話し相手
火曜日、サポステ(のPC練習)に数か月ぶりに行ってきた。
コロナさんの患者数が多くて行くのをしばらく控えていたのだけれど、
結局WordとExcelくらいはちゃんとできるようにならないと今後に差し支えるな、と思ったのと、
そろそろ家から抜け出す時間が欲しくなったのと。
しばらく空いてしまうとなんだか、今まで通っていたのにどきどきしたりした。
やばい、ひとに会っていない。
ひとと、会話できるだろうか。
最近、家族ともまともな会話ができない。
(それは自己肯定感が低すぎるだけなんだけれど)
サポステで「話す」といったら、キャリアカウンセラーさんとの面談が普通なのだと思うけれど、いろいろあって今、私はカウンセリングをお休みしている。
ただ、
PCの担当の、くまさんみたいな体形、眼鏡のほんわかおじさん(私からするとお兄さん)の、Yさんというひとがとにかく話しやすい穏やかなひとで。
本当は、PCのことを指導してもらったりするんだけれど、余裕があるときは世間話とか、日頃思っていることとか、自分の事情を聞いてくれる。
ひきこもり支援であるサポステでは、通う場所を作ること、他人のいる空間にいること、とにかくこの空間(PCのあるスペースなど)ですごすこと、、、ができるようになることも十分、社会に出るために必要なことと捉えてもらえる。
”Wordの試験を受けるぞ”、”Excelを覚えて就職に役立てよう”など、必ずしも一直線にPCスキルへの熱意をもって参加する必要はないようだ。
だから、そのお言葉に甘えさせてもらってしまっているのが、私だ。
日中は家に同病の母といて、朝夜と土日は両親の夫婦喧嘩にストレスを受け、友人との連絡もほぼしない、他に通う場所も出会いもない。
そんな私にとって、このPC担当のYさんというのは、本当に必要な存在だったのだ。
家だと、主に長い時間一緒にいる母としか話さないし、
母が一方的に話し続けるところに私が入っていけないし、
私が話したいことを話すと”小難しい”と言われる。
ひとの機嫌を損ねることしか言えない。
自己嫌悪ばかり生まれる。
Yさんに話すときは、自分の思ったことを話す、ということに、ためらいがない。
Yさんはただただ、いい感じの穏やかな相槌で、県北の訛りをにじませながら会話をしてくれる。
今、私の生活の中に、こういう存在のひとがいなかった。
しばらく行けずにいる間、結構しんどかったなぁ。
昨日、久々にYさんに会って。
ちょうど、秋の鬱増しが始まって間もないので、
そんなYさんとすら話すことがしんどいのではないかと思っていた。
鬱がひどいとき、ひとと会話するのは本当に苦しい。
でも、
顔を合わせて、
気付いたらYさんに、
最近思っていること、将来についての自分の考え、ああしたいんだこうしたいんだって、少し呼吸を整えながらもずっと話していた。
最近知ったA型事業所とかB型事業所とかの話も、なんとなくして。
(この、”なんとなく”というのが大事。深く掘り下げたくはない)
40分は喋っていたかな、、、、、、
※たまたまPC練習にくるひとが少なかったのでYさんも付き合ってくれたのであって、いつもいつもこんなマンツーマンで話し込んでいるわけではない。
やっぱり、すっきりした。
私、ずっと、たくさん話をしたかったんだ。
自分のことを。
妄想で、芸人さんのYouTubeの中(トーク企画)で自分のことを話したりしていることがあるくらい、それができていない現状。
ただ、
Wordの課題、30分でできていたものが1時間かかったので、ブランクは恐ろしいと思った。
また通わねば。
PCもちゃんとがんばらねば。
バス代もかかるし、
10月からバスダイヤ改正で減便するらしい。
車社会に住みながら、貴重な交通機関利用者の私。
でも人員不足では仕方がない。
これも地方あるある。
いつもの行きのバスがなくなるので、何時のバスに乗ろう、、、、、、
悲しい。
往復760円かかっても、こうして私の話を聞いてくれるひとがいて、気持ちを明るくして帰ってこれる場所がある。
それはしあわせなことだ。
体力はついてこなくて、
昨日の疲れで今日は午前中動けなかったけど、、、、、、
明日も、行けたら行こう。
週に2回のチャンスだ。
ここではないどこかへ行けることって、大事。
自分の心が安らぐ場所、ひとを、これからも見つけていけますように。