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”言葉”の魔法

”言葉” の持つ力はすごい。


言葉によってひとは心を救われ、

言葉によってひとは心を壊す。


SNSでの生きづらさは、最近私もいろいろあって感じていた。

SNSがあるから助けられたり、心が救われる経験をしたこともあるだけに、こんなに苦しくなるものかと、、、、、、

ちょうど思っていた。


私の全く知らかった、まだ22歳の女性が、TV出演をきっかけに誹謗中傷に遭い、自ら命を絶ったそうだ。


、、、、、、きっと、私は深入りしたら心をもっていかれてしまう。

だから、触れないように、触れないようにしようと思った。

でも、見過ごせないことと思ってしまい、調べてしまった。



言葉には、力がある。

言葉は、魔法だ。

それは、良くも、悪くも。


①面と向かって言われること、電話越しで言われること、文面で言われる言葉、メール、陰で言われるひそひそ話。

②面と向かわず、どこの誰かもわからないひとに、直接言われる、SNS。


①でも、十分傷ついてきた人生だが、

②、とくに有名人なんて、会ったこともない大勢の人々の罵詈雑言を、突然浴びる可能性が常に潜んでいる。私ならとても耐えられない。


いろいろな有名人の応援をしてきて感じるのは、”アンチ”という名の顔も出さないで文句ばかりつける人間について。

嫌いなものに嫌い、消えろ、と文句ばかり言うより、

すきなものをすきと言っていたほうが、絶対人生楽しいのにな。

時間がもったいないと思わないのかな?

たくさんのひとが言っているから自分も一緒になって文句言ってやれ、叩いてやれ、なんていうストレス発散法しかないのかな?

かわいそうな人種だよなぁ。


SNSがある時代を当たり前に生きているひとたちにとって、

”この向こうには生身の人間がいる”

という認識が、だいぶ欠落しているのかもしれない。


言葉で、簡単にひとなんて殺せてしまう。

刃物なんか持たなくても、直接会わなくても、

指先ひとつで。


こんなことが起きてしまったら、やばいと思ったひとは、アカウントを消せば、逃げられるもんね。

きっと、それでも捜索することはできるけれども、あまりに人数が多いと追い付かないだろうし。


言葉の持つ力は、

もっとたのしいほうに、

誰かの心を救うために、

使いたい。


そうやって、救われた経験、誰でもあるはず。


すきなこと、たのしいこと、やさしいことに、使いたいよね。


人間は、強く見えても、よわい。

弱い犬ほどよく吠える、って、その通りだと思う。


こいつならいくら言ったっていいだろう、なんてことはない。

ひとは見かけじゃわからない。

身近なひとでもそうなのだから、TVの向こうの、会ったことのない有名人なんて、本当はどんなひとかなんて、わかるわけない。イメージ、キャラクター、芸風でなんてはかれない。


相手の本当の気持ち、心の中なんて、わからない。

たとえ、どんなにわかろうと努力してもだ。

そのひとの生い立ち、性格、環境の通りに生きてみないと、本当のことなんか、誰にも分からない。「君の名は。」みたいに、中身丸ごと入れ替わることができない限り。


でも。

だからこそ、相手を ”思いやる” という行為がうまれるのではないか。

忘れちゃいけない。


SNSがあまりに生活に溶け込みすぎて、忘れ去られている気がする。


実は、自分のひとりごとがいつも全世界に公開されている状態だとか。

有名人に直接コメントするのはいいけれど、そのひとの時間を奪っていたり、心を動かしていたりするとか。

ここに存在するアカウントの向こうにいるのはみんな、同じ感情をもった ”ひと” であることとか。




死んでしまったら、終わり。


亡くなった彼女には、私のときみたいな、俯瞰の自分の声が聞こえなかったかな。

聞こえないくらい、苦しんだのかな。

彼女の人生を生きていないので、分からない。

22歳、まだ何でもできる年齢だったよね。



逃げてもいい。


だから、死なないで。



そして、日ごろの鬱憤のはけ口に、”ひと” を利用しないで。



これ以上、生きにくい世の中になるのは、もうごめんだ。



言葉は、魔法だよ。

苦しめることじゃなく、

喜ばせる、しあわせにするために使いたい。



自分にも、言い聞かせる。



ちなみに、私が今いちばんかけられて安心する言葉は、


「ゆっくりでいいよ」


です。




この世の中が、やさしい言葉であふれる場所になりますように。






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pizza
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。