映画パンフレット感想#30 『ありふれた教室』
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感想
A5サイズのコンパクトなパンフレット。直前に読んだパンフレットが『胸騒ぎ』の特大サイズだったため、そのギャップで風邪をひきそうになった。そのサイズ比、おおよそ1:4である。ただ、サイズが小さいといっても38ページ(表紙含む)でテキストはぎっちり詰まっているのでボリュームは十分だ。
監督・脚本を務めたイルケル・チャタクへのインタビュー記事は、鑑賞中に引っかかった疑問の解となる言及があるなど、知りたい情報が詰まっていた。例えば、「なぜカーラ・ノヴァクはポーランド系の設定で、同僚からポーランド語で語りかけられるのを拒むのか」や「印象的なシーンで用いられたアイテムがなぜルービックキューブなのか」など。当然ながら本作に込めたメッセージや、キャスティングの裏話などについても語られている。終盤では、脚本執筆がいかに苦しいものかと長々と熱弁していてつい笑ってしまった。主人公カーラ・ノヴァクを演じたレオニー・ベネシュへのインタビュー記事は、レオニーのあけっぴろげな口ぶりが面白く、気取らない人柄が伝わってくるものだった。
さらに面白いのは、この2つのインタビュー記事を読んで新たに生じた疑問点が、以降の執筆家による寄稿によって明らかにされていることだ。例えば、イルケル・チャタク監督は、本作の脚本執筆に、ある小説の影響を受けたと語っているが、その作品がどのような内容で、どの点が類似しているのかが読み取れない。それを、ハードボイルド育児作家の樋口毅宏氏が、寄稿記事のなかで解説しておりその疑問はすぐに解消された。
また、レオニー・ベネシュは本作のテーマを「ディベート文化に対する批判だと思う」と語るが、沸き上がるのは「ディベートの何が悪いのだろう」という疑問だった。それが、ドイツ在住ジャーナリストの高松平蔵氏やドイツ在住ライターの河内秀子氏の寄稿で、「“ドイツ特有の議論文化/ディスカッション文化=ディベート文化”である」ことと、そこに生じている問題点について詳しく解説されており、直ちに氷解した。同一のパンフレット内でスタッフやキャストが語った情報が(結果的にかもしれないが)執筆陣によって捕捉され、理解が深まる体験は珍しいように思う。
さらに、「ドイツに根付くディベート文化」という言葉を再考したときに、先日観たドイツ映画『システム・クラッシャー』の一場面を思い浮かべた。同作で描かれた主人公の少女をケアするソーシャルワーカーらが一堂に会してディベートする光景は、まさに本作の終盤の会議シーンに似たものだった。鑑賞時は、「どこの国のどこの組織にもある通常の手順としての会議」として見ていたが、その根底にはドイツならではのディベート文化があるのかもしれない。思えば、『システム・クラッシャー』も、制度の歪みを告発する映画であり、子どもの意志を祝福/賛美するような結末だった。
最後に、三楽病院 精神神経科部長・東京医科歯科大学臨床教授の真金薫子氏の寄稿について触れたい。この記事では本作で描かれた教育現場の問題に着目し、そこに特化して主に日本の教育現場が抱える問題について解説されている。映画よりも一層現実的な実情が網羅されているが、映画と同様に現場で巻き起こる負の連鎖がノンストップで書き連ねてあり、再び胃が痛くなるような気分を味わった。実感を伴うだけに映画以上に苦しいものがある。