたとき、ちょっと戸惑ったのは事実。
”Netflixで配信される映画=世界中で観られる”
ということはわかっていた。
”ああ、推しが演技でついに世界デビューするのだな”
と思い、
本当に喜ばしいと感じた。
と、同時に、
推しが死ぬ、、、、、、とか、無理だと思った。
死に際なんて、抉られそうだな、重すぎる、
私のメンタルでは耐えられない、、、、、、と。
鬱病を抱えるメンタル弱者の私には、観られる映画やドラマの作品内容に制限がある。
バイオレンス、戦争、血みどろ系、社会の闇、災害系など、
心を抉られるものや衝撃の強いものは無理なのだ。
絞ってしまうと実際、ほぼコメディ以外無理で。
推しの出演映画を、内容(や経済力)で諦めることがこれまでもあった。
(ちなみに『弱虫ペダル』はだいすきだ。)
(永瀬廉は、この作品で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。)
、、、、、、死んでしまう病気を抱える話。
私をいつも癒してくれる推しが、苦しんだり、死んだりするなんて。
もともと、鬱病になる前から、死ぬ病気がテーマになっている作品は見る価値を見出せていなかった。大切なひとが命を失う運命になったら悲しいだろう、というか、それ系の作品は”泣かせるために作っている”という偏見があったタイプの人間だ。
鬱病になって、生きる上で病気や生きづらさを抱えていくことがテーマの作品には興味を持つようになったが、主人公などが死ぬとわかっているものは、あまり観たいとは思えなかった。
でも、たくさん評価されていて本人も力を入れている演技のお仕事で、”永瀬廉”という俳優(本業アイドル)を世界のひとたちに観てもらえるチャンスがきたからには、やはりその作品を見届けたいと思った。
そして、いつも弱い部分を見せたがらない永瀬廉本人が、出来上がった作品を観て「思わず泣きました」とコメントしていたことも、結構私の中で大きかったし、
彼の所属するKing&Prince(など)のドキュメンタリー番組である『RIDE ON TIME』の配信もNetflixで始まる、ということになり気になっていた。
鬱病無職の身だが、1ヶ月だけ、と決めてNetflixに入ることにした。
(広告付きスタンダードプラン:¥790)
映画『よめぼく』を観始めることには勇気が要ったが、配信開始から数日立って、もう、とにかく勢いで再生することにした。
再生した結果。
メンタル弱者の私が、メンタルダメージを食らうどころか、日常的に流せるレベルまでこの作品を観られている。
その理由を書いてみたいと思う。
・色彩、映像の美しさ
絵の具、色鉛筆、花屋とガーベラ、学校祭の場面など、とにかく色彩が豊かで。
アートや色彩に関心が高い私はそこが本当に好みだった。
宣伝動画の最後の、タイトルが出てくるところも、水彩絵の具がふわーっと広がっていく感じで、綺麗だなぁと。
映像も美しさを大切にしていて、花火、海に沈む夕日の場面など、内容は切ないけどとにかく綺麗なのだ。
サウンドもがちゃがちゃしていなくて、全体を通して耳触りがよく、最終的に今、この映画『よめぼく』をBGMに流せるくらいになった。
(映像の美しさ、色彩がひととおり詰まっている動画がこれだと思う。)
病気の苦しみよりも、その美しい世界観がよくて。
廉さんの繊細な表情の演技に見惚れることに集中できたし、
ヒロインの春奈(出口夏希)が本当にかわいらしい女の子だなぁと。
詳細は本編を観ていただきたいが、秋人(永瀬廉)と春奈、春奈の友達の綾香(横田真悠)の、3人の病室でのやりとりの場面のように、ちょっとコミカルなところもあったのがよかった。
↓私は、このふたりのLINEのやりとりの場面がすき。
・病気の内容、死に際のリアルな描写がない
病気の内容を、詳しく描かない。
秋人の場合は、"心臓に腫瘍がある"という趣旨の医師からの説明の声が、だんだん遠くなっていく。(実際秋人が聞いたときの状況を表しているのだと思う)
ヒロインに至っては、病名も出てこない。
「何十万人にひとりの珍しい病気なんだって、生まれつきの」
と、本人が言うだけ。
本来、主人公が向き合ったであろう、抗がん剤の影響で吐いたりなんだりして苦しむ姿が出てこなかった。
おそらく、あえてそういう場面の描写に焦点をあてないでくれている、伝えたいのはそういう病気の苦しみが中心ではないのだな、ということがなんとなく分かる。助かった。
さらには、
この物語に本来ならば2度、2人分あるはずの”死に際”。
春奈、秋人ともに、息を引き取る瞬間を映さないでくれた。
私にとって、これも本当にありがたかった。
あ、亡くなったんだ、、、と演出で気づかせてくれるような感じだ。
・描きたいのは悲しみではなく、短いけど充実した2人の人生
エンディングの演出がにくかった。
春奈も秋人も絵を描くひと。
”死後も作品は残る”
とはよく言うけれど、テーマ曲である『若者のすべて』の意図的な使い方とともに、それを表していること。
(過去にボーカルの志村さんが亡くなっているフジファブリックの名曲を、ヨルシカのsuisさんがカバーしている)
ふたりが懸命に人生を全うしたこと。
春奈の夢を秋人が受け継ぎ、ふたりの夢が叶ったこと。
、、、、、、が、わかる素敵な終わり方だった。
泣かせる、苦しみを見せる、ということに焦点を当てないでくれた。
私が思うに、この作品が伝えたかったのは、
死ぬことをただただ悲しむのではなく、
17歳で余命を知ってから最期までの間、どれだけ2人が精一杯思い合い、家族、友人、そして自分と向き合い葛藤しながら"青春=人生"を謳歌したのか、ということ。
観終えた後に希望すら感じるような、心があたたかくなるような、そんな2人の生き様を描きたかったんだなとわかった。
エンドロールにストーリーの結末がある。
文字の流れ方もにくいなぁと思った。
・鬱病pizzaの考えたこといろいろ
余命宣告を受ける立場だったり、命に関わる病気であったりしなくとも、共感できる気持ちがあった。
人間の心情に関しては、リアルに考えさせられた。
もし自分が、家族が、親友が、余命宣告を受けるような状況になったら。
自分はどうするだろう、もしくはどうしてほしいだろう?
