一人の時間がとても大切
人間は、自由に生きようとすればするほど、それを良しと思わない人もいます。
これは、社会の規範や個々の信念、価値観が異なるためですよね。
多くの人は、自分の経験や常識に基づいて「正しい生き方」を考え行動していますが、それが必ずしも他人にとっての正解ではないことを理解できないことがあります。
特に、自由な生き方は既存のルールや枠組みを超えることが多いため、そういった価値観に縛られている人にとっては、不安や不快感を感じることもあるでしょう。
彼らは自分の安全地帯を守るために、他者の自由を批判したり、制限しようとすることがあるということですね。
しかし、真の自由を追求する人は、他者の批判や反対を恐れず、自分の道を選び続けます。ですから、「孤独」なことが多いです。
なぜなら、人に合わせることができないほどの価値観や信念を思っているからです。つまり妥協しないということ。
妥協も必要だよ、なんて言われたこともあり、私にはどうしても受け入れることができずに信念を貫けば、当然人は去っていくこともあります。
孤独になるのが怖い人は他人や社会に合わせて生きていくのでしょう。
しかしこれには、本質を見抜く力が蘇ったといってもいいと思うのですが、嘘がわかる、メディアの流す情報にもいろんな思惑という色がついて洗脳させようとしている、と真実を見つめる「勘」だったりその「姿勢」が備わってきたからこそ信念を貫くのです。
自分の気持ちに嘘をつかないことは自分自身を大切にしているということですから、正直に生きているのです、正直になればなるほど、そうではない人とは合いません。
表面的な付き合いよりも、抽象度の高い会話や、深い信頼関係を重視するため、付き合う人を厳選するか、そもそもそのような人がいないかのどちらかになるでしょう。
私も一昔前は広く浅い関係が流行っていましたが、今では完全に自分がベースなので一人の時間を多く過ごしています。友人の数と幸せは比例しませんし、お金をどれだけ持っているかと幸せも比例しません。
この自分への正直さは、社会の正しさを軸にしているのではなく、自分の軸をベースに持っているからこそ自由なんです。
自由とは、自分自身の価値観を大切にし、他者の期待や思惑にも縛られずに生きること。
物質的なものをどれだけ持っているかは問いません。それこそが縛りであり不自由さを生む大きな一因なのですから。それが、他人にどう受け取られるかは、結局のところその人の問題であり、自分の本質とは無関係です。
自由に生きることに努めていくと、捨てなければならないものがあります。ですが、代わりに受け取るものは、シンプルなのです。