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昭和レトロがやっぱり好き

ここ最近、昭和レトロをテーマにnoteを更新しているですが、「昭和レトロ」や「平成ポップ」という言葉を最初に聞いた時は正直言うと、えー!昭和がもう一昔前扱いで文化化しているの?と少しショックを受けた記憶があります。
でも昭和のモノや文化、暮らしな知恵などを両親から聞きながらnoteを書いているとどんどん言葉が浮かんできて、次はコレについて書きたいな、こんなの売ってるんだ?買ってみよう!とワクワクしてきます。
今までは書き始めたものの、なかなか書き上がらずにお蔵入りしてしまうことも多々ありましたが、昭和レトロシリーズを書いている時間が楽しく、いいねを頂けると、昭和好きな同士がここにも!と勝手に嬉しく思っています。
と言っても閲覧数一位は最初に書いたgoogleのメールを簡単に出す方法。自分が書いたのになんか悔しい…世の中に求められているのはあっちなんだろなと思いつつ、今日も昭和レトロネタを探して、せっせとnoteのストックをつくっております。

この昭和レトロなnoteを書き始めてから母や父の歴史も知ることができました。
実家にはまだ昭和レトロがたくさん眠っているため引き出しや戸棚を開けててみていると、レトロなものが次々と出てきます。
先日、リビングの戸棚の上段を開けてみると学校の制服の箱のようなものが入っていました。
母となんだろうアレ…とか言いながら、取り出して蓋を開けてみると中には古いアルバムが…
「母のアルバムだ…」
私にとっては祖母のものでしたが、若くして亡くなったため会ったことはなく、このアルバムを見るのも始めてでした。
祖母が上海租界で働いていた頃に現地で撮ってもらったものらしく、宝塚歌劇好きの私は『BUND/NEON 上海』や数年前に公演した『蒼穹の昴』の世界だわと白黒写真のアルバムを捲りながら歴史を感じました。
そして、そこには母が生まれ日の新聞や中学生の時に新聞に載った時の写真など思い出の品も保管されていて、今まで聞いたことが無かった母の生い立ちの話を聞くことができました。

そもそもなぜ育ってきた平成ではなく、ほぼ記憶のない昭和なのか?
大学院の時の景観学の授業で取り上げられていた中村良夫さんの『風景学入門』という本の一説に、人は一昔世代前の時代に憧れるという話がありました。
そのときの授業でわたしの原風景は里山ではなく、工場景観だという発表をしたところ担当教授からとても好評価をいただきました。(あとで先生が工場景観の第一人者だと知り仰天しました)
平成に育ったから昭和に憧れるのは自然な流れなのかもしれません。

「メルカリでつなぐ昭和レトロな暮らしと知恵」シリーズを読んで、昭和を生きた方には懐かしく、昭和を知らない方にはそんな感じだったんだ?と新たな発見をしていただけたら嬉しいです。
「故きを温ねて新しきを知る」そんなnoteが書けるようになれたらいいなと思います。


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