また自然体で繋がれる仲間が欲しいと思った。
いまの自分を嘆く
うつになってから、夜ふかしをして、朝を迎えることが毎日のようになってしまった。
いけないと分かっていても、「深夜が友だち」になってしまった。夜の静けさが孤独な気持ちとマッチして心地がいい。朝日はドラキュラようにしかめっ面のようになり、でも太陽は浴びなきゃと東向きの窓のまえに立つ。
でも、深夜が活動の中心となっては、うつが治らないのは薄々わかっていた。この社会は昼間に活動するのが前提だということすら、よく分からなくなってくる。
ひとりぼっちでいると、本当に誰とも話さなくなる。「まあ、これでいいや。」と思ってた時期もあったんだけど、ひとりでいるのも飽きた。
だからといって、無理やり誰か友達になってくれそうな人を探したりするのもいや。
自然体で生きてた頃は、友達がいた。
私がまだ自然体でいられた頃のこと。
私は小さい頃、お絵描きが好きだった。(いまも好き。)
私は幼稚園の休み時間になると、「早くお絵描きがしたあああああい!!」と、全身がムズムズして電流がからだじゅうに走った。休み時間が始まるとすぐ、私はひとりでダッシュして教室の端っこを陣取った。
そして、幼稚園の教室の端っこで、ひとりで脇目も振らず画用紙を広げ、クレヨンで絵を描くのに夢中になった。
それで、私は満たされた。
それで、十分だった。
それが、よかった。
ひとりで、ひたすら、クレヨンを持って画用紙に絵を描く。
すると、私の周りに、いつのまにか同じようにクレヨンを持って画用紙に絵を描くクラスの友達に囲まれていた。
そうやって自然に集まる仲間がいた。
2人で描くこともあれば、3人で描くこともあったり、4人で描くこともあった。
絵を描いてるときは、とくに誰も話すこともなく、話しかけることもなく、ひたすら各自で絵を描いていく。
そうして、数十分が経つ。各自が絵を描き終えていき、ひとり、また一人と顔を上げていく。
そして、自分の絵を発表したそうにウズウズしだす。みんな、目をキラキラさせながら、最後の一人が絵を描き終わるのを待っている。
最後の一人が絵を描き終えると、絵をいっせいに見せ合いっこする。
すると、「わあ」とか「いいねー」と静かな感嘆の声があがる。
そして、一人ひとり絵の説明をする。みんな、うんうんと聞く。私は友達の絵についてたまに質問をする。友達はうれしそうに絵の説明を付け加えて話しだす。だがしかし内心、私より友達の絵のほうが上手いと、たまにひとりで嫉妬したりした。
でも、この「静かな仲間と、絵を描く時間」が大好きだった。
休み時間が終わると、また各自の席へ戻る。
手にはクレヨンの匂いがまだ残ったまま。
そんなかんじ。
私の、「友達づくり」はそれがいい。
自然と無理なく集まった。仲間たち。
私は、またそんな仲間がほしいな。
サムネイル:
イラストお借りしました。
ありがとうございます。