宣告を受けたいのか、受けたくないのか、自分の家族ひとりひとりのことを考えると各々どちらがよいのだろう?
でも、答えは出なくて。
主人公が、17歳の高校3年生。
自分は、考えてみたらその親でもおかしくない年齢だ。
どうしても、我が子がいない私には現実感がない。
ただ、私の母親は
「親より先に死ぬほど親不孝なことはない」
といつも言っている。
春奈、秋人の家族も、もちろん様々な思いを抱えて向き合う。
でも、大切に産み育てた我が子がもう、不治の病で亡くなることがわかってしまっている。
私の抱える鬱病は、直接的には死に至る病気ではない。
ただ、
いつ、何がきっかけで死にたい衝動に襲われるくらい理性を失うか、わからない状態でいつも生活をしているのだ。
情けないことに、今日だって消えたくなる時間があった。
どんなに素敵な映画を観ようと、衝動が襲ってくる。
人間、いつどんなときに命を落とすかわからない。
ちょうど現在、我が県内は大雨で被害を受けている地域がある。皮肉にもまだ梅雨は明けない。死者も出てしまった。
また、朝外出しようと玄関を出てすぐ、車にはねられて即死、、、ということもある。
突然の心不全でぽっくり逝くこともあるし、熱中症もコロナも死に至る。
余命があってもなくても、
数秒後、自分が生きているかなんてわからない。
ただ、それが自ら選んだものであっては、やはり、ダメだ。
「死にたい」と感じたり、口にしたりすることは、悪いことではない。
人として、正常な心情だと私は思う。
それ自体を否定され、「思ってはいけない、言ってはいけない」と押し殺そうとすることは、非常に危険だと思うから。
ただ、行動に移してしまいたくなりそうなとき、薬を飲んで落ち着く、何か食べる、観る、聴く、、、など、自分を生きる世界にひっぱってくる手段を、見つけておかなければ。
理性がなくなる前に、考えておけばいいなと。
なんてことを、考えたりした。
秋人や春奈の人生を考えてみたら、高校も卒業し短大へ行き資格を取って就職し、5年ちょっと社会にいられ、誰かに必要とされた経験があるだけでも、しあわせな人間だ。
たとえそのあと、12年鬱病に苦しんでいても。
まぁしんどいけど、
思い出そう。
12年もおいておいてくれる家族がいるだけで私はきっとしあわせだ。
また、これは余談。
サポステにPCの勉強のために通う際、私はいつもバスを利用するが、
秋人も、春奈のいるところへ向かうときいつもバスに乗っていた。
最近バスに乗ると、その場面を思い出せる。
一度、バスの中で怖いおばさまにキレられパニック寸前になってしまったことがある。まだ少しだけ不安もある。
そんな場所と時間が、推しのことを思い出せるものになったことも、私にとって救いになっている。
感想、というとまた別の話になってしまうが、
鬱病でメンタルが抉られると思っていた私がこの映画を観られた理由を書くことで、
同じように悲しい、苦しい話は無理だ、
というひとの背中を少し押せたら、、、、、、、
と。
ひとりでもいいので、誰かの目に留まればいいなと思って少しずつ書いていたけれど、
もう少し早く仕上げたかった。
公開からもう結構経ってしまっていて、、、、、、
ただ、大変この作品は人気で、
永瀬廉のファンのみならず、多くのひとの間で話題になっているようで、
国内でずっと10位以内に入り続けている。
新しい”余命もの”の形なのではないだろうか。
どうか、衝撃が無理なひとも、安心して観てほしい。
私は、不思議と泣いていない。
(これはレアだと思う)
(観るたびに泣くという意見が圧倒的)
アートや色彩が、私は本当にすきらしい。
幸い、永瀬廉の出演作品には、映像が美しい作品が多い。
映画『真夜中乙女戦争』(Amazonプライム、Netflixで配信中)、最近でいうとドラマ『東京タワー』も映像美だ。
どうやら、私はそういう作品を内容云々よりも”芸術だ”と思って観られる節があるらしい。
ちょっと特殊な人種の記事で申し訳ないが、
映画『よめぼく』が、これからも長く愛され続ける作品となりますように。
おまけ
中身はこんなおふたりです↓