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38、アップデート

鬱病になって、少し社会に出てもやっぱり心をくじかれて、コロナ禍のリモートワーク気分で投稿を始めたnote。
ひとつ歳を重ねるたび、このnoteではネガティブな記事を書いてきた。
鬱病無職が故、自分はまだこんなんだとか、孤独とか、他の同世代の暮らしと比べたり、歳ばかり重ねて病気のまま進めずにいる、大人としての経験値が足りないまま時間だけが過ぎる状況がもどかしいとか。
もちろん、今もその状況を変えたいしもがき続けてはいる。

ただ。

もう、12年以上鬱病生活をしてしまっているからか、38歳の誕生日を迎えた時点での自分は、そこを越えてしまった。
いい意味であきらめがついて、目標設定の仕方が変わっていったのもある。
ただ、これは、今向かっている目標を立てたからかな、と思うこともある。


サポステでPCを触ってみて、こんなものが作れるんだ、デザインみたいでいいな、たのしいな、というところからWordに興味をもった。
ゆくゆくは何かの役に立てば、ということと、サポステという家以外の場所に週2回通うという外出ルーティーンを作ること、そして、検定会場という普段とは違う環境に耐えられるかを試す、経験するために、とあるWordの検定2級を受験することにした。
それをクリアできて、次は1級!と、普通に考えてみたものの、内容がレべチ過ぎて結構「努力」を強いられた。鬱病患者が避けたい「努力」。でも、性格的に勉強や研究が好きで、できるようになると自己肯定感があがるから、病気云々の前に私は性格的に「がんばりたい」人間なのだな、ということも自分で気づいた。
がんばっていると、サポステの職員の方々が気にかけてくれる。相談するとアドバイスをくれ、気にかけて挨拶してくれ。

家族もそうだ。
常に肩の力が入っていることは指摘されつつも、がんばっている自分のことを否定的に捉えたりはせず、協力的になってくれる。

また、「感謝が足りない」とよく母に言われ続けてきたが、鬱病前には気づかなかった家族のこれまでの努力も感じ取るようになってきた。
そして、父がここにきてようやく家族のことを思えるような行動をできるようになってきたことも加わり(これが結構大きいかも)、最近、日常生活も含めて、ありがたい、自分が恵まれている、ということに、自然に気づけるようになった。

急に。

38にもなって実家暮らしで、しかも鬱病長患いしていても「働け」と急かすひとがいない。似ている病の母がいることもあるし、母と私は同病だからこそうまくいかないこともあるけれど、分かり合える感情や状況のことがやはり多い。これって、結構救いだなって思うことが、ここにきてようやく出てきたのだ。

父も妹も、いろいろ思うことはあるだろうけれどここにおいてくれる。
父は、還暦を過ぎて、同じ労働量で給料が半分になろうとも働き続けてくれている。私や母のため。
父が扶養してくれるおかげで通院できるし、自立支援医療制度を受けられ、年金も免除され、障害年金がもらえる(手続きを一緒がんばってくれたのは母)。
妹とは、母や私が病気になるまで、実は話すことがなかった。10年ほど。それなのに、ずっと私のことを何かしらの形でリスペクトしてくれていた。私が鬱病になりお金を稼げなくなってから、妹から服のお下がりを何着貰っただろう。何か必要なものがあると、ドラえもんのように何でも部屋からもってきてくれるのだ。ユーモアのある妹の発言で、私は何度笑い転げただろう。妹が実家にいてくれて、本当に心強い。

鬱病なんてならないほうが絶対にいいけれど、
「鬱病になってよかった」
と私が思えることがあるとしたら、妹とまた仲良くなれたことだと思っている。


検定を受けるためがんばっていることを、たまに連絡を取る友人に話したら、みんな応援してくれる。
ある友達が、少し早いバースデープレゼントに、いつも私がすきなのに買えない紅茶に加え、HOTアイマスクをくれた。PC疲れを癒すためのグッズだろう。今の私に必要なものをさりげなく。
愛だなぁ、と感じ、今もこうしてつながってくれている友達に心から感謝しした。

何も目標なしにただ具合悪く過ごしていると、友達との連絡もしづらい。向こうの状況を聞くのも辛いし、「元気?」と聞かれても答えられない。

最近、首都圏に住んでいる友達と連絡を取ったが、マイホームを建てたらしい。これまでの自分だったら、
「普通そんな歳なのに、なんで自分は、、、、、、」
という感情に打ちのめされていた。
でも今の私は、びっくりはしたが、「遊びにきてね」といわれて「いくいく!その前にラブレター書けるように住所教えて♪」と返していた。
後からいろいろ考えたりはしたが、普通に、「元気になったら行きたい!」と思っている自分が確かにいる。

今の私に目標があることによって、”検定に向けてがんばっている”と言うことを伝えられる。たとえ、それが就職や結婚、出産でなくても。
「検定ファイト!」「がんばってね!」
と返してくれるが、その ”がんばれ” が嫌じゃない。
鬱病なのに。


目標、決めてよかった。


とはいうものの。

実際のところ、
今結構行き詰まっている。

不安が増してきたのか、手がまた言うことを聞かない。
覚えているはずのタイピングの指が、全く思うとおりに動いてくれない。
実技でいうと課題はタイピング(700文字)と文書作成(案内状)なのだが、文書作成が時間内に間に合わないかもしれない。「文書作成も基準が厳しいらしい」という話を聞いてしまってから、それまであった”なんとかなるマインド”が効かなくなり、不安になってきてしまった。その辺から、明らかに指がおかしい。心の状態が見事に手に伝わっている。どうやら直結しているらしい。
もう2週間しかないので、できるだけ減点を防ぐための作成順序を今研究しているところだ。

タイピングが上手くいかないと、どんなに結果的に時間内に間に合おうとイライラするし、不安になる。
家でひとり向き合っていると孤独になる。
そこで、推しの存在がまた救いになる。


私の誕生日に、今推しているアイドルグループと、長年愛し続けているロックバンドが、それぞれにLIVEを行ったのだ。
会場にはいけないし、ライブビューイングも県内に会場がないので、拝むことはできないがそれでも
「推したちが私の誕生日を祝ってくれている!」
という妄想をすることで気分を上げて過ごした。

妄想力、大事。


そして、
私の推しが主演のドラマが、大変に自己肯定感の上がるラブコメなので本当に助かっている。
笑えることは素晴らしい。重い作品は観られないので。

第1話を置いておこう、、、、、、
現在第2話まで放送中。


38歳児の私は、親にガストのpizzaをごちそうになった。
本当は、子どもの誕生日を祝ったり、親にごちそうしたりなんだりしている年齢だけれど、人生なんて人それぞれ。
自分は自分、他と比べたって何も変わらない。

昨夜、母がまた過去の父の失態や自分の苦しんだ過去を思い出して怒り狂い、それにメンタルをやられて動けなくなるくらいのダメージを食らった。
でも、そこからなんとか這いあがって、家事をし、タイピングと文書作成に取り組んだ自分を褒めてあげたい。
それで十分。


少し、成長したと思っていいかな。

先述のドラマの中で、推しが老舗アパレルメーカーの会長の孫である御曹司を演じているが、掃除機のスイッチを押して稼働できただけで「さっすが、俺」なんて言っていた。

それでいいんだ、きっと。



自分で得た気づきや感謝を大切に、自分をちゃんと褒めながら、少しずつ前に進める1年にできますように。


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pizza
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。